馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

朝の来ない夜はない。

2011-01-10 16:23:35 | 日記

                                            

110日(月)成人の日 娘が成人式だった当事のあの日

雨と風が激しく晴れ着を装いタクシーで行った。

式典終え早々に帰宅したのを覚えている。

なので、娘の着物姿は数分垣間見ただけだ。

仕事、ダンスに忙しく嫁にいく気配無し。

午睡から覚めて窓のカーテンを開けると

陽春のひかりが満ち溢れ部屋に射しこんだ。

妻は洗濯物を取り入れ部屋で整理

娘は今日はダンスがお休みなで部屋に閉じこもっている。

私の狭く乱雑な部屋にも強い冬の陽射で熱く

Tシャツ一枚でパソコンに向かう。

住まいの最上階20階まで足腰鍛えるために階段で上がる。

冬空は青く晴れていて廊下から見下ろす街並みは沈黙している。

この市街に暮らす人々はそれぞれが小さな営みを持ち

日毎繰り広げるドラマがあって、喜びと哀しみを投影している。

誰でもみんな一人ぼっちで生きていかなけばならない宿命なのだ。

妻との何ももの無い一日が幸せなのだ。

太陽の温もりを一杯詰め込んだ蒲団で今夜は眠る。

朝の来ない夜は無い。

                    


42年前の後遺症

2011-01-10 08:58:25 | 日記

1月9日(日) 昼間は暖かかった。18時馬喰町駅ホームで電車待ち

右手の小指、薬指、中指の指先平の部分に激痛が走る。

何だろう、ハッ!と気付く、後遺症だ。

久しぶりに発症した。

42年前 大学山岳部冬山合宿、北アルプス白馬岳登頂を目指したが

5日間の猛吹雪に雪洞に閉じ込められ登頂断念、

体感温度10℃以下の吹雪の中を下山した。

飛騨側から吹き付ける突風は重いリュックごと吹き飛びそうで

ピッケルでしっかりと氷に突き刺し降りた。

しかし、右手手袋の指は汗を掻き、握ったピッケルの鉄の部分が

指に凍りついた。幕営地に着いた時右手、右耳、右足の親指に

反応がなくなっていた。安全地帯のスキー場まで来ると

トランシーバーで連絡してリフトを動かし、私は縛り付けられ

降ろされた。直ぐに信濃大町の病院へ入る。

その後東京慈恵会病院にて治療、幸い指切断にはならなかった。

この登山ルートは2年前にも先輩が凍傷で指切断していた。

直るまでに二ヶ月かかったが医師より、後遺症として

寒さによっては今後も生涯痛みが出ることがありますと

告げられていた。

ここ10年以上痛みは無かったのだが、

船橋駅から降りて漁港から吹く風で右耳も激痛が走る。

やっと癌の疑い晴れて安心したのだが、心身の疲労が

溜まっているのだろうか?