庭先にあまざらしとなった茶箱をごみとして出すため、分解し、電動のこぎりで細分化した。この茶箱は父親が昔、引っ越しで使ったようで、蓋の部分には洋服と書かれ、苗字が記載されてあった。戦後のものと思われるが、すでに70年が経過している。茶箱の内部は亜鉛か錫引きの薄い金属板が張られていた。茶箱は、防湿性に富む杉板製で、竹釘で板を合わせてあり、釘で固定してあり、板の継ぎ目は和紙が張られていた。倉庫におかれていたが、腐葉土や石灰、合成肥料保管用に使っていたものである。最後は犬小屋に変身したが、成犬になるとちょっと手狭であったため、新たに犬小屋は廃材を使って作り、茶箱は必要なくなっていた。
新築の住宅に入居したころは、近所に茶葉と海苔を売る小売店があった。母親から言われ、年に何度か茶箱が販売されるので、それを購入した覚えがある。海苔も当時は茶箱を使っていたのか記憶はないが、茶葉と海苔は相性が合うのか、同じ店であった。
最近になり、日本茶を楽しむ外国人が増えたようであるが、古くから我が国の輸出品の一つに茶葉があったようで、船で輸出するため、防湿性が求められたのかもしれない。最近は木製の茶箱を買うようなことはなくなったが、簡単で密閉性が高い安価なプラスチック製が主流となった。透明性が受けていて、内部に何が入っているのか蓋を外さないとわからない茶箱は嫌われてしまった。
日本茶は流通するのに小分けされているし、高価な品である玉露などは、容器も密閉されている。また海藻についても同様に密閉(真空)は容易にできるため、茶箱は輸出には向かない。包装材や容器の革命が起こったせいで、昔ながらの万能タンスは姿を消したのであろう。
70年の茶箱の利用は生活用品の収納場所として重宝してきた。その主たる理由は、資材の少ない中で、安くなおかつ防湿性を高めるための工夫がされていることである。密閉容器は、内側に亜鉛や錫メッキをした金属板貼りだけではなく、和紙で板の継ぎ目を目張りすることと蓋に工夫がされていて、外側に蓋が木箱を覆うように框(かまち)をつけていることである。これによって、蓋が隙間を埋め、容易に外気や昆虫が入れなくなっていることである。他の国では見られないわが国独特の蓋の技術である。