北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

メディチ家礼拝堂(Cappella mediceo) その7

2015-11-19 14:39:37 | 日記
ブルネレスキは、     1377年生まれ-1466年没、


ミケランジェロは、    1475年生まれ-1564年没。


2人は同時代を生きていません。かすりもしていません。


マッテオ・ニゲッティは、 1560年生まれ-1648年没  (1570年生まれ?)


ですから、ミケランジェロとは、ぎりぎりかすっているかどうかです。270年くらいの

間に3人は入れ替わり立ち代わり、生まれては亡くなっています。(ミケランジェロの

新聖器室と図書館の階段をミケランジェロ亡き後に完成させた、『芸術家列伝』の著者の


ジョルジョ・ヴァザーリは、1511年生まれ-1574年没


ですから、ほぼ後半のミケランジェロと重なっています。)




ジョルジョ・ヴァザーリ Giorgio Vasari

Lives of the Most Excellent Painters, Sculptors, and Architects






建築の注文主であるパトロンのメディチ家の当主?(教皇?)も、


 ジョバンニ       1360年生まれ-1492年没

 コジモ         1389年生まれ-1464年没
   
 ピエロ         1416年生まれ-1469年没

 ロレンツォ       1449年生まれ-1492年没

 ピエロ         1472年生まれ-1503年没

 ジョヴァンニ      1475年生まれ-1521年没 (ローマ教皇レオ10世)

 アレッサンドロ     1510年生まれ-1537年没 (庶子、暗殺、断絶)


 途中いろいろあって(と言うか、よくわかんない、、、)


 フェルディナンド1世   1549年生まれ-1609年没

 コジモ2世        1590年生まれ-1621年没

 フェルディナンド2世   1610年生まれ-1670年没


 と、まだまだ続くのですが、、、(肝心の『君主の礼拝堂』の依頼主が誰だか、もう

 誰が誰だか良く判りません、、、。一応、建物と当主の年表を自分では作ってみたの

 ですが、、。こういうの苦手、、。)



270~300年くらいの間だけでも、何人ものパトロンと建築家が、入れ替わり立ち

代わり、生まれては死んで(たぶん建築家だけでも、ここに書き出した4人どころか2倍

か3倍以上の人数でしょう)、そして、その誰一人として、このサン・ロレンツオ教会堂

とメディチ家礼拝堂の最終的な姿を眼にしていないのです。(だって、正面のファサード

は2015年の今現在でも、まだ未完成? 工事中? のままなんですから、、。)




未完成? 工事中? の正面ファサードの壁。






                    
           メディチ家礼拝堂(Cappella mediceo) その8につづきます。




追記   日本建築でこういう建物ってあるんでしょうか? 僕にはすぐには思い浮かび

     ません、、、。









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