俺はそこらのアホとは違うんだ。今でこそこんな掃き溜めにいるんだが、世が世なら〇〇の子孫だから、とか、〇〇大学の医学部に合格していたがカネがなかったばっかりに行けなかった、とか、今こそリュウマチで指が動かないがほんとならイボミのコーチぐらい軽くなれたんだ、コンペの優勝カップは100個もあって邪魔で捨てたばっかりだ、・・・
日本は、老人にはレゾンデートル(その人がそこにいなければならない理由)を与えない国だ。上に書いた老人の白昼夢は、悲しい脳の防御反応だ。
心底楽しいとか社会の役に立っているとか、レゾンデートルを獲得する年寄りは少ない。
そんな苦境のとき老人脳はどんな反応をするか。今回のタイトルのように「怒る」。みんなの注目を手っ取り早く浴びてみんなの中心にいるように錯覚し怒る老害。
管理職などにこんなバカがなっていたら会社はつぶれていた。会社はバカじゃない。早めに非正規にするか、解雇するかしないとガンは全身に回る。この無能老害は、永遠にどん底社員だったという都合の悪い現実は振り返らない。怒る老害は、あれ、ひょっとして管理職ってこんな気分かなと錯覚する。
法事の場、棟上げ式などで遠い親戚を怒鳴りあげたりして自分は社会に参加していると示す。ひどい時にはレストランのウエイトレスを些細なことで叱る。そうして錯覚した社長気分に浸る。
ぼくは心底思うのだが、怒る人はいやだ。実力ある人はみんな穏やかだ。とくに「みんカラ」なんかでは僕に対し怒っている人が多いが皆低能だ。その低能は、火病老人になるか、すでになっている。
脳のほとんどが腐れたウニになっているからもはやまともな思考は無理だが、それでも人類に位置するなら、あるいは人をだまして生きているチンピラでないなら、石にかじりついてでも、朝早くから小学生相手に旗を振るのではなく、喫緊の政治課題に議論を深めよ。つまり頭を使え。一度も使ったことのないものを。ボケ封じのくすりや神社はまやかしだ。
痴呆になる人は若い時からぐうたらだ。思考の怠け者である。だから早くボケる。悪いことに怒るぼけ老人になる。自分が偉く、頭がよく、みんなに慕われているときなど人生で一度もなかったのに、その夢を見て現実との区分ができなくなっている。
たとえボケても、精いっぱいボケの進行に抗(あらが)って人間性を守り続けていたら非常識な老人にはならないはずだ。
いつも僕に精神訓話をする人がいた。反論したかったが長幼の序に逆らうことは道徳ではない。
意味のない訓話は、支離滅裂になり、記憶があいまいになり、その頭で医学部に合格したはずはないのに、やがて幻覚を見、死んだ。