10月25日(木)墨田テラスでの釣りから戻ると
携帯電話に弊社で仕事していた中国人女性からメールがきた。
メール文を読んだ。
お疲れ様です!
本日の午後1時30分に母が永眠しました。85歳でした。
最後に、癌を見つけてから、一週間も持たなかったね。
土曜日に帰国する予定していたが、間に合わなかった!悔しいです。
10年前に両親が来日して、社長にお世話になりました。
三商で体験した事を忘れずに、私が帰国すれば、必ず西瓜的老板は元気ですかって聞かれます。
本当に良い思い出でしたね。ありがとうございました!
何十年も病気と戦って来ましたが、今度は急に天国へ行きたくなったのか?
わざと負けて、娘の願いも聞かずに、急いで行ってしまいました。
まぁ、これでやっと痛み苦しみから解放されて、良かったと思わなくてはいけないですね。
悔いは残りますが、どんなに思いがあっても、頑張ってやっても、親に対して、死んでいく者に対して、悔いは残るでしょう?!
親に感謝する気持ちもずっと残ります!
母の代わりに、ありがとうございました!
帰国して、色んな事を順調に進めば、来週末に戻る予定です。
何をやるすべきか全く解らないです。
また、連絡をします。
上海から日本に彼女は28歳の時やってきた。
日本で就学も仕事もできるという甘事に乗せられて
北海道の雪深いホテルで働かせられた。
辛くて自殺未遂もした。
東京に逃げて不法滞在で強制帰国になった。
それでもめげずに来日して永住ビザを取得。
弊社で働いた。
それから中野でスナックを開いた。
http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/33f8d5a405d812dddf034c00cc5daad8
両親を日本に招いた。
両親は娘が弊社で楽しく働くのをみて大喜びだった。
父親はウイグル族、母親は漢族
娘は大陸で差別を受けた。
父親は戦後日本のスパイだとして牢獄に入れられた。
そんな波乱の人生を気の強さで乗り越えた。
彼女は日本が大好きで恩返ししたいという。
9月に反日で中国に暴動が起きて心配で母親に電話したところ
母親は反日暴動が起きていることすら知らなかった。
一般人民にとっては関心がなく日々の暮らしで精一杯なのだ。
彼女は反日を叫ぶ中国人を身勝手と切り捨てた。
そのように叫ばなければ生きていけない人がいるのです。
悲しいです。
私の会社には南京出身の女性もいた。
彼女の父親は共産党員だが娘は中国が嫌いだった。
日本人のように協調、助け合い、団結が出来ない。
中国人は強制しなれば固まれない
砂粒で握っても毀れてしまう。
彼女は現在アメリカサンフランシスコで中国人の旦那と子供一人と暮らしている。
中国には戻りたくないと言う。