このコピーはいいなあ。何度かみしめてもいい。世はまさにバブルの絶頂で手の届くところまでクラウンが降りてきた。あと一息、あと一息。そう思って働けばだれでもクラウンが買える。
今から30年ぐらい前、世の中がキラキラと輝き札束が宙を舞った。歓楽街は戦前の上海を思わせた。共同租界のとばく場の賑わいを見せた。男たちは脂粉の香りにむせかえりながら女の胸の谷間に札束をねじ込み歓心を買った。
ヤクザの幹部が100万の札束を路上に落としたとき子分があわてて拾おうとした。幹部は子分を殴りつけ「そんなもんほっとけ。」と叱った。
ケチなことは言わない大盤振る舞いを男の度量だとする風潮がまかり通った。それにひきかえなんだきょうびの小物達の醜態は。1円、2円の確定申告に精力をそがれている。
その「いつかはクラウン」のキャッチコピーが登場する直前、僕はクラウンを買った。多分コピーは「美しい日本のクラウン」だったと思う。素晴らしいクルマだ。漆黒の塗装にきちんとしたワックスをかける。まる1日はゆうにかかる。しかし、出来上がりを見た人は腰を抜かす。
あたりまえだ。世界最高の国の人間はこれくらいのクルマに乗れて当然だ。故障はよくした。トヨタ車は故障がないというのは嘘だ。機械音痴どもがどんどん車を乗り換えるから故障する暇もなく人手に渡っているにすぎない。それでも持ち主が変わっただけで、長く乗ったことに変わりない、という頭の悪いクルマ屋の手先がいる。
ばか。
じゃあ中古にしろだれが僕みたいに30年もクラウンに乗っているか。ごく少数の機械に精通した人だ。
クルマ評論家なるものが書くことはほとんど嘘だ。ホントのクルマの癖というものは半年1年と乗ってみなければわからない。可変バルブタイミングだ、直噴だ、なぜ必要のないバカを喜ばすだけの装置をつけ価格をあげるか。クラウンで200キロ以上の速度を出すことはない。カム軸自体一本で十分。やさしいキャブの加速を知ってから燃料噴射の話をしろ。
ましてや燃費とか言うな。燃費を言うなら朝鮮人みたいな目をした軽とやらに乗れ。
豊かさに酔うためにはコストがかかる。バブルにはずっと否定的なスタンスだったがあながち悪くもなかったかな。