「友人中道敏彦氏紀行文の投稿です」
(2)堺田・本庄
3時に尾花沢に別れをつげて、28号線(県道最上尾花沢線)を尿前に向かう。道は丘陵地帯を北東に走っている。周りは新緑の森であり、夏の訪れも東京より1ヶ月くらい遅いようだ。やがて道は山間の谷に沿って走り、山に近づくにつれ風雨が強くなった。山刀伐トンネルを抜けた所から山道に入れば、山刀伐峠の頂に行けることはわかっていたが、雨風に押されてそのまま通り過ぎた。気温は11℃。とても寒い。連日夏日の東京都は大変な違いだ。
芭蕉たちは、この峠を越えるにあたって案内人を雇っている。案内人は脇差を差し、樫の杖を持つ屈強な若者で、「高山深々として一鳥声聞かず、木下闇茂りあひて、夜行くがごとし」という山中を進む。そして無事通過できたことを歓び別れるのである。
赤倉温泉を通り抜けて、国道47号にぶつかって東に向かい、4時ころJR堺田駅近くの封人(ほうじん)の家に着く。芭蕉たちは、鳴子温泉から伊達藩尿前の関にさしかかり、旅程を変えたために手形を持っておらず、通行の許可に時間を費やした。日暮れになって堺田に着き、封人の家に泊めてもらうことになったのである。封人とは藩から委嘱されて国境を守る役人で、代々土地の庄屋である有路家が担っていた。住宅は当時のまま残っており、重要文化財になっている。10~15畳の畳の間が3部屋、納戸、囲炉裏のある広い板の間、そして土間、馬屋がある。何といってもここが有名なのは、芭蕉の次の句によるだろう。
蚤虱馬が尿(ばり)する枕もと
われわれは、管理人さんの勧めのまま、囲炉裏を囲んでこの地の話を聞いた。話によると今日の来場者は6人とのこと。山刀伐峠の名前の由来は「なたぎり」という古くからある帽子をかぶった時の前後の傾斜が山の形に似ているためとのこと。馬の尿はばり、いばりと言われていたことなどである。
管理人さんにコーヒーを飲ませてもらって、4時半に出発する。尿前の関所跡は近くだが省略し、新庄に5時半に到着する。グリーンホテル新庄。ホテルは古いが支配人は人が良い。ホテルの向かいの料理屋「山葵屋」で乾杯。出羽桜・一耕が美味かった。
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