目標4キロダイエットを宣言したからには途中報告もしてみる。
ただいまの結果は+1㌔増量中である。
お菓子にしても何にしても増量中というのは魅力的な響きであるが、これは体重である。
目標マイナス5キロに変更である。
規模がでかくなった。人生何事も目標を大きくを持つことはいい事である。
今後も目標を壮大に増やしていきたい。(ダイエット失敗の言い訳にしてはなかなかカッコイイ言い回しである)
それにしても東京は3月、暖かくなった。
この時期、毎年地震の震度体験というものがある。一度も体験したことが無いが、会社のわりと近所で(スカイツリーの近く)毎年やっていて2名ずつ参加するのである。
今年は珍しく誘いがきたが断った。昨年の実体験でまた地震酔いが始まったら厄介である。
地震酔いとは高層ビルで地震に遭遇した人に多い 特有の、揺れてもいないのに「地震だ!!!」と
揺れている錯角を起こすもので、実際は自分の鼓動による振動だったりする。なかなか厄介な後遺症である。
断ったが私の実体験は東京震度5強。だがオフィスの揺れと被害を気象庁の震度被害のデータで調べると食器棚など家具類が倒れ、壁がはがれたりひびが入るのは震度6辺りが該当していたから 6体験である。
その地震体験のものは震度7を体験しなくてはならない。
そういうわけで先輩の YさんとS田さんに いますぐ体験させるからと テーブルの上に乗せられた。
なにが始まるのかと思いきや
二人がかりで激しく机を揺らし始め「震度7~~~~!!!!!」とか言っている。
40半ばも過ぎた男性である。
アホらしすぎて私は硬直していた。
「どう?震度7の脅威は?」とYさん。
「はぁ・・・たいしたこと無いです・・・」頭のほうがたいしたことある様であったが言えず、生ぬるい回答でさっさとすめくくると逃げてきた。バカが写移るといけない。
中国四千年の歴史
S田さんが中国出張から戻る。中国といっても
上海や香港、バングラディッシュを想像してはいけない。重慶である。
観光地ではない。日本軍による大量虐殺の行われた地で 良い土産品などは一切無い。
毎回、デンジャラスな食料うを買って来るが、結局、皆1つ食べて終わりである。
一番まずいのがチョコである。 全体的にアレだが 一番まずかったのは甘すぎるとかのレベルでは無く
石鹸と正露丸と草の味がした。 月餅も日本でヤマザキが出してるような物は全くの別物で 本場のは到底食べれない。が 社員でKさん一人がうまいと食べていた。
他は皆、食えないと言った。私も無理であった。
小さなカニもまずくて食えなかった。あんな味にするならカニを殺害しないで欲しい。
論外はウジだか蚕。黒くなって粟泡を吹いていた。課長が買ってきたが誰一人として食わなかった。命にかかわりそうである。
と このざまだから毎回中国土産は買わなくていい!!!と言い、なにか買ってくるのである。
が、今回は日本の空港でロールケーキを買ってきていた。
食べるという意味では安泰であったが 変な中国土産も見てみたかった自分である。
そして お茶である。まあまあ美味しいお茶であった。
さて、仕事中で睡魔と闘っていた私である。今 15:45
ようやく何とか意識を戻したのである。
目を覚ますために大好きな芸術の話をしたいが、こそこそ書いているため
身近な話にする。
絵画に興味をもったのは
と もうあと10分で4時!仕事が全く片付いておらず、山積みになっているので
そろそろ仕事に取り掛かるとする。
美しき芸術・美術
やはり私は可愛い、美しい物が好きである。スィーツでも可愛らしく色とりどりに彩られたもの、斬新なデザインの物、さまざまなスィーツが目も心も癒してくれる。
今日は200円のお金が発生したので見た目につられて苺のポッキーを買った。
正直、苺のポッキーはそんなに好きではないが、箱と中身がピンクやレースのデザインで魅かれたのである。
ダイエット?私はどうせ痩せないからいいのである。
そして今日は所長がお菓子を差し入れしてくれた。
フルーツが彩、大変に華やいでいる。
満腹である。これを食べた後、同期のS君が、ホワイトデーの返しにとケーキをくれたのである。
これもキャンドルみたいなデザインで大変に可愛くさりげなく大人びたお洒落感がある。
S君はそういう物を選ぶのが上手いのである。
箱の中もフルーツの形にカットされこれがまた可愛くてお洒落である。
満腹であったが、こういった心遣いが嬉しいのである。
こういった物も私は食べたさより、見た目重視して買ってしまう事が多い。色彩、デコレーション、ゴージャスなものを好む傾向があるように思う。
絵画も同じである。お気に入りの画家はやはり鮮やかな色彩のが多い。
もちろん例外もある。例外は後日話すことにして今日は華やかなお気に入りの話である。
このブログを見ていると私の趣向がだいたいわかりそうであるがハデにゴチャゴチャとしていそうで 品のある鮮やかで華美な物を愛でる傾向にある。
中学時代からはまったベルサイユのばらの影響が強いかもしれない。
その時代からロココ芸術、フランス文化に歴史に大きな興味を持ち始めるようになり
特に衣装や豪壮華麗な建造物、そして絵画が少女時代の私を心を駆り立てた。
絵画には今は見れない、18世紀の色とりどりのドレスに身を包んだ美しい貴婦人や令嬢の肖像画をはじめ、とにかくロココ絵画の優美で柔らかな光あふれる色彩の絵画が私の心を虜にしたのである。
またそれの影響か、色と表現を抑えたバロックにも興味を持ち、興味は広がる。
イタリアで花咲いたルネッサンス文化も心奪われた。
ダ・ヴィンチの絵画も重厚な重みがある中に溶け込むようにして存在する美しすぎる女・・・。
サンドロ・ボッティチェリの細やかな、小さな小さな草花が色放つ生命力と絵画の中で息吹くのは神々しい美の神々。
フィリッポ・リッピ 重厚さを感じつつも淡く柔らかく感じる色彩は、描かれた神々の柔らかな優しい表情から生まれるものかもしれない
ラファエロ・サンティ 私が初めて衝撃を受けた。女性や天使のの美しさと可愛さ!その第一印象で目を覚ますような美の衝撃を受けた。
そしてロココ絵画である!
