北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その1

2015-09-01 11:23:27 | 日記
「喪われた悲哀」と「愛されない能力」、どちらも、あまり聞きなれない日本語です、、、。


どんな個人でも、たとえそれが国家であっても、出来るのならば破綻とか破滅とかの一種

カタストロフィーのような状況は回避したいのが人情か、、、。(わざわざそんなものを好

んだりする個人や国家ってあるのか知らん、、、?)


北海道で住宅などの設計をしていると、人間というのは贅沢なもので、暖房の場合の快適

な温度の幅、つまり「スウィート・スポット」は、案外と狭いことが判ってきます、、、。

およそ22~23℃くらいでしょうか、、、。それも直接22~23℃の空気が風として身体に直

接あたったりすると具合が悪い、「寒い」とクレームになってしまいます。できれば輻射熱

として22~23℃くらいに感じると具合が良いようです、、、。人間の身体というのは、空

気とか床材などに直接に触れて、自分の身体から、自分の熱が奪われると、不快に感じる

ように出来ているのでしょうか、、、? 何かに触れても熱を奪われさえしなければ、それ

だけでも暖かく感じてしまうから不思議です、、、。(それが「生きている」ってことなのか

も知れません、、、。)


総理大臣などの政治家とか、日銀総裁などの金融機関の人とか、旧大蔵省とか現財務省の

役人の人たちの大きな仕事の1つは、財政とかいろんな意味で、この国家の快適温度とで

も言うべき「スウィート・スポット」を大きくは「はずさない」ことかな? とも思うのですが

、残念ながらこれは普段から相当に意識して事に当たらないと、なかなか上手くはいか

ない事柄なのかも知れません、、、。どうしても世の中と言うのは、時間が経てば経つほ

ど、ある種の「負のエネルギー」のようなものが、だんだんと「滓(おり)」のように溜まって

きてしまうようで、これが溜まりに溜まってしまって、ある限界点を超えると、あとは一

方通行路、もう引き返すことは出来なくて、短時間のうちに破綻つまり「カタストロフィ

ー」に陥って、最後は破滅です、、、。


第二次世界大戦で戦勝国にならなかった側の国、つまり敗戦国になってしまった代表的な

国が二つあるのですが、(このブログの『最近』の記事の中で、『木村尚三郎さんと言う方

の「ゲルマン的十字路」と「ラテン的十字路」の違いについて触れた文章があって、「ゲ

ルマン的十字路」と言うのは、町はずれの、ここで別れたら一生会えないみたいな「悲し

い十字路」で(どうも日本は「別れの一本杉」じゃないけどこちららしい、、、)、一方

「ラテン的十字路」は、みんなが出会って楽しいなみたいな「広場みたいな十字路」だと

言うのです。これには参りました。』と書いた二つの国です、、、。) このどちらの国

の、その構成していた一人一人の国民?の心の問題として、「喪われた悲哀」と「愛されない

能力」があったのではないか? と言われています。



ミッチャーリヒ夫妻 「喪われた悲哀」





左が奥さんのマルガレーテ・ミッチャーリヒさん、

図面の筒のようなものを2本抱えている右の旦那

さんのアレクサンダー・ミッチャーリヒさんは、

残念ながら設計士さんではありません、、、。



渡辺一夫さん 「愛されない能力」





駒込のご自宅の書斎でしょうか?




            「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その2 につづきます。 
                
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