9月9日(金曜日)
暑くなった。
朝涼しいうちに少し第一畑の草取りをしたり、
ゴーヤやキュウリのクネ倒しを行ったがはかどらず。

暑くなってきた。
車の点検が有ってディーラーへ1時間程かかったので本1っ冊読めた。
帰ってすぐに、いきがい大学パソコンクラブに

本日から、EXCELを学習。

本日は小生が講義を担当。基本の部分を中心に行う。
初めての方も多く、楽しかったらしい。・・・・
10月は本格的に資料作りを行う。
帰り路、図書館に寄って7冊返却、新しい本5冊
・・・
を借りてきた
。
孫は参観日だったらしい。


帰ってきて我が儘を言っていたが、いつの間にか寝てしまった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日は[菊の節句]
9月9日を重陽の節句というが
私は”桃の節句”と”端午の節句”しか知らない。
***
***うんちくを調べると

重陽の節句の起源は、ほかの節句と同様古来中国にさかのぼることができます。
中国では、奇数は縁起のよい陽の数とされ、
一番大きな陽の数である九が重なる9月9日を、
「重陽」として節句のひとつとしてきました。
中国ではこの日、茱萸(しゅゆ=ぐみの実のこと)を
袋に入れて丘や山に登ったり、
菊の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払い
長命を願うという風習がありました。
これが日本に伝わり、平安時代には「重陽の節会(ちょうようのせちえ)」として
宮中の行事となり、江戸時代には武家の祝日に。
その後明治時代までは庶民のあいだでもさまざまな行事が行われていたといいますが、
残念ながら今では私たちの日常生活とは縁遠くなってしまいました。
旧暦の9月9日というと現在では10月にあたり、
ちょうど田畑の収穫も行われる頃、農山村や庶民の間では栗の節句とも呼ばれて
栗ご飯などで節句を祝ったということです。
さかんに行われていた重陽の節句が、現代に引き継がれていないのは、
旧暦から新暦にこよみが移り、まだ菊が盛んに咲く時期ではなくなってしまったことが大きいのかもしれません。
★そうなんだ!菊の節句には未だ菊が満開ではないんですよ!・・・・
************************************************
菊の節句をめぐって
重陽の節句は別名、菊の節句とも呼ばれます。
宮中行事としては天皇以下が紫宸殿に集まり、
詩を詠んだり菊花酒を飲んだりしてけがれを祓い長寿を願いました。
また、菊の被綿(きせわた)といって、
重陽の節句の前夜にまだつぼみの菊の花に綿をかぶせて
菊の香りと夜露をしみこませたもので、
宮中の女官たちが身体を撫でてたりもしたといい、

枕草子や紫式部日記の中でもその風習をうかがうことができます。
中国では、菊の花には不老長寿の薬としての信仰があり、
鑑賞用としてより先に薬用として栽培されていたようです。
漢方でも薬効を認められている菊の花の種類は少なくありません。
その意匠が皇室の紋章ともされている菊は、
まぎれもなく日本を代表する花といえますが、
そのルーツは、薬用として中国から伝わったものでもあるようです。
薬用ということはさておき、日本では食用の菊花もさかんに栽培されています。
日本で菊を食材とするようになったのは、室町時代のことらしく、
現在では青森県、秋田県、山形県などの生産地を中心に、
さまざまな菊料理がつくられています。
*************************************************************************
春夏秋冬と季節が美しくうつりゆく日本では、
気候の変り目の祝祭日のことを節日(せちび・せつび)といい、
お供え物をしたり行事をおこなって祝ってきたという歴史がありました。
この節日の供物、
「節供(せちく)」という言葉が、節日そのものを指すようになって「節句」
ということばになったともいわれます。
よく五節句というように、現在にも五つの節句が伝えられています。
1月7日、七草粥で新年を祝う「人日(じんじつ)の節句」
3月3日、ひなまつりとして有名な「上巳(じょうみ・じょうし)の節句」
5月5日、男の子の成長を祝う、こどもの日「端午(たんご)の節句」
7月7日、おり姫、ひこ星の物語で有名な「七夕(たなばた)の節句」
9月9日、菊花の香りの酒で月をめでる「重陽(ちょうよう)の節句」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
七夕も節句なんだ!


