馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

父と幼い娘の束の間の絆。

2020-11-30 07:02:42 | 日記
舞浜から乗車した若いお父さんと幼い娘。
ディズニーで遊び疲れた娘は、お父さんの膝枕で
寝息だ。
父と娘の慈愛。
父と幼女の短い年月での絆。
本能であろう。
少女期に至り、父親とは距離を置く。
かなり前、深夜 世界の鉄道番組を見た。
何処の国の列車か思いだせないが
ボックス席で栗色の髪の少女横たわり安穏と眠る。
床には大型犬が、下からじっと見守る。
何者も邪魔させないと慈しみの描写だ。

パパと仲良し仔ライオン in 桐生が岡動物園

乳児期における父親の役割
母親は、乳児に話しかける際には、繰り返すリズムで、ソフトに、なだめるように話す。父親は言葉を多く用いて、子供の体に触れて、はっきりとした言葉で話しかける[5]。子供は、母親の顔を見ると、心が落ち着いて脈や呼吸の数が少くなり、父親の顔を見ると、楽しい遊びを期待して脈や呼吸の数が増える[6]。その結果、子供は遊び相手として、父親を好むようになる。ただしストレスの大きい場面では、母親を選ぶ[7]。父親によるこうした刺激は重要であり、乳児の脳に健康な発達を促し、子供の社会的発達、精神的発達、知的発達に永続的な良い効果を与える[4]。


乳児期に子供が愛着の関係を樹立する相手は、母親に限らない。たいていの乳児は、母親にも父親にも愛着を示す[2]。子供が愛着を示す相手は、独立で同等である[8]。「安心の愛着」を樹立した子供は、その後の発達のテストにおいて高得点を取る。乳児期に確立された愛着の効果は長く続く。


父親が、子どもの出生直後から子どもに充分に支持的に関与すると、子どもに良い影響を与え、生後7ヶ月の時点や生後3歳の時点で、子どもの言語発達はより良好となり、子どもはより高い知能指数IQを持つようになる[9]。


アメリカ合衆国政府が出資した教育プログラム Early Head Start (早期ヘッドスタート「さい先の良いスタート」)は、妊婦や乳幼児を対象として、アメリカ国内で行われている[10]。このプログラムの主要な内容の一つは、父親が乳幼児への関与を増やすことである[11]。


幼児期における父親の役割
幼児期には、子供の行動範囲はさらに拡大する。しかし同時に、行動には制限が必要となる。この両者の要請を満たす過程で、幼児は、問題解決と他者との共存について学ぶ。


子供と接する時に、母親は身の回りの世話などの養育行為が多いが、父親は体を使う荒っぽい遊びが多い[12]。父親は、荒っぽい遊びを通じて、安全であるが冒険的な場を提供して、世界や他人との付き合い方を子供に学ばせる[13]。子供は遊びを通じて世界を学ぶ。父親は遊びを通じて世界を子供に紹介する。父親は、子供に制限やルールを守るように要求し、行為を一人でできるように励ます。それは、問題解決の重要な訓練となる[4]。


母親は感情を表現する言葉を多く使って、子どもが感情を理解する助けをする。これに対して、父親は原因を説明する言葉を多く使って、子どもが論理を理解する助けをする[9]。父親は、より長い言葉を使い、より抽象的な言葉を使う。


母親は主に共感によって子供が必要とするものを把握する[14]。これに対して、父親は、遊びを通じて子供の考え、感情、希望を理解する。そして子供に何が必要であるかを把握してそれを与える[15]。


スポーツのような遊びを通じて、感情のコントロールや同僚との協力関係を子供に教えることは、母親よりも父親の比重の方がずっと大きい。父親は、子供が社会と良好で強固な関係を樹立できるように、長期にわたって子供を支援し続ける[5]。


父親が幼児に強く関与し多く遊ぶと、子供の言語能力や認識能力は向上し、知能指数IQが向上する[


コロナ禍 身近な実態。午下がりのサンチョパンサ 孤独はコロナのせいなのか?

