北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その5

2015-09-12 17:55:34 | 日記
  
   二


  人々のうちには、この物語にあるような異常な出来事は現実の子供の世界にはあり

 得ないと思っておられる向きがあるかも知れない。だからそうした人々の疑惑を一掃

 するために、私はここにシュテーケルの『若き母への手紙』の中から、ある実際に起

 こった出来事を彼が述べている箇所を引用しておきたいと思う。

「満五歳になるお嬢さんのあるところへ、新しく赤ちゃんが生まれたので、今まで我

 儘一杯に育てられたお嬢さんは眼に見えて無視されるようになったのです。するとあ

 る日、このお嬢さんは母親に向かってこう言ったのです。『母ちゃん、あたいもう生

 きていたくないわ。天国へ行ってしまいたいの。あたいなんかどうなったっていいん

 でしょう。だって母ちゃんにはもう赤ちゃんがあるんですもの。』この小さなお嬢さ

 んは赤ちゃんが生まれてから三箇月後に水に飛び込んで死のうとしたのです。その動

 機はと言えば、この幼い競争者に対する嫉妬だったのです。」

  子供が嫉妬から自殺する!かかる悲劇は人が想像する以上に多い事を先ず知らねば

 ならぬが、ではそれはどういう風に説明されたらよいのであろうか。---子供たちが

 時として親の愛をめぐっていかに烈しい文字通り命がけの競争関係に這入り込むかは

 、不幸にして多くの「愛ある」家庭においてさえ十分に知られていない。子供は自己主

 義者であり、いつも自分が世界の中心であり主人公であろうとしている。子供は人を

 愛する前に、ただひたすら人から愛されんことを求めている。それもただ愛される

 だけでは十分ではなく、ほかの誰よりも以上に独占的に愛せられんことを望んでいる

 のだ。だからもし今まで人の注意と愛情とを一身に集めていたような子供が突然自分

 が閑却され無視されていると思い初めると、その子供は恐ろしい屈辱とひけめとを感

 じ、その競争者に対して強い憎悪と嫉妬との心を抱くに至るのである。今まで行儀の

 よかった、おとなしい子供が、新しいきょうだいが生まれてくると急にむずがり屋に

 なり、乱暴と反抗とによって親にさんざん厄介をかけるようになるのも、所詮「自分

 のことを構ってくれない、自分をもう可愛がってくれない、自分は弱者の地位に蹴落

 とされた」という僻みのさせる仕業に外ならない。この差別感が昂じると、子供はそ

 の競争者と親とをどっちも憎悪し、進んで彼らに殺意を抱くと共に自分を無きものに

 して彼らに復讐しようと決意するに至るのである。親やきょうだいの死を願い、想像

 の中で親殺しやきょうだい殺しをして鬱憤を晴らしている子供というものは意外に多

 いものだ。親やきょうだいが本当に死んだとき、それが自分の所為だと思ってひそか

 に自責の念に駆られている子供も往々ある。子供の世界における死の役割は、大人が

 考えているよりも遙かに強大で切実で真剣なものである。遊戯における死の真似事と

 実際における死の行動とは紙一重である場合が多いのだ。

  かくて、嫉妬からの子供の自殺は、子供が大勢いるような、特に「愛ある」家庭にお

 ける「秘蔵っ子」の存在とその地位保持者の権威失墜とから誘発される子供の悲劇の場

 合に外ならぬことがわかろう。それは一口に傷つけられた自我の反抗の最後の絶望的

 なあらわれとでも言えようか。




           「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その6 につづきます。



 
追記  「例の庭」の手入れをする林達夫さんです。


    
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「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その4

