昨日に続いて、野村克也さんの著書。
今日は「弱者の流儀 野村克也31の考え」。
本作の冒頭、「本書で伝えたいこと」がある。
まずは、お目々拭き。
次は、歯磨き。
前歯もね。
では、おやすみなさい。
本作の冒頭、「本書で伝えたいこと」がある。
少し長いが、以下に紹介したい。
人は皆、弱者である。
これが私の持論だ。
この世に初めから、完璧な人間などいない。
一流と呼ばれる人間なんて存在いない。
世の中には、いわゆる「天才」と呼ばれる
「強者」もいるが、その者たちも、
たゆまぬ努力を経て「強者」になったはずだ。
最初は誰しもが「弱者」だ。
傍目には才だけで成功しているように見える
かもしれないが、「才能」だけで一流になれる
ほど、どんな「プロフェッショナル」の世界も
甘くない。プロ野球の世界なんて、その最たる
場だろう。
毎年プロ野球にはドラフトを経て、逸材と言
われる選手たちが鳴り物入りで各球団に入団
してくる。高校、大学、社会人など「アマチュア」
の世界で実績を残し、スカウトのプロたちに
「才能」「素質」があると見込まれた選手たち
だ。特にドラフトの上位に指名されるような
選手は、その年のトップ中のトップということ
になる。あくまでも、その時点では。
さて、皆さんも不思議に感じることがあるだ
ろう。なぜ、「ドラフト1位」で入ってきた選手
たちがプロの世界で結果を残せず数年で引
退してしまうという事態が起こるのか。
このようなケースでは、「スカウトが選手の
本当の実力を見抜けなかった」と言われる
ことが多々あるが、私はそうした指摘は間違いだと思う。スカウトだって、その道のプロだ。
誰よりもその選手のことを観察し、プロで通
用すると確信してから球団に進言したのだ。
本書でも後に述べるが、「人は誰しも何か
しらの可能性を持っている」というのが私の
信じるところだ。ましてや、それが「ドラフト1
位」ともなれば、「球が速い」「コントロールが
抜群」「長打がある」「守備が一級品」など、
もともとの才能や素質は必ずあるはずだ。
プロで通用しなかったのは、その才能や素質
を生かしきれなかったことに尽きる。「強者」
のままプレーしてしまい、「弱者」になること
ができずに壁を越えられなかったのだ。
しかし、中にはプロ入り後も持って生まれた
才能だけで、すぐに活躍する選手がいるのも、
これまた事実。それでも、こうした選手も近い
将来何らかの「壁」にぶつかる。それを乗り
越えられるか否かは、「弱者」の思考で野球と
向き合うことができるかにかかっていると言っ
ていい。才能を生かし真摯に野球と向き合え
た者こそが、一流選手として活躍することが
できる。
ここで冒頭の言葉に戻る。
「人は皆、弱者である。」
本書で最も伝えたいこととして言い換えれ
ば、「人は皆、弱者の意識を持ちなさい」と
いうことだ。本書はもとより、これは私の人生
哲学そのものと言っていいだろう。
80年生きてきて、その大半を野球界で過ごし
てきて、弱者である私自身の経験則、弱者を
指導して得た教訓、弱小球団を指揮して分か
った組織論など、混迷極める現代社会を生き
抜く上での助けとなればと心得を記したつも
りだ。
「弱者」から「強者」へ這い上がれるか、壁を
乗り越えられずにそのまま第一線から退くし
かなくなるか、その分水嶺となるのが、弱者と
しての哲学、思考、行動、要は本書のタイトル
とした「弱者の流儀」を理解・実践できるか
どうかにかかっている。
そして、なぜ弱者こそ、結果を残して勝負に
勝てるのか、その答えを本書に記す。
本作は多くの人、特に人の上に立つ人に
読んでもらいたい名著である。
今日のおまけ。
たぁたん、おやすみ前には。
まずは、お目々拭き。
次は、歯磨き。
前歯もね。
では、おやすみなさい。
おしまい。