天候不順の中であったが、無事、義母の四十九日の法要が終わった。今回の法要の前には、住職との日程調整、参加者の人選、会場の事前打ち合わせ、参加者への連絡等を行ってきたが、満中陰にもあたるし、白木位牌を塗りものの本位牌へ入魂することと、遺骨の埋葬である。実際には連日の降雨で、墓地への参道が、山中にあるため、参道の整備ができなかった。その理由で、急遽、お寺での法要となった。初盆と一周忌を来年の夏に予定しているため、その間は遺骨をお寺で預かってもらうよう依頼した。
孫にとっては、身内の法事に参加するのは初めてのことで、お寺の本堂での読経を聞くのも初めてといっていた。宗派にもよるが、禅宗での読経は経典なる書物が配られ、参加者も住職の読経に合わせて、発声する。中でも般若心経は、今後も接する機会があると思い、勧めたこともあって、経典を孫自ら持って帰ることとなった。実家へ帰宅後も、何度もお経を読んでいたが、さわりについては覚えたようである。
法要には我が家からは、夫婦のほか、娘と孫が参加することになり、約15名の参加で、法要後は近くの料理屋で精進落としを行った。今時は、肉料理も魚料理も出るもので、ビールはノンアルコールである。この風習も定着したようで、多くの参加者は車で来ているためと昼からの飲酒は控えているのかもしれない。
遺骨の埋葬には、墓を開けて入れるのであるが、入り口はようやく小柄な大人が入れる大きさであり、孫にそのことをいうと、なかなか了解するまでにはいかなかったが、後日、墓碑に戒名を刻んでもらうよう石材店を読んで、下見をしてもらったが、最近は、墓石に人が入ることなく、竹竿を使って、骨壺を入れ込むといっていた。また、遺骨を包んでいる木箱や白木位牌はその折に焼却するとのことであった。
石材店に戒名等を告げたが、最近はコンピュータでデータを入力し、彫刻機にセットして彫り込むとのことで、手掘りは行っていないようであった。手彫りができないことはないが、字体の統一や、誤字を防ぐために、機械掘りを勧められた。義父が逝去した折は、長兄が、自筆で書いていたとのこともあったが、それが最も親孝行と思っているが、今回は、機械掘りとすることにした。作業は、キャタピラ等を使って、墓碑を墓から作業場へ運搬する。
初めて経験することが多かった法要であったが、平素は滅多に感じることがない、旅立たれたことで一層深まる、亡き人への感謝とご冥福を祈る良い機会でもあった。
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