三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【身に付ける「屋根」 日本の雨具・蓑と笠】

2020-11-19 05:49:05 | 日記


雨って、地球創世以来の太古から天から降ってきた。
人間が出現する以前から、生命はそれとどう対応するか、
それこそDNAレベルで「考えて」きた痕跡がわれわれの血肉に格納されている。
どう対応しようかと考えるのは、人類みな普遍の工夫。
人類進化が分化してそれぞれ民族で違いも生まれたのでしょう。
そのなかで日本列島という自然条件で暮らしてきて、
ヒマラヤ出発の偏西風と日本海の水蒸気がこの列島に多雨をもたらす。
結果としてこの地に存在する素材を活用して、雨対策の知恵が蓄積される。
石器時代の雨対策は、たぶん森林や洞穴に逃れることだったと思うけれど、
長い採集生活は、自然界への注意深い探査で素材の特性も見極めていたでしょう。
そういった探究心、工夫の結果、民族的な雨対応文化が生まれてくる。
定住は縄文の世から始まったけれど、漁撈と薪の周辺バイオマス採集に
最適な場所を選定して、生活拠点として家を建てたときその屋根材として
周辺に豊富な「茅場」を確保もしていたと想像できる。
定住革命と同時に「萱」などの繊維利用が開始されたのだろう。
アイヌ集落などでは、集落共同の茅場は屋根材資源確保で必須条件。
まずは家の雨対応策、その確保実現があってそこからさらに雨具が考案された。

日本では雨具は、ながく「蓑・笠」が一般的だったと言われます。
童謡で案山子を揶揄するのに
「天気も良いのに蓑笠つけて・・・」と歌われるほどに日本人の暮らしに根がらみ。
傘も古くから存在していたとされるけれど、なんといっても高価だった。
比較物価的考証では、江戸時代中期頃で1本2万円程度から
安価なものでも5-6000円程度はしたとされています。
それに傘は、手が1本それに取られるので「ながら」労働には適さない。
適度の体動の自由さと、雨水防御を両立させた「笠」はオモシロい。
そしてカラダ全体を覆って動ける「蓑」は、
その素材が藁などの繊維素材でまるで屋根素材そのものであり、
屋根をまとって動き回るというイメージが強かったのではと想像する。
日本列島は先述のように多雨が特徴的な文化圏だと思います。
そしてその気候風土に根ざして萱などのストロー繊維質が自生し、
それを束ねることで防寒性や防雨性を見出して利用し始めた。
そういった無数の先人の知恵にうたれる。
萱などの内部空洞繊維質素材は「防雨」性能の理由が以下のように言われる。
1)茅が厚く葺かれているので、下まで浸み込むのに時間がかかるから。
2)雨で濡れた茅が膨張して隙間を塞ぐから。
3)中のいろりの煙で茅に付いたススが雨をはじくから。
4)棒状の材料を束にしたものによる導水効果で表層だけ水が流れる。
5)ガラス管束を少しずつ隙間を空けた実験で雨漏り防止効果が実証。
・・・というような科学的な解明が進んできていて、深く納得させられる。
日本列島で人々が定住をはじめた縄文の世から
屋根と言えば萱葺きを最上と考える知恵があり続けたのでしょう。
蓑は、それとほぼ同様の発祥であっただろうと推定できます。
雨が非常に多い地域なので雨だから休み、というわけにはいかない。
早くから「水田」耕作を続けてきたので、雨中の労働機会が多かったのかも。
労働を確保するためには、アタマに対して「屋根」をかけて防御して
しかも両手を自由に動作させられる蓑は、革命的だったのではないか。

当たり前ですが、人類の知恵というのは急に進展するのではなく
先祖から連綿と工夫してきている様子がいかにも興味深いなぁと思います。

【いい家とはなにか?/1758年から8代の新潟豪農】

2020-11-18 05:32:12 | 日記



一昨日のブログでムラ共同体での家と戦後ニュータウンでの家の相違、
あきらかに次元を異にする日本の「家」概念にポイントを絞ってみた。
戦後社会が、集団就業の大資本勤労者・農家の次男三男層向けに
「都会でなら誰でも家を持てる」と日本人に普遍的な心理的ロマンを提供し、
都心から遠距離だけれどニュータウンに大量に持ち家を実現させた。
勤労者に約束した「持ち家」は確実に実現したのだ。
しかし、ではそれが「永続する家」であるかどうかは未知の領域だった。
ニュータウンにある家は「末代まで続く家」かどうか、いやむしろ、
多摩ニュータウンが象徴するように戦後社会の幻視になりそうなのだ。

