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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

おくのほそ道(4)山形その1

2015年06月15日 00時00分01秒 | 旅行

 「友人中道敏彦氏の投稿です。」

 平成27年6月4日、正午前に山形駅に到着し、レンタカーに乗り込んだ。山形はやや肌寒い。今回も男3人連れ、2泊3日の旅である。

 芭蕉と曽良は中山越出羽道で、仙台藩尿前の関を越え、出羽の国に入り、山刀伐(なたぎり)峠から尾花沢に入り、立石寺を訪問しているわけだが、われわれはこの箇所は逆コースをたどり、酒田を目指すことになる。

 

(1)立石寺・尾花沢

 

 宝珠山立石寺まではすぐである。1時頃到着した。時折、霧雨が降りてきて風があり寒い。気温は14度。山寺という通り名で知られるこの地は、是非訪問したらよいと土地の人に勧められ、芭蕉も尾花沢から山寺、大石田と往復している。創建は貞観2年(860年)、開山は延暦寺第3代座主、慈覚大師円仁とされる天台宗の古刹である。駐車場から見上げると遥か上方の岩山の上に、寄りかかるように堂塔が建っているのが見える。そこに至る階段は1015段あるそうだ。

 芭蕉は山寺で、有名な次の句を作っている。

     閑さや岩にしみ入蝉の声 

ところで今日は風が強く、雨模様である。蝉の時期にも早い。そんなわけで、開山堂、五大堂、奥の院などのある山頂へ行くのはやめて、根本中堂などを見物した。本尊は薬師如来である。僕は10年ばかり前にこの地に来たことがある。8月のくらくらするほど日差しの強い日で、山頂まで行く階段は蝉しぐれに包まれていた。

 山寺から北上して、1時間ほどで尾花沢に着いた。かつては交通の要衝だったというが、散閑とした街である。2時30分、表に芭蕉の像がある鈴木清風歴史資料館に入る。鈴木清風は尾花沢で金融業、紅花などの取引をする豪商で、芭蕉とは江戸で面識があった。芭蕉は清風のことを「彼は富める者なれども、志いやしからず」と述べている。資料館は江戸末期の商家をここに移築したものであり、中には芭蕉との交流を示す資料の他、江戸時代の生活を示す資料が展示されている。芭蕉作とされる竹の花立、4千余両の貸し出しの証文などが僕には興味深かった。

 芭蕉が尾花沢に着いたのは、元禄2年(1689年)5月17日(新暦7月3日)のことである。不自由な堺田での3泊、そして危険な山刀伐峠を越え、ほっとした芭蕉は、清風とも再会し、くつろいで次の句を作っている。

      涼しさを我宿にしてねまる也

      這出でよかいやが下のひきの声

      まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花  

「ねまる」は、「くつろぐ」の方言で、風の通る部屋でくつろいでいると、自分の庵にいるような気がする、というものである。芭蕉は尾花沢に10泊している。



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