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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

戦争の実体験 空襲1(2回シリーズその2)

2013年10月02日 00時00分01秒 | 紹介

 おそらく吾妻橋も同様であろう。浅草も同様に焼け野原、上野駅の公園口に回る。この辺りはあまり焼けていないが、田舎に帰る人たちがたむろして列車が出るのを待っている。石に腰掛けた老人をよく見ると、顔色が土気色になっていて、既にこときれている。一晩中避難で疲れ、ショックで死んだのであろう。上野を出ると既に12時を回っている。8時に江戸川を出発して、ここまで4時間もかかった。12時半に田端駅に着く。駅員に列車到着時間を聞くと、部隊の到着は急に品川駅に変更になったとのこと、時間はやはり夜の12時。少々がっかりしたが、近くの旅団本部に立ち寄ることにした。古川男爵邸に本部があった。ここで昼食をとる。本部にも兵隊は一部しか到着していない。第一大隊第一中隊先遣の上等兵が行方不明になったという情報が入ってきた。近くの親戚の家に泊まりに行き災害にでも遭ったのであろう。滝野川は爆撃を受けなかったため、いつものたたずまいであった。

 食後、勇を鼓して品川駅に向かって出発した。山の手はまだ健在であった。歩くのに何の障害もなく歩きやすい。午後6時品川駅に着いた。部隊の到着時間を確認すると、やはり12時である。何をして過ごしたのか忘れたが、12時きっかりに本隊を載せた列車が到着した。
 北陸から来たピカピカの兵隊さん達だ。12時間の長旅の疲れも見せず、初めての東京、憧れの東京警備に目を輝かせている。中隊長・第二、第三小隊長に挨拶し、昨夜の大空襲の状況を報告した。暫時休憩後、駅前に整列し、自分が先導して出発した。時に3月10日午前12時30分。第一京浜を東に行き、三田から日比谷通りを直進、宮城前を通った。

 日比谷通りは電灯もなく真っ暗闇、目標物が焼けているため、方向が判らない。左側に交番の赤電灯のようなものが見えたので、部隊を止めて道を聞くために駆け寄った。そばに行って驚いた。赤電灯のようなものは、電柱が焼けて軒灯の高さに赤い火が残っていたのだ。焼け野原に交番が残っているはずがないと、一人苦笑しながら引率に戻った。そのまま真っ直ぐ行き、神田から右に入り、秋葉原・両国通りに入った。この辺一面に焼け野原で、トタン板が赤茶けて散乱し、水が蛇口からチョロチョロと出ている。死臭が漂っている。漆黒の闇の中、所々に残り火が赤々と燃えている。この悲惨な情景を見て兵隊さん達はどう感じたろうか。小松川に来ると焼け野原も途切れた。後は大通りを粛々と進み、午後3時頃漸く瑞江小学校に到着した。

 兵隊さん達の感想を聞くと、こんなにひどく東京がやられているとは思わず、ショックで息が詰まる感じだったという。丸一日、焼け野原を歩き回り、外套がすっかり死臭を吸って、しばらくの間匂いが抜けなかったことを覚えている。(このシリーズ最終回です)


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