しかし一方で、ムラ共同体の「家」意識の方は健在かというとそうではなく、
その価値感もまた、大暴風とともに消え入りつつあると思う。
写真はそのものズバリの命名ですが新潟の「豪農の館」。
この家はまさに江戸期からのムラ社会での最大の「成功者」痕跡なのだ。
というか、こちらの家は江戸期にさかんに「干拓」を行って、
沼沢地を農地に改良してその所有する土地を広げていった。
やがて結果として小作たちの集住するムラができていった。
なので、一種の農地開発デベロッパーと言えなくもない。
当然開拓した広大な土地はこの家が所有し、小作・農奴が使役された。
そして幕末明治の「階級変動」で全国的に「大地主」層が勃興する中で
最盛期を迎えていった。先に見た「富山の豪農」とまったく瓜二つ。
日本の資本主義が武士の解体と同時進行して「土地が担保価値」という
金融資本主導型の発展に向かった結果、これら大成功者が生まれた。
発足間もない銀行は、まずなによりも「担保」を求め、
江戸期までに土地持ちになっていた階層に対しあらゆる「資本」を提供し
殖産興業に当たらせ、明治新政府側もそういう身分上昇した階層を
あるいは政治家として、資本家として取り込んで日本資本主義を成立させた。
富山の豪農もほぼ同様な経緯で地域の「有力者」になって国会議員にもなる。
明治維新から戦争までの社会は基本的にそのようにして骨格ができた。
それが第2次世界大戦敗戦の結果、農地が開放され「民主化」された。
しかし現代に至るも、基本的には土地こそが基本担保になるというのは
わかりやすい社会経済構造原理だといえるでしょう。


・・・いまこの家は大空間座敷の庭の眺望が話題の「テーマパーク」と化している。
江戸期までの大名家かと見まごうばかりの「系図」がこれみよがしに
展示されているけれど、「偉人」とはどうも素直に受け入れられない。
またこれはムラ共同体社会の成功者典型とは言えない。
住居痕跡としてはむしろ、明治の急激な資本主義勃興期の富の集中痕跡。
ムラ共同体に対しては新興の富豪権力者という存在であり、
その財力に拝跪させられる対象ではあっても、尊崇すべき対象とは思えない。
歴史の中で一瞬光芒を放った階層だが日本的メンタルからは距離がある。

住宅の豪華さのなかに空虚感が漂っている、
こうした「成功者」たちの罪業感が有島武郎のような飛躍行動を生んだ。
太宰治の小説世界的な心象のうつろさを感じるのは、わたしだけだろうか?

【管理が困難な「Apple ID」問題 う〜む】

2020-11-17 05:40:01 | 日記

全国の、いや全世界のMacユーザーのみなさん、お元気ですか?
あ、Win使いのみなさんも(笑)。
わたしが長年、困っていたことがありまして、日曜日に家にい続けたので、
ようやくAppleの相談電話窓口に問い合わせをすることができました。
普段は、「ありゃりゃ」とは思っても、問題を回避し先送りしていたのです。
問題点とは「Apple ID」についてであります。
Macユーザーのみなさんにはお馴染みのAppleのユーザー管理システム。
Winに似たようなものはあるのかどうか、不勉強で知らない。
Macパソコンを新規導入すると、あるいは初期化してOSインストールすると、
必ずシステムの方から問いかけてくるのがこれ。
「Apple IDを入力してください、お持ちでない場合は新規登録してください」
白状するとわたし自身もApple IDは4-5個持っている(泣)、もういらない・・。
登録内容の記憶がメンドイのでつい新しく作ってしまったりしていたのです。

パソコンという性質上、個人ユーザーを想定して
その「管理」をメーカー側として確保するための手段、ルートとして運営されている。
ただOS自体のインストールとか、更新についてはこのApple IDは紐付いていない。
なので、根底的な問題を惹起したりすることはない。
また、多くのソフトウエアは各メーカーごとに管理されているので
Apple IDとはまったく無関係。なので業務上は大きな問題は出ない。
しかし、Macオリジナルのソフトウエア、Pagesなどについては
これが紐付けられているので、それらを使うと頻繁に「最新版にアップデート」という
「親切な案内」が繰り返し発信されてくる。
ここでうっかりアップデートと答えると、Apple ID地獄(笑)が始まる。
当社ではMacパソコンを40-50台程度使用している。
で、各自でOSインストールなども頻繁に行われるのですね。
いちいちApple IDの管理など、考えは及ばない。
結果はたくさんのApple IDの魑魅魍魎とした森が形成される。
スタッフの交代とか、退社などで使用者は当然のように変化する。
そのMacを管理するときApple IDがMac個体に複数記憶されていることになる。
IDとパスワードについては伝達事項で管理しているとしても、
いざそのApple IDを消去させたりしようとすると、
「届け出られた電話(スマホ)に暗証番号を送信しました」という案内が出てきて
今度は、各個人がその時点で登録した電話番号を照合する必要に迫られる・・・。
ご推測の通り、スマホの電話番号まで管理はできていない。
っていうか、そのインストール時点でどういう番号を入力するかは
個人に任せている領域なので、情報を持っていないのですね。
会社貸与のスマホ電話であるとは限らない。個人番号ならばお手上げ。
したがって、そこで追跡は不可能になってしまう。