朝涼しいうちに少し第一畑の草取りをしたり、
ゴーヤやキュウリのクネ倒しを行ったがはかどらず。


暑くなってきた。

車の点検が有ってディーラーへ1時間程かかったので本1っ冊読めた。

帰ってすぐに、いきがい大学パソコンクラブに


本日から、EXCELを学習。

本日は小生が講義を担当。基本の部分を中心に行う。
初めての方も多く、楽しかったらしい。・・・・

10月は本格的に資料作りを行う。
帰り路、図書館に寄って7冊返却、新しい本5冊




孫は参観日だったらしい。



帰ってきて我が儘を言っていたが、いつの間にか寝てしまった。



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今日は[菊の節句]
9月9日を重陽の節句というが
私は”桃の節句”と”端午の節句”しか知らない。
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重陽の節句の起源は、ほかの節句と同様古来中国にさかのぼることができます。
中国では、奇数は縁起のよい陽の数とされ、
一番大きな陽の数である九が重なる9月9日を、
「重陽」として節句のひとつとしてきました。
中国ではこの日、茱萸(しゅゆ=ぐみの実のこと)を
袋に入れて丘や山に登ったり、
菊の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払い
長命を願うという風習がありました。
これが日本に伝わり、平安時代には「重陽の節会(ちょうようのせちえ)」として
宮中の行事となり、江戸時代には武家の祝日に。
その後明治時代までは庶民のあいだでもさまざまな行事が行われていたといいますが、
残念ながら今では私たちの日常生活とは縁遠くなってしまいました。
旧暦の9月9日というと現在では10月にあたり、
ちょうど田畑の収穫も行われる頃、農山村や庶民の間では栗の節句とも呼ばれて
栗ご飯などで節句を祝ったということです。
さかんに行われていた重陽の節句が、現代に引き継がれていないのは、
旧暦から新暦にこよみが移り、まだ菊が盛んに咲く時期ではなくなってしまったことが大きいのかもしれません。
★そうなんだ!菊の節句には未だ菊が満開ではないんですよ!・・・・
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菊の節句をめぐって
重陽の節句は別名、菊の節句とも呼ばれます。
宮中行事としては天皇以下が紫宸殿に集まり、
詩を詠んだり菊花酒を飲んだりしてけがれを祓い長寿を願いました。
また、菊の被綿(きせわた)といって、
重陽の節句の前夜にまだつぼみの菊の花に綿をかぶせて
菊の香りと夜露をしみこませたもので、
宮中の女官たちが身体を撫でてたりもしたといい、

枕草子や紫式部日記の中でもその風習をうかがうことができます。
中国では、菊の花には不老長寿の薬としての信仰があり、
鑑賞用としてより先に薬用として栽培されていたようです。
漢方でも薬効を認められている菊の花の種類は少なくありません。
その意匠が皇室の紋章ともされている菊は、
まぎれもなく日本を代表する花といえますが、
そのルーツは、薬用として中国から伝わったものでもあるようです。
薬用ということはさておき、日本では食用の菊花もさかんに栽培されています。
日本で菊を食材とするようになったのは、室町時代のことらしく、
現在では青森県、秋田県、山形県などの生産地を中心に、
さまざまな菊料理がつくられています。
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春夏秋冬と季節が美しくうつりゆく日本では、
気候の変り目の祝祭日のことを節日(せちび・せつび)といい、
お供え物をしたり行事をおこなって祝ってきたという歴史がありました。
この節日の供物、
「節供(せちく)」という言葉が、節日そのものを指すようになって「節句」
ということばになったともいわれます。
よく五節句というように、現在にも五つの節句が伝えられています。
1月7日、七草粥で新年を祝う「人日(じんじつ)の節句」
3月3日、ひなまつりとして有名な「上巳(じょうみ・じょうし)の節句」
5月5日、男の子の成長を祝う、こどもの日「端午(たんご)の節句」
7月7日、おり姫、ひこ星の物語で有名な「七夕(たなばた)の節句」
9月9日、菊花の香りの酒で月をめでる「重陽(ちょうよう)の節句」
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七夕も節句なんだ!