2020-11-29 07:11:50 | 日記
コロナ感染された知り合いは今のところいない。
と言うより判然としない。
もしかしたら、私が住むマンションにもいるかもしれません。
5歳の孫娘が習うダンス教室も
コロナ禍でレッスン希望者が減少。
11月末で閉鎖です。

買い物するので駅に向かう。
コロナ感染を避けて
裏道の住宅密集地の細い路地歩く。
その道沿いに石塀に囲まれた
平屋木造の瀟洒な料亭があった。
地元の議員、役人、名士の会合料亭。
コロナ禍により、会合は開かれず
動画の如く更地になった。
料亭 兵ども夢の跡。
兵ども夢の跡
日本列島のコロナ躁鬱病の寛解は見通せない。
鬱になればコロナ拡大が防止可能だが
躁になれば感染拡大
コロナ躁鬱病である。
息子は仕事の合間を利用して
ウーバーイーツもしている。
どんな人が出前を頼むか?
訊ねた。
妊婦さん
自宅介護されている方。
老夫婦
赤ちゃんがいる。
病院医師
成る程。
必然なのだ。
息子は言った。
わざわざ 高い金出して食べなくてもいい。
出前は批判も浴びるが必要。
確かに足腰の怪我、
痛風?では外出でけへん。
頑張るウーバーイーツマンは
1日100キロ自転車で回る。
息子は40キロ程
おかげで 体力増強して
眠れなくなった。
本日のブログは、身近なコロナ禍の一端です。

午下がりのサンチョパンサ
孤独はコロナのせいなのか?

日記
2020-11-28 09:49:42


辛坊治郎のテレビで『孤独』を取り上げていた。先般書いたけど……イギリスの『孤独担当大臣』が設置されている事も紹介していた……。

十月には女性の自殺者が83%増えた事も『孤独』を切り口に論を進めていた。
前にも書いたけど……人は生まれながらにして孤独である。だから……現実の自殺に至る原因は孤独ではなく『孤立』にあるのだと思う……。
彼女達は『制度的な孤立』の犠牲者なんだと僕は……思う。経営者のカネ都合で『人間を変動費』として何時でもパッと切り捨てられる制度。
そして『語られる自己責任論』……アッシには関わりが無いことでござんす?という世情……。
そんな金銭的な孤立に追い込まれた人が……全く接点を持てない人達が無表情に自分と無関係に目の前を通り過ぎていく雑踏に佇んだ時の心境……を想えばよい。
ソレが孤立である……。
エビデンスは見受けられない?シャラッと仰る菅総理、そのあなた方の主張する論にこそ『整合性あるエビデンス』が見当たらないのです。
経済は気紛れに上下動を繰り返す。自分と子供が最低限の糧を得られるならば……『孤独に悩む高尚な思考』も可能だろう?
『自己責任』だけが金科玉条の如く罷り通ってく。
例えば……寄る辺ない中で空腹を抱えた幼子が無垢な視線で自分を見上げている。介護している老いた親の寝息を聞きながら明日の食費を思案している深夜……窓の外から聞こえ来る酔い人達の矯声……。
そんな孤立が『生きる希望を蝕んでいく』……。
人に対する態度こそが……『自分に対する態度』そのものなのである。他人に対する優しさこそが自分に対する優しさなのである。
人は……自分を愛する態度を以てして他者を愛するのである。今一度……『エンパシー』について考えようと思った……。












阿里山の娘 。

2020-11-28 06:59:09 | 日記
テレサテンが歌って日本でも流行った
阿里山の娘。
鄧麗君(Teresa Teng) - 阿里山 (Alishan)
今年2月に台湾のケニー君から
日本のコロナ対策の甘さを指摘された。
プレヴュークリック↓


11月22日 ケニー君から
ラインで阿里山観光の写真が送信された


阿里山

老登山家としては、最後に周遊したいと願っている。
4年前 山岳部OB会が台湾登山をしたが
前立腺癌治療中で断念。
ラインにて会話したが
阿里山に一緒に旅行しましょうとの誘い。
来年、渡台は無理だろう。

台湾でサーズが感染拡大した頃
息子は台北留学中であった。
マスクが不足していたので、取引等も
含めて送った。
その苦い実体験が生かされ
コロナ感染を封じ込めた。
2月にケニーから日本は油断しているメッセージが届いた。



今度のラインメールでも
日本の感染防止が甘すぎると記す。
台北の街 密集度は世界一。
だが、コロナ防疫では発症を抑えている。
民主国家 小さな島国、人口2千万人
台湾内では旅行制限はない。
外食もOK。
現地に行けば実情が判るだろう。
目立ちたがり屋のゆりこジャンヌダルクが
声高にTV画面からはみ出しそうな狸顔で
訴えるも抑止はままならない。


待つとうこことの我慢

冬山での鉄則
観天望気を実体験する

官僚の迷走はアベノマスクで露見したが
苦い実体験がないからだろう。
致し方無い。

老いることは、体力耐性が衰え病には弱い。
気持ちは強いが精神力では長く頑張力は続かない。
阿里山登山 下天の夢か?