「こういう問題の回避方法を教えて欲しい」というのがAppleへの問い合わせ。
結果を先に言えば「その通りですね。う〜む」という答え(泣)。
「ひとつの回避方法としてはソフトをいったん消去して、再度インストールされれば」
という提案がありましたが、そのソフトの「環境設定事項」まで削除するのは、
UNIXベースでありいかにもメンドイ作業で、トラブルも惹起しそうなことは確実。
ただ、こういった問題についてAppleでも認識してくれたというのがせめてもの救い。
Macは使いやすくて最近はシステムも非常に安定しているし、
このことで即どうこうもあり得ないので、メーカーさんの対応を待ちたい。
Apple IDという名詞、これでもかと多発してしまった、申し訳ありません(笑)。
アメリカ資本主義、信頼して忍耐するしかない・・・。

【家は末代か一代か? 持続可能な「住宅地」とは】

2020-11-16 05:48:59 | 日記

住宅雑誌+WEBを、主に注文住宅ユーザー向けに発信しています。
そういう情報メディアなので「どう建てるか」という探究がメインになる。一方の
「どこに建て、住むか?」という必須興味分野については前提条件ということで
あまり深く考え込むことは少ない。
気候風土条件としての必須な性能要件もまた普遍的条件の一端。
土地選択はあくまで建て主さんの生き方選択要件であり、
それについては受動的に「受け止める」ということになる。

しかし、自分自身の家づくり・環境選択ではこの
「どこに建て、住むか?」というポイントはきわめて大きかった。
「将来、この地域がどうなっていくか?」というポイントは人生の長期戦略選択。
当たり前だけれど、将来的な「不動産価値」としてきわめて重要。
また多くの住宅取得者にとって「先祖代々」とか地縁血縁条件は希薄になり
住む土地自体、いわゆる無名性の強い「郊外大規模開発住宅地」選択も多い。
そういった無名性条件の拡大が大手デベロッパーやハウスメーカーという
「量の市場条件」に最適化された事業者が業界主流を形成する要因になる。
大量生産・大量消費の資本主義的システムに順応するということになる。
しかし今日、その社会システム自体も「老朽化」してきている。
東京などでもいっときの「ニュータウン」が一斉に高齢化して
やがて地域の流動性発展性が毀損し停滞していくことが問題化している。
多摩地区などが象徴的ですが、それ以外の地域でも
ただただ現在の土地価格条件だけで住宅地の遠距離化が進んでいる。
都心の勤務先への「大量輸送」を前提としてほぼ同一年代のユーザーばかりが
その地域に集住し、その年齢構成のままに地域が衰退するという問題。
メディアとして「注文住宅での好適な環境作り」という視点だけでは
解決しにくい「住宅問題」が浮上してきていると思うのです。

この問題は日本人の伝統的住宅価値感、家の存続というテーマとも関わる。
資本主義的な社会システムとして地方から都市圏に人口移動させ
かれらを労働力として集約することで日本は社会発展してきたけれど、
それ以前の社会システムは、地域共同体「ムラ」社会型であって
地縁血縁が優先されたシステムだった。そこでは家とは永続するものであり、
家系の発展を建築形式で表現したものというのが普遍理解だった。
そういう社会で土地取得が難しい農家の次男3男層が都会に出ていく。
江戸期を通じてそのように社会が機能し江戸は人口調整機能を果たしていた。
ムラ社会では人口が増え続けたが、江戸で独立して伝承可能な
家系を新たに開くというのは、非常な狭き門であり、
そもそも極端に男性が多いいびつな人口構成で、そういう流入人口が
「所帯を持つ」ことは、事実上、非常に難しかった。
江戸期を通じて、そのような人口抑制機能を大都市は果たしてきたといえる。
それが機能した証拠に元禄頃到達の3,000万人口が幕末まで固定された。
明治、また戦後以降、資本主義的発展が進行して、
都市労働力層がふるさとを離れニュータウンに現実に家を持てるようになった。
このこと自体は江戸期からの大きな社会問題の解決ではあったけれど、
しかし田舎のように生産手段・田畑と近接した住宅ではなく、
ただただ、人が住むという機能にだけ特化した住宅であるに過ぎない。
言ってみれば「どう生きるか?」の機能がない住宅なのだ。
働く場所は満員電車で数十キロ先にあってその間を往復する人間環境。
生産手段と切り離されたそういう「集住環境」が永続的かどうかは
まだ、社会的に解明されてはいないというのがいまの現実だと思う。
こういう住宅を子どもたちはふるさとと認識し、永続を願うかどうか?

