浜松市は、仕事も含めてよく出掛ける自分にとって身近な街です。だから史跡、城跡巡りでもネットでいろいろ探して出掛けています。
そんな中、2024年4月中旬に出掛けたのが、今回の「浜松市史跡だけ巡り」のその①です。
浜松市中央区頭陀寺町の南北に走る中郡福塚線と、斜めに走る国道150号線が交差する頭陀寺町北交差点のすぐ東側を、南北に走っていた旧掛塚街道の名残りの道を入ると、右手奥に小さな神社があります。
この画像の左下を見てください。
豊臣秀吉鎌研池跡とあります。
こんなところに?と思ってしまいました。
豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と言った少年の頃、この地を訪れ頭陀寺城主の松下嘉兵衛之綱に身をよせて、天文22年3月(1533年)より永禄元年4月(1558年)の間、下僕として奉公していたそうです。
藤吉郎が馬草を刈るのに、池のはたで鎌を研ぎ試し切りのため、池に生えた葦の片方へ出ている葉のみを切ったので、それから片葉の葦が生えるようになったという説が「遠州七不思議」のひとつとして残されているそうです。また松葉で手裏剣の練習をしたその松葉がメダカの目に刺さったので、池には片目のメダカが見られるようになったと言い伝えがあるそうです。
浜松市で秀吉の史跡があるとは思いませんでした。
ここから少し上がって東側へ走ると、国道1号線の西側に飯田町があります。
駒塚。源範頼公の愛馬を葬った駒塚です。
駒塚のある道から一本北側の道へ行きました。
龍泉寺の入り口にこんな標柱がありました。飯田小学校は、この奥の龍泉寺の東側にあります。
そしてこの右手に、先ほどの駒塚の主人公の供養塔があります。
行ってみました。
源範頼。源頼朝の異母弟です。この時代の史跡もあるんですね。
さらにここからずずっと2kmほど北へ移動すると、浜松市中央区篠ケ瀬町。増福寺の南西側の道路脇です。
増福寺には江戸時代に落下したと言われる隕石が伝わっています。落下年代は諸説ありますが、1700年前後のことと思われます。隕石は、現在、浜松科学館で展示・保管されています。
アルマゲドンか、それとも未知との遭遇か、はたまた宇宙戦争の前兆か?T・クルーズの出番なのか?
これも史跡と言えますかね。
とにかくいろいろありました。
「浜松市史跡だけ巡り・・・①」終了です。
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