
寒くなるとね。
お出迎えも億劫になるわ。
ストーブ前。

赤に染まる女。

はあー、あったかい。

ここに電気ストーブ置くのは一時的。
もう少し寒くなったら石油ファンヒーターに切り替える。
しかし、今年はと言うより「今」ものすごく灯油高いのとそれと買いに行くのが頻繁にできないので、一時的が長くなるかもしれない。
敷物の下もアルミシートを敷こうと思っているので、今日昼から買いに行こうと思っている。
とにかく出来ることはしようかと。
今朝、和歌山県北部で震度5弱の地震があった。
うちのあたりは震度2だったようが、結構揺れを感じた。
ちょっとまた怖くなる。
しばらくガタガタ震えた。
一気に記憶がよみがえるもんだと思う。
これ以上、起きませんようにと願う。
気分を変えて今日は、ここ最近読んだ本で一番よかったものを。
「とくもかくにもごはん」小野寺文宣著
こども食堂に集まってくる人たちの物語。
私としては「子ども食堂」のニュースを見るたびに運営などの課題や問題点があるだろうなとずっと感じていたんだけど、この本はさまざまな視点から書かれていて「ああ、こういった風に受け入れればいいんだ」と。
子どもは無料、大人は300円。
それならば、かなりの人が来るのでは?と言う疑問もあったけど、それなりの人数になるようだ。
多くの取材をされて書かれていると思う。
この本の中では「連絡先」を書くようになっていた。
それが利点ににもなっているけど、また問題点にもなっていた。
最後はうまくまとめられていてとても心温まる物語。
「食」と言うものを考えさせられる話だった。
息子がこの前、帰省してきたときに彼女の家との「食卓」の違いを話していた。
うちは結構「取り皿」が出る家庭だし、大皿盛りをしない場合は一人一人に何皿か用意する。
彼女の家はその「取り皿」がないらしい。
ご飯の上に取ったおかずをのせるのだとか。
びっくりしたと言っていた。
「いいじゃない。洗い物少なくて」と言うと「うーん」と言っていた。
一緒に住むうちに混ざり合ってその家庭のルールが出来てくる。
うちよりもっと「取り皿」が多いのがうちのおとーさんの実家だ。
ひとりひとりに何皿も分けて並べる。
うちの実家は、取り皿が各自好きなように取れるように母がいつも食卓に積んでいた。
そうそう、お店のように。
母は、飲食店に長く勤めた名残かと。
それが混ざってなんとなくうちの食卓になった。
実家でやっていたように皿を出すと残って使わないのも洗わないとだ駄目なような気がするし、おとーさんの実家のように何枚も目の前に並べるのもなんだかなと。
中間のような感じ。
息子の彼女の家の食卓はなかなか新鮮だわ。
それもまた良しだと思う。
聞けばお母さんはいらっしゃらないそうだ。
そういえば私の父は、「お重」「お膳」の料理が好きだった。
うちの実家は、仕出しで使うようなお重箱が何セットかあり母が祝い事があるといろいろと料理を作ってひとりひとりに詰めていた。
そんな家もあんまりないと思う。
私とおとーさんの結納の時、実家でしたんだけど朝から母と一緒に料理を作ってそのお重に詰めた。
最近まで義母はどこかで料理を取ったのと思っていたらしい。
実はなんでそうなったのかは、義母の「堅苦しいことはしないで家で『唐揚げ』でもあげてください」と言う発言からだったんだが・・・。
そんな恥ずかしいことできないわとうちの母が奮闘した結果、どこかの料理屋で取ったようなのになった。
義母は簡素にしてくれと言ったのにと内心むっとしたらしい。
でも、確かに唐揚げって言うのもな・・・。
この時点から二人の仲は悪い。
それでもさ、もう結婚してから30年近くたとうとしている。
母はもう今はあんまり料理は作らない。
私はひそかに息子の彼女の家の食べ方「いいやん」と思っているんだが・・・(私の大嫌いな洗い物が少なくていい)
皿が欲しければ、息子が用意して息子が洗い物すればいい。