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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

死後の旅その2

2016年09月04日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 葬儀と同時に初七日を済ませ、葬儀社と同じ地域にある懐石料理屋で精進料理をふるまうことにした。葬儀は家族葬で行ったが、実際には、葬儀に参加され、お手伝い(ボランティアか?)をしていただいた居住地区の方々も参加されていた。家族葬が十分行き渡っていない地域でもあり、家族葬を経験されていない状況でもあった。その意味で前日地域の代表者の方と喪主との話し合いが行われた。

 

 無常(無情?)といっていたが、その意味は、たとえ、村八分の関係にあっても、残りの二分、すなわち、火事と葬儀については、村全体で行ってきたという因習のことで、村人総出でお手伝いをするということのようであった。このことをとやかく言うつもりはないが、町場との違いを体験した。その意味だけではなく、生前に義母がお手伝いをした方々が、返礼を兼ねて手伝いを行うという意味が強いのかもしれない。喪主がこのことを拒否することは、ほとんど考えられないことであり、過疎の村であってもいずれは家族葬に変わるとしても、それには時間もかかるし、そんなに簡単ではなさそうである。

 

 葬儀の順序が都会の場合とは異なることに当初は違和感を覚えたのであるが、実際に葬儀前に火葬場へ行っての荼毘については、火葬場の業務時間をフルに使うことを考え、また、葬儀を早めに行うこと等、その順序はあまり意味がないのであろう。特に夏場は遺体が傷むことを考えれば、お骨での葬儀はそれでよいと思う。早朝には出棺があり、遺体を少ない人数で死に水を取り、死出の旅路衣装に変え、納棺士による死化粧を施し、水杯で別れを行い、お棺に花を入れ、くぎ打ちまでの一連行為は同じである。

 

 火葬場での荼毘には住職は同行せずに、火葬場の職員だけで行った。時間にして約2時間であった。遺骨を葬祭場に持ち帰り、親族と弔問客による葬儀場へ移し、脇導師も含め、粛々と厳粛なる儀式が執り行われた。親族や家族を別席で、精進料理でもてなし、一連の葬儀は終了した。通常は、遺骨をお寺に預けるようであるが、義母の自宅へ持ち帰り、四十九日の忌明けまで仏壇に安置することにした。お骨は布製の袋に入っているため、四十九日に帰省するまで空き家となるので、人形ケースを利用して、そこに納めることにした。

 

 地方の操作以上については、開設後まだ2年という新築の施設であったため、すべてが新しく、機能的であった。職員の方も皆さん親切で、ムリ難題を聞いてくれた。これからは高齢社会、多くのニーズが期待されるビジネスに成長するであろう。



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