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北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

地蔵盆と七夕 その2

2015-05-24 00:51:06 | 日記
前の記事の「道祖神信仰と結びついた路傍あるいは街角(辻)の地蔵」は、Wikipediaの

記述そのままなのですが、『路地 その1』の記事の中の、阿部謹也さんと中上健次さん

の対談で出てきた高取正男さんの著書『民俗のこころ』(朝日新聞社 昭和47年)に次のよ

うな記述があります。


  正月の「砂道」とか、盆の「精霊迎え」の習俗などに示されているように、正月

  の神さんや盆の精霊さんを「ムラの辻」に迎え、そこから「カド」とよぶ家の母屋

  の前庭まで招じて祭るのが、あの世からの客を迎えるいちばん基本的な、もっとも

  日常的な経路であり、作法であった。辻は外界へ出向くときの出発点だけでなく、

  外から来るものの到着点であり、ターミナルという言葉とも一致する人々の集まる

  ところ、物資や情報の集積地でもあった。

  (中略)

  これらのことは、辻とよばれる地点が、もともとそこから未知の世界のはじまる

  地点であったことを物語っている。現代のわれわれにとってこの世の果てといえば

  、それは天空の彼方、宇宙の果てを意味しているが、かつて生産と消費、ないしは

  交易の単位としての村落共同体が強く生きていた時代は、人びとにとってのこの世

  の果ては、まことに近いところに存在した。


「砂道」というのは、あまり聞き慣れない言葉ですが、別の記述に次のようにあります。


  砂道というのは、正月にカドとよばれる家の前庭、屋敷の出入口付近に白い砂を

  撒き、ていねいなところでは、辻などとよばれる内の一定の場所や、墓地か

  ら家のカドまで砂を撒く風習である。現在では、ただの清めの砂と解され、銀閣寺

  東求堂前庭の銀沙灘のような装飾として、家ごとにいろいろな模様に砂を撒くだけ

  になっているところも多いが、これは、もとは盆の道刈りといい、お盆のときに寺

  や墓地の草を刈り、道をきれいにするのとおなじで、神や祖先の霊を家に迎えて

  祭るための用意であった。扉写真の宇治田原の旧家でも、毎年、年の暮れに山の

  きまった場所から採ってきた白い砂岩をつぶしてきれいな砂をつくり、これをカド

  に立てた松の周囲に撒いて白洲をつくり、同時に砂岩のかたまりを大釜さんの蓋の

  うえにのせるということで、カドの松と白洲、台所の大釜さんの榊と白い砂岩とは

  、それぞれ一対のものになっている。

  正月にカドに立てるカド松は、「門」の字をあてて書くために、誤解をうけやすい。

  京都の町などで、子供がカドで遊ぶとあぶない、というときのカドは、家の玄関口

  ないしは戸口と道路の接点部分である。カドとよばれる場所は、「門」という字が

  あてはめられるような屋敷の出入口の部分ではあるが、門そのものではなく、実際

  にはもっと広い範囲をさしている。とくに農家にあってカドというと、それはたい

  てい南向きになっている母屋の縁側から道路のほうを見て、その前庭から屋敷への

  出入口につづく、かなり広い部分をさしており、そこは脱穀調整をはじめとするた

  いせつな農作業場であると同時に、神を迎え、あるいは祖先の霊を迎えて祭る儀式

  の場であり、祭場の役目をもっている。


「砂道」の「白い砂」については、このブログの『沖縄粟国島のハチウクシ行事』の写真

と『沖縄の「神の道」』の記事を御覧下さい。




  引用文ばかりで長くなってしまいました。地蔵盆と七夕 その3 につづきます。




追記  「門付け」の「門(カド)」は玄関や入口の「門(もん)」ではなく、「庭(ニワ)」

     なのかも知れません。「白洲」は、奉行所(つまり裁判所)や能舞台に出てくる

     のですが、それが何故なのかは、以前より思案中です、、、。


  

コメント
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