学校の図書館で勉強してきました。本を読んだだけですけどね。日本語ですけどね。
貸出不可の本だったので、図書館に籠らざるを得なかったのです。
120ページの論文だったのですが、必死にメモを取りながらだったため、100ページしか読めず、残りは明日に持ち越し。5時までしか図書館がやってなかったのでございます。
活用すべき2つの参考文献が新たに発見できたので、まあ収穫はあったと言えるでしょう。
ところで、最近、研究生活(と言えるほどのものではないけど)からドロップアウトすることをよく考えます。自分はどう考えても向いていない気がするのです。能力がないのはとりあえずおいといて、無気力だというのが大きい。ぼくは勉強しないんですよ。今日はたまたま図書館で本を読んできましたが、要するに、嫌な勉強は全くしないんですよ。でも、語学は絶対にしなくてはいけないのです。でも、嫌なんです。それに、難しい本は読みたくないのです。でも、読まざるを得ないのです。
昔から、勉強ができないのがコンプレックスでした。勉強ができない、というのは、テストの点数が悪いという意味ではなくて、勉強をすること自体が稀だった、ということです。小学校のときはみんな勉強しないでしょうけど(受験生は別だが)、中学に入ってもぼくは宿題以外はやらず、それで高校受験に失敗して、でもそれが無念だったから、高校では勉強してちゃんとした大学に入ってやろうと思ったのですが、けど夜は10時に寝ていたくらいだから客観的に見るとそんなに勉強していたとは言えず、で、死ぬ気になって勉強したことがないまま今日まで来てしまいました。なんか、勉強しなくてもテストはよかったから、勉強したらすごいんじゃないか、と昔からよく言われていたのですが、もうぼくははっきりと分かりました、違うのだ、と。ぼくは努力ができないクズ人間なのです。努力に耐えられない、勉強ができない、コツコツ何かをやり続けることができない、結局のところ大成しない人間の典型なのです。
そしてもう一つの問題は、このマイナス思考。この自信のなさ。人の優れているところを見たとき、大成する人間は、なにくそ、と思って努力します。でもぼくは一気に自信喪失です。もうやだ、もうやめた、と投げ出し、奮起しない。どうせ自分は駄目だから・・・と最初からあきらめてしまうし、大きな達成を味わおうという志がない。全部で10巻以上ある雑誌を全ページコピーしたという人がいて、その話を聞いたとき、ぼくはああもうおれはだめだ、と思いました。そういうことをやろうとする志がない。うちにはそんなコピーの束を保管できる場所はないので、そもそも全てコピーしてしまうという発想がない。志が低いんですよ。たぶんその人は志が高くて、大成する人間なんでしょう。RPGで言えば、必ずレベルを99まで上げて最強パーティを作るタイプです。ぼくもゲームではそうしていましたが、それというのも兄がそうしていたからで、自分の発想ではないのです。むしろ、ぼくの興味は最低パーティを作ることにありました。いかに低いレベルでクリアするか。こっちの方に面白味を感じてしまう。まあしかし、最低パーティだって完遂すれば立派なもんです。ぼくの駄目なところは、妥協してしまうところ。まあこれくらいはいいだろうと思って、ちょっとレベルを上げてしまうんですよね。なんてばかなやつ!そうだ、必要があっても妥協してしまい、簡単な方へと流れてしまうんです。必要がある。しかし困難もある。偉い人は必要のためには困難を突破します。しかるにぼくはと言えば、困難があると分かればもう諦めてしまうのです。その困難がどんなにハードルが低くても、です。
研究者になる。しかしその前には困難がある。で、ぼくはもう諦めてしまっているわけです。努力ができないから。そういうタイプの人間だから、と。なんてクズ野郎なんだろうなあ!ほとほとうんざりですよ。言い訳ばかりして生きて、逃げて、逃げて、逃げて、お先真っ暗です。生命線の長いのが恨めしい。
貸出不可の本だったので、図書館に籠らざるを得なかったのです。
120ページの論文だったのですが、必死にメモを取りながらだったため、100ページしか読めず、残りは明日に持ち越し。5時までしか図書館がやってなかったのでございます。
活用すべき2つの参考文献が新たに発見できたので、まあ収穫はあったと言えるでしょう。
ところで、最近、研究生活(と言えるほどのものではないけど)からドロップアウトすることをよく考えます。自分はどう考えても向いていない気がするのです。能力がないのはとりあえずおいといて、無気力だというのが大きい。ぼくは勉強しないんですよ。今日はたまたま図書館で本を読んできましたが、要するに、嫌な勉強は全くしないんですよ。でも、語学は絶対にしなくてはいけないのです。でも、嫌なんです。それに、難しい本は読みたくないのです。でも、読まざるを得ないのです。
昔から、勉強ができないのがコンプレックスでした。勉強ができない、というのは、テストの点数が悪いという意味ではなくて、勉強をすること自体が稀だった、ということです。小学校のときはみんな勉強しないでしょうけど(受験生は別だが)、中学に入ってもぼくは宿題以外はやらず、それで高校受験に失敗して、でもそれが無念だったから、高校では勉強してちゃんとした大学に入ってやろうと思ったのですが、けど夜は10時に寝ていたくらいだから客観的に見るとそんなに勉強していたとは言えず、で、死ぬ気になって勉強したことがないまま今日まで来てしまいました。なんか、勉強しなくてもテストはよかったから、勉強したらすごいんじゃないか、と昔からよく言われていたのですが、もうぼくははっきりと分かりました、違うのだ、と。ぼくは努力ができないクズ人間なのです。努力に耐えられない、勉強ができない、コツコツ何かをやり続けることができない、結局のところ大成しない人間の典型なのです。
そしてもう一つの問題は、このマイナス思考。この自信のなさ。人の優れているところを見たとき、大成する人間は、なにくそ、と思って努力します。でもぼくは一気に自信喪失です。もうやだ、もうやめた、と投げ出し、奮起しない。どうせ自分は駄目だから・・・と最初からあきらめてしまうし、大きな達成を味わおうという志がない。全部で10巻以上ある雑誌を全ページコピーしたという人がいて、その話を聞いたとき、ぼくはああもうおれはだめだ、と思いました。そういうことをやろうとする志がない。うちにはそんなコピーの束を保管できる場所はないので、そもそも全てコピーしてしまうという発想がない。志が低いんですよ。たぶんその人は志が高くて、大成する人間なんでしょう。RPGで言えば、必ずレベルを99まで上げて最強パーティを作るタイプです。ぼくもゲームではそうしていましたが、それというのも兄がそうしていたからで、自分の発想ではないのです。むしろ、ぼくの興味は最低パーティを作ることにありました。いかに低いレベルでクリアするか。こっちの方に面白味を感じてしまう。まあしかし、最低パーティだって完遂すれば立派なもんです。ぼくの駄目なところは、妥協してしまうところ。まあこれくらいはいいだろうと思って、ちょっとレベルを上げてしまうんですよね。なんてばかなやつ!そうだ、必要があっても妥協してしまい、簡単な方へと流れてしまうんです。必要がある。しかし困難もある。偉い人は必要のためには困難を突破します。しかるにぼくはと言えば、困難があると分かればもう諦めてしまうのです。その困難がどんなにハードルが低くても、です。
研究者になる。しかしその前には困難がある。で、ぼくはもう諦めてしまっているわけです。努力ができないから。そういうタイプの人間だから、と。なんてクズ野郎なんだろうなあ!ほとほとうんざりですよ。言い訳ばかりして生きて、逃げて、逃げて、逃げて、お先真っ暗です。生命線の長いのが恨めしい。