Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム )の Guglielmo da Volpiano は
イタリア語では グリエルモ・ダ・ ヴォルピアーノ と読むみたいで、英語表記だと William
of Volpiano なんでしょうか ? Volpiano は、北イタリアのトリノの近くの地名らしくて、、、
トリノ市の北北東10kmほどに ヴォルピアーノ Volpiano とあります。( 地図の右上 )
トリノは FIAT フィアット の街ですから、近接するヴォルピアーノは、現在では自動車
関連の金属加工などの産業も盛んな地域のようです。
Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム )さんは、962年に、前述の
Isola di San Giulio ( イーソラ・サン・ジュリオ)で生まれて、1032年にフランスの
ノルマンディーの Fécamp(フェカン)という町(フランスのルノー系列のスポーツカー
メーカー『アルピーヌ』の本拠地 Dieppe ディエップ の近く)で亡くなったようです。
修道士でしたが、Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム )さんは、
トリノ市の 西 20kmくらいの、スーザ渓谷という渓谷の入り口の南側の絶壁の上に建って
いる サクラ・ディ・サン・ミケーレ( Sacra di San Michele )修道院 という、修道院の
建物を設計した建築家( ? )だったようなんです、、、。
この地図の左端の赤い印が サクラ・ディ・サン・ミケーレ( Sacra di San Michele )修道院
右上の ヴォルピアーノ Volpiano が、Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム )
さんが、当時の住んでいた在所 ? 30kmくらい離れていたんでしょうか、、、?
Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム )さんは、 建築家と言うよりも、
増改築工事の『発願(ほつがん)』から、その資金集めの『勧進(かんじん)』、同じく
増改築工事の敷地の選定、地盤の確認、建築の設計、構造計画の検討、資材および材料の
調達、労働力の確保、賃金の支払いからスタッフの教育・育成、施工計画の立案から安全性
の確保、、、などなど、全て 、、、??? (『増改築』としたのは、すでに以前からの何ら
かの建物なり、放棄された廃墟なり、遺跡などがあっただろうと考えられるからです。 )
その サクラ・ディ・サン・ミケーレ( Sacra di San Michele )修道院
ドローン4K映像
Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム ) その3につづく