絵がまるでグラウサンの音楽でも奏でているようである。
当時の肖像画も素晴らしいが
特に私はこのロココ絵画の中でフラゴナール、フランソワブーシェが大好きである。
フラゴナールの絵画は、妖艶な表現も愛らしい表現も見られる18世紀当時の人々がまさにキャンバス越しに生きている。
人間の心の内部まで表現され、エロティシズムを強く感じる。
ふら
フラゴナールの絵の入った香水 バラヴェルサイユ
そしてフランソワブーシェ
ブーシェの描く絵画の中はまさに春の声明あふれるばかりに輝く光と自然の色彩。
そして大変に愛らしい目をした美しすぎる女性達。
美しい黄金の髪、陶器のよう輝くピンクがかった肌に、薔薇をちりばめたような頬。
だが女性や天使が美しいだけではない。壮大な歴史と物語が絵画のなかから大きくうごめき、見る者を飲み込んでしまう。
絵画を見ているのではなく 絵画の中に広がる世界に入り込んでしまっている。
この画家を支援していた
当時のルイ15世の寵姫、愛くるしい美貌で賢い頭脳を持った彼女の肖像画も残しているが
素晴らしく美しく可愛い。まるで女神のようである。
肖像画も大好きである。特に王妃・マリーアントワネットである。
美貌の王妃と同年の、これまた美貌の女流画家ヴィジェ・ルブランによる肖像画が大変に美しい。
そして当時はいかにレースや様々な生地のドレスの質感・光沢を表現できるかがポイントとなったらしいが
彼女の肖像画は可愛さもさることながらこう言った点で高く評価され 王妃のお気に入りとなり沢山の肖像画を残している。
以下は違う画家のもの
ヴィジェ・ルブラン 自画像 本人も美貌
彼女の娘の肖像こちらも愛らしい。
と
今回は自分の好きなものを紹介したのみであまり日記らしくない。
絵画と言えば
よく子供の絵は 何物にもとらわれない素晴らしき自由があるよよく大人たちは言う。
そうかもしれないが、絵画力が無いだけとも思える気がする。あくまで個人的な意見であるが
見る側の判断である。見るそれぞれ感じ方も評価も異なる。 だれにどういう影響を与えたか・・・が重要になると思う子供の場合も。
それで一応私も子供の絵を意識して見る。子供と言ってもここで話題にしているのは幼児の事である。
よく母の日が近くなるとスーパーなどで おかあさん の絵を描いた子供の絵が沢山張り出されている。
これを見るのもいい。なんだかわからない中に これが目・・・口・・・と表現しているのがわかるものもある。
主張する意識がつよくてそれもいい。
全くわからない物もある。何を表現したいのか そもそも表現する気が無いのかもしれない。彼ら わからない組は
お前らの為に描いてるんじゃねぇ!!自分が何か描きたいからそれを無心に描いてんだ!!!タイプであろうか。
何物にもとらわれない自由。 大人が言うのはコレの事か。
なぜ何かと聞く?形を描かないといけないのか?
と言う意見もあるかもしれない 現在アートの抽象的なまったくわからない芸術・・・あれに似ている
誰にどういう評価・・・ではなく 自身の気の向くままに・・・。野性的感性か
なるほど、子供とは面白い!!!と勝手に解釈し感心した。
高校生の頃、イトコHが幼児で 母の日に一生懸命わけのわからない絵を描いていたから
上記の事を意識し、どのタイプなのか・・・何描いてるの?と聞いてみたことがある。
「ねこ」
子供には母の日は関係ないようである。
しかし、凄い表現力をもつ幼児がいた!!!もう9年前にもなるが
スーパーで母の日におかあさんの絵が展示されていた中に一際目を引く肖像画が展示されていた。
それを見ただけで 描かれた女性の容貌、表情そして内面までがすべて見て取れる、わかるのである。
そして幼き画家も女性・・・母に対する想いと日常のやり取りが
絵画の前で繰り広げられているようであった。
感動した。その時期はその絵画を見るのが楽しみで買い物に行った。
原画が無いので記憶を頼りに再現した。
ぼくのおかあさん
最高の名画である
ルネッサンスに匹敵すると思う。
見えないツノまで描かれ、中世絵画なら神や女神宗教意識、現在なら天使の羽を描く・・・そういった幻想的な要素を園児がすべて表現しきっている。
大人ではこうはいかない
素晴らしい!!!!!!
これがもし私ならこんな斬新な表現ですべてを表すのは無理である。私ならこうである
わたしの、ほいくえんの せんせいのしょうたい
どうであろうか?なんの表現力もない。まったく何も感じない ただの人 である