もちろん、成田の飛行場にさえ行った事のない僕にとって、イタリアのフィレンツェは
地球の裏側、住んでる場所の緯度が少しは近いのかな?と言うだけ、、、。20年以上前
だったか、ある会社のモザイコだかインタルシオだかが載っているカタログを取り寄せた
らば突然眼に入ったのが、この写真の内装。それから、てんやわんやで、さぁ大変。
そのカタログの説明には、こう書いてある、、、
フィレンツェの中心に位置するメディチ家礼拝堂、旧廟の内部。ブルネレスキ
の設計によるもの。コシモ・ディ・メディチ、フェルナンドⅢ世の墓が設けら
れている。床と壁面すべてを埋め尽くす、壮大なるインタルシオの連続。天井
にはヴェンヴェーヌのフレスコ画。荘厳なパースが、訪れる者を威圧するかの
ように広がる。インタルシオの歴史的背景がうかがえる、貴重な建築だ。
あわてて彰国社の西洋建築史図集を引っ張り出してみる。「メディチ家礼拝堂」で載ってい
るのは、50ページの、こんな感じの小さな白黒写真の一枚きり、、、。
西洋建築史図集の説明は以下の如し。
5. メディチ家礼拝堂、サン・ロレンツオ教会堂、フィレンツェ。ミケランジェロ
・ブオナルロティ(1475-1564)、1521-34。
巻末の図版解説には
50-5.メディチ家礼拝堂、フィレンツェ Cappella midiceo (Sagrestia
Nuova)、S.Lorenzo、Firenze (Michelangelo Buonarroti). ブルネレスキ
によって設計されたサン・ロレンツオ教会堂の古い聖器室(1421-34)
と一対をなすもので、約12メートル角の室に小ドームをかけた凹所がつき、
そこに祭壇がある。イストリア産の黒石、白大理石、および煉瓦下地のスタッコ
壁で構成され、各種の建築的要素はきわめて彫刻装飾的にとりあつかわれ、開か
ない窓、その下に押しつぶされた戸口、切れたペジメント、切りはなされたコー
ニスなど、後期ルネサンスの法則から逸脱しているが、しかもそれはそれなりに
完全な比例と調和をもたらし、ヨーロッパには稀な、すぐれた茶室にのみ見られ
るような緊迫した「さび」のある空間をつくり出している。右手の壁には、ジュリ
アノ・デ・メディチの坐像と石棺の上の夜と昼の像、左手にはロレンツィオ・デ
・メディチの坐像と夕と暁の像がある。ミケランジェロの最初の建築作品である
が、建築と彫刻作品と同じ程度に作者の個性的表現としてしまう彼の力量と、
建築をバロック的様相に誘導していく直前の、異様に静止した彼の様式を示す
ものとして重要な作品である。
ブルネレスキとミケランジェロでは、エライ違いだ。違いすぎる。ブルネレスキはフィレ
ンツェの、サンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラも設計しているけど、
捨子保育院(スペダーレ・ディ・サンタ・マリーア・デッリ・イノチェンティ)も設計し
ているわけで、、、
いくらなんでも、一番上の「料理の鉄人」みたいな内装の写真とでは、建築の趣味が違い過
ぎませんか、、、? 一体どうなっているの、、、?
料理の鉄人
鹿賀丈史さん、 坂井宏行さん、道場六三郎さん、陳建一さん
メディチ家礼拝堂(Cappelle medicee) その2 につづきます。
追記 それにしても ミケランジェロによる新しい聖器室の解説の
『すぐれた茶室にのみ見られるような緊迫した「さび」のある空間』って
凄い解説ですねぇー、、、。