25年前か?
台北の街を爺さん運転手タクシーに乗った。
片言の日本語で
「日本人頭良い 台湾の女綺麗」!
台中の山岳地帯
森林の細道を登ると
前方から、緑の樹林から色鮮やかな原色 黄色と赤の衣裳を纏った
小姐に出あった。
際立つ容貌に一瞬 目はたじろいだ。
原住民なのだ。
街中に下りて 食堂に入った。
料理を運ぶ女性は背が高くスタイル抜群
顔立ちは 少年の千手観音を女性にしたような
切れ長の瞳。
妖艶!
客家人小姐だ。



【怀念邓丽君】何日君再来 1985 NHK演唱会

悲しいブログ。午下がりのサンチョパンサ 自殺者……二万人

2020-11-27 06:24:03 | 日記


ずっと気になっていたブログ
どなたかが、ブログに逝去された記されていました。


美雨さんのブログ

ブログでの訃報は辛く開きたくなかった。
懸命に生きようとする彼女の悲喜を綴った豊かな感情表現に
圧倒されていました。
私の拙いブログを必ず読ん頂き
応援シグナルが毎回点灯して頂きました。
誹謗中傷コメントをする輩とは、真正面から対峙して
一歩も退かなかった。
明けようとする夜空を見上げ
あなたへの想いを星に見つけようとしました。
暗黒の夜空に月、星は輝きは無かった。
ご冥福を空に祈ります。

夜空
私が愛読したブログの方、道半ばで逝去された。
ブログを発信される方々は、皆 感受性豊かで
繊細な心な心の持ち主です。
生き方、家族の苦悩、半生、を綴った
文章は、もったいぶった学者、評論家の
巧な文章より現実感、真実性があると直感します。
無念です。
まれさんのブログ

愛妻の死と認知症の母を残して逝去。

かどさんのブログ

自死された。



午下がりのサンチョパンサ
自殺者……二万人

日記
2020-09-27 18:47:19


一年間の自殺者が二万人を越えるペースになったとか?
一時三万人だった事を考えれば改善?されたのか?とも思うけど……。まとめた二万人といういう数字はリアリティーが無い。
結構な規模の公立高校20校分の数の人命が一年間で自分の意志によってこの世から消えている……そう考えるとドキっとした。
純粋にトラブルに悩んだ末というよりはかなりの比率で鬱病を発症している場合が多いのだと聞く。究極には『死ぬことを渇望してしまう病』である。
人に言えば楽になる。しかし人に言えないから鬱病まで追い込まれる。この二律背反状態には鬱病から『復活した方々』の力を借りるしかない。『その悩みと自分の弱さを知る人の言葉』には力がある筈だから。
様々なサイトで取り組みはされていると思うけれど……アクセスのハードルの低いサイトをそんな人達が開いてくれたら状況は変わるんじゃないか?……と僕は思うけれど……。
一人一人が自分の『弱さを正直に話す強さ』を身に付けなきゃね?って感じる。もうリア充ゴッコもやめて、ご立派演技も疲れるから止める。
自分が出来もしない正義の標榜も人への強要も疲れるから止めよ?
俺はそんなにキレイに立派には出来ねぇよ!って口にする勇気を持ちたいと思う……。
ギャンブル依存症の奴が……次々起こす騒動は隠し切れず取引先、友人の中で信用出来ると思える人間達に『白状した時』から自分の再生の旅は始まった。
信用状態はズタズタ、金銭状態はボロボロ……それをありのままで『人に伝えた瞬間』に僕は自分の存在確認が出来たのだった。
『僕には出来ないんです』と伝えた瞬間、チャレンジするモチベーションが回復したのは不思議な体験だったけど。自分に嘘を付いた……仮の姿なんかじゃそれこそ力は出ようがなかったのだ!と今なら理解できる。
自分が駄目ダメな状態が悪いんじゃなく自分が駄目ダメと認められないから駄目になっちまうのである。人生は駄目ダメな所からスタートして充分間に合う様に設計されている。
ダメだろうがカッコ悪かろうが……自分を素直に知ればユックリ演って生きて行けるのだから……『出来ない無理』を自分に背負わせてはならない。
しんどいよね?……と口に出そう。俺りゃダメなのよ……と人に喋って見よう。僕の経験則だとそれ聞いた人達は一様に表情から力が抜け……そうなんだ?と優しくなった。中には貴方もですか?と安心したように自分の辛さを話してくれた人も結構いたのだった……。
皆の『無用な力み』が世の中を生き辛くしてる。不細工を晒け出せる奴はカッコ良いよね!……と素直に認めよう。
身綺麗正義のご立派族って本当、カッコ悪いですからね……。そうやって自分を追い詰める生き方って楽しくないでしょう?……それでもって言うんならどっか山の中で一人で演ってなさいよ……。
竹内結子さんのご冥福を祈ります。















