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熱帯スイレン越冬



熱帯スイレン「ロイヤル・パープル」の今日の様子。
冬場ずっと屋内に取り込んでいました。
水をはったこの状態で。

ネットでは熱帯スイレンは越冬が難しいという意見もあり
初めての体験で、ずいぶん心配はしたんですが
屋内に取り込むだけで無事に越冬できました。
7月から11月まで毎日咲いてくれる貴重な植物です。
去年、この花はハートヒーリングのページの
トップを飾ってくれました↓



デカルトvsレンブラント



前にもバロック絵画の巨匠レンブラントの
こうした非常に奇妙な絵について話題にしました。
https://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/10f662986298bd5f1d2fe98d466e3f19

こんな伝説があるそうです。

ある日、デカルトがいつものように場に向かおうとすると
かっぷくのいい若者に目がとまった。
この若者が、皮をはがれた雄牛をスケッチしていたからである。
デカルトが「なぜそんなものを描いているのだ?」と尋ねると
若者が次のように答えたという。
「あなたの哲学は、われわれから魂をとり去ってしまいます。
ところが私が絵を描けば、魂を呼び戻すことができるのです。
たとえ、相手が死んだ動物でもね」と。
この若き芸術家はレンブラントだったという。
Paul Strathern


デカルト(1596~1650)とレンブラント(1606~1669)は
同時代人。レンブラントはオランダ・ライデン生まれで
若き日はライデンにアトリエがあった。
デカルトは1628年以降、約20年オランダで活動。
1637年、ライデンで著書『方法序説』を公刊。

伝説のようなことが実際にあったかどうかは別にして
同時代、同地方の空気を吸っていた。

さてレンブラントが雄牛をスケッチするために
場に姿を現していたのはいいとして
近代哲学の祖であるデカルトは
何のために場に通っていたのでしょうか?

解剖学の研究を進めるために
近くの場に通いつめもした。
場からの帰りには
コートの下に様々なものを隠していたいたという。
家でひとりで解剖するための標本である。
Paul Strathern


むかしヴィラモの知人の医師に
手術って気味が悪くないですか怖くないですか?と尋ねたら
ただの器官ですからという返事
つまりモノとして見ているから冷静でいられるということです。



それがこれですね。レンブラントの「解剖学講義」(1632)。
黒い衣装の医学博士は冷静に解剖しながら
医師たちに講義している。
デカルトが自分でもいっぱい動物を解剖し
人間の解剖にも立ちあったり
解剖図をたくさん見ているうちに
肉体には魂はない、肉体は動物であれ人間の身体であれ
ただのメカニズム、機械のようなモノと感じてくるのは
現代の医師にも通じるごく普通の感覚かも知れません。



身体をモノとみなし精神とは別物と考える
デカルトの二元論はこういう死体解剖が
基盤にあるのではないでしょうか??

僕は毎日いつも生きているネコのウリ、ミカをなで
毎日生きている柴犬アミを散歩につれていき
毎日生きている鳥を観察し
毎日生きている植物たちの世話をします。

でも毎日動物たちの死体を解剖していたら
僕だって動物には精神はなく
ただのメカだと感じるように
なるかも知れません・・・