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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

暘谷城(日出城)

2017年02月19日 00時00分01秒 | 旅行

 暘谷城(ようこく城)は日豊線日出駅より暘谷駅に近い。関ケ原の合戦後の慶長6年(1601年)三万石を与えられて城主となった木下延俊の城である。豊臣秀吉の側室寧々の甥にあたる。さほど大きな城ではなく、3万石といえば加賀の殿様が100万石なので比較にならない大きさである。天守は三重の層塔型であった。城は豊後の国一、二といわれる良港、日出港に臨む崖上の要地に位置していて、台地の南端に本丸を設け、その東・北・西に二の丸、その東側に三の丸が配置され、港に面している。山城ではなく、別府湾に面する海城である。現在は小学校と中学校が城跡に建てられている。建物は取り壊されていて、昔の面影はないが、最近、櫓(やぐら)の再建が行われている。

 

 本丸の取り壊しは明治政府が命令を出して取り壊したのであるが、一部競売に出された櫓があったようで、民間人が落札したものを町が買い取ったようで、移築されている。それなりの類似性はあるが、建てたばかりのようで、自分には興味半減であった。

 観光用の資料等の展示が行われていたが、むしろ、城を囲む旧家の武家屋敷跡などは、そこそこであり、近くの的山荘ぐらいが良いかもしれない。ここの和風庭園は素晴らしいもので、別府湾を借景に見立てた3500坪の庭園である。馬上金山で財を成した成清氏の別邸であったところで、現在もその末裔が日本料理屋を開いている。現在は、庭園の方の手入れは町の方で手掛けている。自分が大分に赴任しているときには何度か利用したことがあるが、その時は、日本庭園は一般に開放されていなかった。今から7~8年前に一般への無料での開放がされたと従業員から聞いた。

 

 この場所は、海水と湧き出す水との吃水にあたり、「城下カレイ」が生息している。それがこの地の名物料理となっていて、専門の料理屋も数軒が点在している。味が淡白で、魚臭さがないためか、刺身、てんぷら、焼き物、煮物、吸い物、等のフルコースともなれば万円札が飛んでしまう。以前は的山という名の清酒がふるまわれていたが、現在は作っていないとのことであった。残念である。

 

 暘谷城は滝廉太郎とも関係が深いようで、廉太郎が学生時代帰省で何度か父親が住んでいた日出城武家屋敷内で暮らしていたようで、竹田市にある岡城で作曲したとされている「荒城の月」も暘谷城の石垣のイメージと重なっていたようで、定かではないが、日出町も関係性を言うようになっている。どちらにせよ、そのような元祖まがいの話はあまりためにならないし、興味も湧かない。



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