突如、小池都知事の口から発声のあったアウフヘーベン、知る人ぞ知る言葉である。自分は久しぶりに聞いて、学生時代を思い起こした。あまり得意の分野ではなかった哲学の授業である。哲学は一般教養の授業で、確か、ドイツ語を教えていた教授が掛け持ちで行っていたと記憶しているが、アウフヘーベンなる語句もドイツ語の単語である。英語やアラビア語を得意としている都知事の口から発せられたドイツ語には、それなりの意味があったのであろう。この語の理解は、一般的な単語とは異なり、深淵で、哲学を知らないと理解することは難しい。
日本語では止揚や揚棄と書かれているが、この言葉すら一般的ではない。止揚の意味は、二つの矛盾した概念を一層高い段階で調和・統一するとのことと国語辞典には書かれてある。揚棄も同様であるので省略するが、哲学では、物の対立や矛盾を克服し、統一することによって、より高次の結論に達する発展的な考え方や、思考方法を弁証法といっている。
弁証法には、物質的な考え方(唯物論)と精神的な考え方(唯心論)に二分されるが、発生した時代や国によって、突出した多くの哲学者がいて、アウフヘーベンの用語はドイツの唯心論哲学者ヘーゲルによって弁証法的観点からもたらされたものである。
言語であるアウフヘーベンのアウフとは上げる、高めるの意で、ヘーベンは否定するという意と止める、保存するという両義がある。であるから合成語のアウフヘーベンは、「否定する」、「高める」、「保存する」の三つの意味を含めていて、ヘーゲルの弁証法基本概念といえる。相反する概念を一つの合成語でよく言い表しているといえるが、世の中の現象や事象の中には、同様な推移を現わす言葉もあり、出藍の誉れや、芸事や武術など、学んだ流派の奥義を獲得することで、さらに高揚するため、それらを捨ててさらに新たな境地を得るなどと考え方はよく似ている。
今回の小池都知事が、意図したアウフヘーベンなる言葉の使い方が、ヘーゲルが考えた概念と同じかどうかは推察の域を出ないが、都議選を目前にし、市場としての安全性が専門家から担保されても、安心論議で頓挫した市場移転等の在り方は、苦し紛れに出た言葉とすれば、どちらの市場をもいいとこ取りをして、煙に巻く戦術かもしれないし、昼食に焼きそばとパン食のどちらが良いのかと問われ、どちらも好きで、焼きそばパンにしようと単なる合成することに似ているようで、本来の意味のアウフヘーベンなのかははなはだ疑わしい。近日中には、何らかの方向性が出され、人によって異なる安心の定義が明示されるかもしれない。