2015-09-12 14:48:21 | 日記

林達夫さんの、『子供はなぜ自殺するか』という文章です。林達夫さんの文章は、書かれ

た年月日にいつも驚かされるのですが、この文章が書かれたのは昭和12年、1937年

です。すこし長いので4つに分けて載せます、、、。




  子供はなぜ自殺するか

     ---あんまり不幸だと自殺する子供もある(にんじんの言葉)---



  一


  シャルル=ルイ・フィリップの『小さき町にて』の中に、『アリス』と題する小さ

 な短編がある。アリス・ラルチゴヲという可愛らしい女の子がどうして自殺するに

 至るかのいきさつを描いた物語であるが、自殺する子供の心理の一つの場合を見事

 に照明しているから、先ずその荒筋を述べさせて貰いたい。

  ---このアリスという子は七つになってもどうしても学校へ上がろうとしない。

 いくら親が手を換え品を換え説いてみても、子供らしい口実をあれこれ構えて首を

 ふり、果てはこういって親をおどしつけるのである。

  「あたいを学校にやるんなら、あたい病気になって死んでしまうわよ。」

 ラルチゴヲのお上さんはこの四年間に子供を三人も生み、その三人とも生後一週間で

 失くしているから、死という言葉を聞いただけで彼女はびくびくして、ついそのまま

 アリスを学校にやらずにいる。

  アリスは一日じゅう家中で暮らしていて、決して戸外へ出ようとしない。それば

 かりでなく母親が少しでも家事に忙殺されていると、必ず邪魔を入れて接吻を求めた

 り膝の上に上がろうとする。夕方の食事はアリスにとっては恐怖のひとときである。

 母親の配慮が姉や兄たちの上に及んでいくのに我慢ができないからだ。アリスは母親

 の注意を自分の上に惹きつけるために、いつも次の極まり文句を言う。

  「ねぇ、母ちゃん、アリスが一番おとなでしょ、ねえ。」

 そこへある日のこと、ラルチゴヲの家にまたしても子供が生まれたのである。初めの

 うち、彼女はそのことを別に気に揉んではいなかった。三度の経験で、弟というもの

 は生まれて一週間もすれば死ぬものだと信じ切っていたからである。ところが一週間

 たつと彼女はそろそろ気がかりになり出してきた。赤ん坊は一向に死にそうな気配を

 見せない。アリスは毎朝目を覚ますと、不思議な質問をするようになった。

  「母ちゃん、赤ちゃんはもう死んでて?」

 母親は殆ど一日じゅう赤ん坊に掛かりきりになっているので、アリスの心中に起こっ

 ていることに気づかず、こんな質問も姉妹の情愛からだとばかり思っていた。

  その母親に娘の本心がわかったのは、ある朝お乳をおいしそうに呑んでいる赤ん坊

 を見ていて、アリスが急にこう言ったときである。

  「母ちゃん、赤ちゃんにおっぱいやっちゃいやだ。」

 赤ん坊に母親の愛が奪われたと思い初めたアリスは、やがて誰かが弟を殺すといいと

 望みはじめる。赤ん坊に毛布をかけている母親にこんなことを勧めたりする。

  「口と鼻の上まで掛けてやるといいわ、そうすると赤ちゃんは息がつまるわ。」

 やがて赤ん坊がどこまでも完全に生命を維持してゆくのを見ると、堪りかねて叫んだ。

  「あたい、一番ちっちゃい子になりたい、一番ちっちゃい子になりたい。」

 そしてその日の夕、みんなをびっくりさせる恐ろしい宣言をしたのである。

  「赤ちゃんが死なないなら、あたいが死ぬわ。」

 みんなの心配と歎願との中で彼女はこの言葉を守り通す。アリスがこの世で過ごした

 最後の幾月、彼女は一日じゅうじっと小さな椅子に腰を下ろしたきりで、何も言わず

 、何も食べず、暗い二つの眼ざしで母親の一挙一動を追うだけであった。「彼女は復讐

 したのだ。彼女は母親が自分から奪い取って弟に与えた全愛情に復讐したのだ。彼女

 は七つで嫉妬で死んだ。・・・・・」こう作者はしまいに注釈を附け加えている。




             

            「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その5 につづきます。



追記  画像がないと淋しいので、、、。この文章

    が載っている、平凡社 林達夫著作集6

    「書籍の周囲」 1972年 です、、、。


    

    
      

  
 

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