(9)おもいでの夏(字幕版) おもいでの夏 別れ続きです。
映画では続編が制作され、少年3人の青年期が描かれている。
おもいでの夏
続おもいでの夏が制作された。
概要は以下
少年期の異性憧憬とナイーブな心情を描いた、ロバート・マリガンの「おもいでの夏」の続編。製作・監督は「西部無法伝」のポール・ボガート、脚本はハーマン・ローチャー、撮影はアンドリュー・ラザロ、音楽はデイヴィッド・シャイアーが各々担当。出演はゲイリー・グライムス、ジェリー・ハウザー、オリバー・コナント、デボラ・ウィンタース、ウィリアム・アザートン、サム・ボトムスなど。
Summer of '42 (FILMING LOCATION) - Michel Legrand (1971)
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ストーリー
1944年、第二次大戦は連合軍のノルマンジー上陸で勝利のきざしを見せ、世界に平和が訪れようとしていた。ハーミー(ゲイリー・グライムス)、オスキー(ジェリー・ハウザー)、ベンジー(オリバー・コナント)の仲良し3人組も、44年度の卒業生として高校を巣立っていった。ベンジーは海兵隊、ハーミーとオスキーはウエスト・ブランフォード大学に入学し、初めて両親のもとを離れて下宿生活を送ることになっていた。大学が始まると、ハーミーは新聞部に入部するために、部室に編集長を訪ねた。そこでジュリー(デボラ・ウィンタース)と編集長が対立していた。翌日、食堂でハーミーはジュリーに会った。お茶をさそう彼に、彼女は「呑む必要はないわ。文章の書き方で困ったら電話ちょうだい」といって出ていった。そんなことがきっかけになって2人の間に愛が芽ばえていった。一方、チャッカリ屋のオスキーが、女人禁制の下宿に女を連れ込み、金をとって次々に友達に抱かせたことがばれ、退学になった。オスキーは陸軍に入隊し、ハーミーのもとから去っていった。そんなある日、突然、ハーミーの父が心臓マヒで急死するという不幸が起こった。葬儀のために家に帰ったハーミーの家に軍服姿のオスキーが訪ねてきた。その夜、2人は町に出て盛大に酒を呑んだ。死んだ父のために乾杯し、親友ベンジーのために乾杯した。酔いがまわるにつれて、ハーミーは父の死を初めて実感として受けとめた。翌日、オスキーは軍隊に帰り、ハーミーは大学へ帰っていった。ウエスト・ブランフォード駅に降り立ったハーミーを、ジュリーが車で迎えに来ていた。「試験はパスしてたわ。おめでとう」。ジュリーのやさしさに、ハーミーを涙をこらえることが出来なかった。44年の夏はやがて終わろうとしていた。
その後女性の76歳
美しいですね。
La Vida y El Triste Final de Jennifer O'Neill - MATRIMONIOS DOLOROSOS Y ACCIDENTES TERRIBLES
少年期の男の子は、3人組の仲良しがあるものです。
思春期の好奇心旺盛旺盛です。
その心身成長をとおして青年として混沌社会に出て行きます。
それぞれの人生を歩む。
私も大学山岳部を経て、実践社会へ飛び込みました。
波乱万丈の道程でしたが、幸運にも生き続ける。
リツコさんとの突然の別離。
大学キャンパスではラブゲーム。
やはり房総の海辺で別離。
サラリーマンになり、上司の不正を追及
交際して女性がいたが、上司と嫉妬に裂かれた。
軽食喫茶で皿洗いの屈辱人事命令。
失意の時、山岳部先輩の紹介で交際。
やっと、心の安定を得て壮年期に入った。
50代、仕事で平塚へ出かけた。
平塚海岸近くのレストランで商談。
終えて、平塚海岸の別離の堰堤に佇んだ。
リツコさんが住んでいた小さな戸建て集落は
集合住宅になっていた。
リツコさんは一切家庭生活を語らなかった。
私が撮った写真は、リツコさんの希望であった。
推測するに、豊かな家庭ではなく、自宅電話も無く
カメラもなかったのだろう。
海原から寄せる白波、砂浜の置き去りにされた
朽ち果て釣り船。
私も置き去りにされた悲愁。
リツコさんは84歳。
知る術はない。
【MAVIC MINI 3】平塚海岸【空撮】