北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

休憩 飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)

2015-09-09 13:09:42 | 日記
なんだか、「喪われた」とか「愛されない」とか「殉死」とか「自殺」とか、写真も無表情のもの

ばかりで、ブログ全体か暗くなってきてしまったので、休憩を挟もうかと思います、、。


折口信夫少年は13歳のとき(明治33年、1900年)、祖父の造酒ノ介の、もともとの

養子先でもあった、奈良県明日香村の飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)に、生まれ

て初めての一人旅をします、、、。(そこで神社なのに、藤無染(ふじ・むぜん)と言う

青年僧侶と出会ってしまうんですけど、、、。)



この写真中央の「こんもり」した森の神社です。





鳥居です。(西を向いています。) 階段をあがった突き当たりに社殿はなくて、ぐるっと

まわった所に、南向きの社殿があります。(少し変わった、めずらしい配置?)






右手の道は「みの手」でしょうか、、、。比較的ひらけた平野部分に突き出たような小さな

「山」に神社が立地しているところは、大分県の宇佐八幡などと同じで、全国の愛宕山など

と似ています、、、。(というか、元祖に近いんでしょうか、、、?)



Google Mapです。






飛鳥寺や来迎寺があります。折口信夫少年は旧国鉄の畝傍駅か香久山駅から歩いて行った

のでしょうか、、、?(明治33年に近鉄南大阪線の橿原神宮前駅なんて無かった?)



飛鳥坐神社は、奇祭と呼ばれている「おんだ祭」でも有名なのです。








柱が邪魔で、肝心なところが良く見えません、、、。



これならどうでしょう?










でも、この「福の神」ならぬ「拭くの紙」って、どういうタイミングで、どんなふうに使うと

ご利益があるんでしょうかねぇー、、、?




追記  飛鳥坐神社の祭神は加夜奈留美命(かやなるみのみこと)で女性のようです。 

追記の追記  青年僧侶と出会ってしまったのは神社ではなく、当時の国鉄桜井駅?






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「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その3

2015-09-09 02:26:41 | 日記
折口信夫さん(釈迢空)の歌集「古代感愛集」( こだいかんないしふ)より、

「幼き春」です、、、。



   幼き春


  わが父に われは厭はえ

  我が母は 我を愛(メグ)まず

   兄 姉と 心を別きて

   いとけなき我を 育(オフ)しぬ。

  童(ワラハ)にて 我は知りたり――

   まづしかる家の子すらに、

   よき親を持ちて ほがらに

  うれしけき日每遊びに、

   うちあぐる聲の たのしさ。


  陰深き家の 軒べに
 
   其(ソ)を見ると 彳(タヽズ)み居れば、

   おのづから 爪咋(ク)はれつゝ。

  よき衣(キヌ)を 我は常に著(キ)
 
   赤き帶 高く結びて、

  をな子の如く裝ひ ある我を

   子らは嫌ひて、

  年おなじ同年輩(ヨチコ)の輩(ドチ)も

  爪彈きしつゝ より來ず。


  たゞ一木 辛夷(コブシ) 花咲き

   春の日の ほろゝに寒き
 
   家裏の藏庭に居て、

  つれ/″\と、心疲れに
 
   泣きなむと わがする時――

 
   隣り家(ヤ)と 境(サカ)ふ裏戶の
 
   木戶の外(ト)に 人は立たして、

  白き手を 婉(タヨ)にふらせり。

 
   我が姉の年より 長(タ)けて、
 
   わが姉と 似てだに見えず

  うるはしき人の立たして、
 
   我を見て ほの/″\笑める――。

 
   しば/\も、わが見しことを

  今にして、思ひし見れば、
 
   夢の如 その俤(オモ)薄れ
  
    はかなくも なりまさるなり


  もの心つけるはじめに

  現(マサ)しくも 見にける人
 
   年高くなりぬる今し、

  思へども、思ひ見がたく いよゝなり行く



   反歌

  春早き 辛夷の愁ひ 咲きみちて、たゞに ひと木は すべなきものを




折口信夫さんの家系図です。(父が秀太郎、母が「こう」、叔母が「ゆう」と「えい」。)



先妻                  ┏あゐ
 ┃                  ┃
 ┣━━━彦次郎     秀太郎    ┣静
 ┃            ┃     ┃
彦七            ┣━━━━━╋順
 ┃            ┃     ┃
 ┣━━━造酒ノ介    ┏こう    ┣進
 ┃     ┃     ┃      ┃
とよ     ┣━━━━━╋ゆう    ┣信夫
       ┃     ┃      ┃
      つた     ┗えい    ┣親夫
                    ┃
                    ┗和夫


(何度直そうとしてもずれちゃうので、正確にはウィキペディア見てください、、、。

お父さんの秀太郎さんは、河内国の名主の次男で、女系家族の折口家に養子で婿入りした

人なんですね、、、。おじいさんの造酒ノ介さんも、奈良県明日香村の飛鳥坐神社の神主

の家が出身で、やはり養子で婿入りのようです、、、。『私どもの家は、留守ごとの心躍

りを、最微妙に感受した女たちの家なのであった。』、、、、。)



折口信夫さんの、7歳下の双生児の弟の「親夫と和夫」の実際の母親は、戸籍上の母親の

「こう」ではなく同居していた叔母の「ゆう」だと云われています、、、。折口信夫さんを

母親のように育てたのは、やはり同居していたもう一人の叔母の「えい」さんらしくて、

折口信夫さんは、最後まで自分の母親が本当は誰なのか、判らなかったのではないでしょ

うか、、、? もう「四項関係」云々以前の話です、、、。


       
       
     18歳のときの折口信夫少年です、、、。


     


     この3年前の15歳、父親の秀太郎が亡くなった年、

     何度か自殺を試みています、、、。この写真は当時の

     技術でしょうが、多少は修正してあるのかも知れませ

     ん、、、。本当は、右目の上に「痣(あざ)」があったの

     です、、、。(「痣」というよりは「聖痕stigmata」?) 
                    



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