この問題、社会システムとしてまだ誰も「解」を持っていないのではないか。
そういう不安を感じているのはわたしだけでしょうか?

【明治資本主義の受益層・大地主の茶道趣味】

2020-11-15 05:40:25 | 日記



さて江戸期を通じた富山の豪農・内山家の時間超越取材シリーズ。
あんまりお金持ちの家には感情移入しにくい部分があり(笑)
それほどツッコミすることはないのですが、
長く続く家系記録も参照できたので人間ドラマも見えてくるオモシロさがある。
きのうは1700年代を生きた当代の「旅行趣味」にスポットを当てた。
本日はいまに残っている豪農住宅の建築年代、1868年という幕末明治。
きのう見た1700年代では一時1000石⇒300石まで衰微したものを
600石まで盛り返し、還暦後さかんに旅行を楽しんでいた様子を記載。
で、幕末明治にいたって、この当時は1000石に版図が復元している。
明治期は大地主層が隆盛を極めた時期と言われる。
地方地主層が財力で新興階級としてのし上がっていった。
太宰治など文化芸術分野でも、社会の最有力層として足跡を残し始める。
たぶん太宰の根底にある「不安感」は、急上昇階層の心象特徴なのかも。
たしかにこの階層がどういう「努力」をしたのか定かではない・・・。
個人としての努力をはるかに超えて社会の趨勢があった。
日本は資本主義が勃興するとき、その「担保価値」として土地が最上として
それを根拠とした進歩発展があった。必然的に土地持ちに権益が集中した。
金融資本自体勃興期であり、カネを貸す担保は土地がわかりやすかった。
結局、人の世というのはその時々で支配層は「循環」するのだと思う。
まぁ現代で言えば、さしずめマスメディアなどは
社会的地位としての既得権受益層というように言えるかも。
戦後体制構築の占領時、米民主党的価値感でメディアの第4権力価値を規定した。
・・・おっと、横道。で、この内山家も、家運の最盛期を迎えたようなのです。
この松世さんはその家の財力で資本家として活動を活発化させ、
政治家としても国会議員にまでなっている。地方有力者という存在ですね。

いまに残るこの豪農邸宅で特徴的なのが写真のような茶道趣味。
いかにもワビサビを感じさせる石材選びと、その構成ぶりに
「数寄」こころを強く感じさせられます。
1868年にこの住宅を新築したのは、第11代当主の年彦さんなのですが、
その養子・12代の松世さんは京都に遊学して茶道の師匠についている。
藪内さんという「宗匠」という。Wikipediaで調べてみると以下のよう。
〜藪内流(やぶのうちりゅう)は茶道流派の一つ。
古儀茶道藪内流とも。浮薄を戒め利休時代の茶風を留めているとされるが、
これは紹鴎・利休の侘び茶に織部の武家茶の影響をいれたものである。
庵号は燕庵といい、織部の考案による相伴席付三畳台目の茶室を指す。〜
松世さんは男子の継嗣がなかった先代・年彦の弟の子・甥にあたり、
年彦の娘さんと結婚して家を継いでいる。
父親は内山家から出て別姓を名乗っていて、こういう経緯で本家に迎えられた。
本家の財力が大きく縁者もまた京都遊学の機会を得るほどであったのでしょう。
遊学先は内山家は京都が出自という縁もあったのではと推測できる。
こういった石材へのこだわり、という文化は知ることが少なかったので、
「へえ〜〜」と、オモシロい世界を知った気分であります。
この写真の石材の選別配置・結構についても藪内宗家を招いて吟味させている。
また、藪内家出入りの大工棟梁たちがこの建築を手掛けたとの記録。
北陸富山の「地域性・気候風土」への対応という環境性よりも
京都風の文化権威拝跪型の志向がきわめて強い住環境、住文化。
石材の説明などは写真をじっくりご覧ください。ふ〜む、であります。
人間の最後の興味分野は石だと、昔に聞いていたような気がする。
しかしまだまだ修行が足りず、そういう境地にはほど遠いわたしであります。
あ、石器時代にはたいへん興味が強くなってきている。ひょっとして・・・。