広い道路を南へ下って行き、関ヶ原跨線橋の手前で右へ入りました。
さっそく幟旗が見えます。
東首塚。徳川家康は現地で首実検をおこなった後、多くの遺体の処理を竹中重門に供養料千石を与えて命じ、そこで造られたのが東首塚と西首塚とのことです。
松平忠吉・井伊直政陣跡。松平忠吉は徳川家康の四男で井伊直政の娘婿。井伊直政は徳川四天王の一人。
東首塚を出て、また資料館方面へ向かいました。しかし先ほどの新しい道ではなく、一本西側の道を進みました。
最初からこんなに歩いて大丈夫かな?
それでも行くしかない・・・。