芝信用金庫 誹謗中傷コメントを削除(144)。 午下がりのサンチョパンサ ネットリンチについて

2020-11-26 04:39:59 | 日記



プレヴューの続きです。
クリック↓



誹謗中傷コメントを削除してくれる事務所。
料金表があります。
高額です。
どのような方法で削除するのか分かりません。
芝信用金庫職員 匿名しばさんは
己の誹謗中傷コメントをを削除しましたが
私の預金を横領した二人の職員の削除は
していません。
あれほど、誹謗中傷コメントをしながら
情勢が不利となった途端
私への人格攻撃コメントを削除。
何度も返信をお願いするも返信コメントは頂けません。
私の悪徳悪質芝信用金庫ブログ公開はリアルです。
知り合い、友人からもストレートでどぎついと言わます。
しかし、考え方を下記コメントで変えました。
芝信用金庫ブログでは実名記載していますが
しばさん !
あなただけは匿名で誹謗中傷コメント。
しばさん 横領した職員二人の実名を
その事務所に依頼すれば済むことでしょう。
友情熱きしばさんなら、大金を投じて二人の実名削除出来た。
自分だけ、逃げるのは卑怯。
それほど、お怒りなら
自らブログを立ち上げ公開発信したら如何ですか?
ブログ公開されている方々は、皆 考え方、
思想信条 異なります。
私も一読者として共感、異論、反論はありますが
成る程と尊重しております。
しばさん あなたのように
被害者である弱者に虐め脅迫などして
誰もが、コメントを読めば
なんと低次元コメントかと蔑む。
最初のコメントは綺麗ごと文章でしたが
拒否すると、逆上して罵る。
職場内では、素性がばれて孤立して辛い状況でしょうが
苦い経験をされていますが乗り越えてください。
私のところへ尋ねてきてください。
芝信用金庫経営陣は沈黙したまま
風化を待っているのでしょ。
この職場環境は、真面目に働く職員には
モラルの腐敗、やる気を失います。



続く。



午下がりのサンチョパンサ
ネットリンチについて

日記
2020-06-29 23:33:32


表現の自由という権利の拡大解釈の極みだけど表現とするならばその言動には責任を付さなければならない。

表現と誹謗中傷は質を異にするものである。
シリアスなやり取りに匿名性を必要とする人間を信用してはならない。まともに相手にしてもいけない。

名乗れない人間には何か?引け目がある。
当然その言動に責任を取れる人間ではないのである。
不特定多数の攻撃を受ければパニックにもなるだろう?……それは当たり前だ。

しかし大切な自分をそのままにしてはならない。
自分を労り、慈しむ義務があると心得て欲しい。
無責任な連中の正面に立ってはならない。正面に立つ意味がない連中である。

『先ずは逃げなさい!』……それからユックリ考えなさい!……反転攻勢に出るか?放置するか?
いずれにしても徹底的に明確に行いなさい。

ここまで書いといて……これ言っちゃお仕舞いだけど……ネットってホントに面白い?……。
『やる為にやってる部分』が多いと思う。

そんな場所での出来事で自分を判断するのは余りにも馬鹿げてる。
必要最低限!……それがSNSとの付き合いの極意だ。欲しい情報を拾う所で、自分を損なう情報を拾うなかれ!

正面切って付き合わなければ、何万言の誹謗中傷も自分とは無関係の単なる戯れ言、たわ言を垂れ流しているのに過ぎないのである。

仲間外れにされるとツライけれど……『仲間外れる勇気』を持てば、そんな連中何も怖くないのです。

違いは『自分の意思の有無』である。
その意思を実行した途端あなたは自由になり彼等は底意地の悪い場所に取り残される立場になるのだから……。

そういう目に遇った人にしか分からない苦痛は想像するしかないけれど……。先般の若い女性の自殺を思うとき……面倒でも弁護士を入れて一人一人の出自を特定していく作業を丹念に行い、ゼロではない『一人を特定した事実』を作ること。
マスコミが少し騒げばスゴスゴとコメントを消して逃げていく連中の『表現とやらの哲学』が明け透けに見えた。一人が世に晒されたら……そんな烏合の衆はスタコラサッサと逃げる事は容易に想像できる。名乗れない人間はそういう覚悟のない人間なのである。
『自分は大事・大切なのだ!』との意思を呼び起こして欲しい。烏合の衆全体を見てその数の多さに絶望しないで一番質(たち)が悪い一人に集中して覚悟を持って追い詰める事だと思う。一罰百戒って事だ……。
自分への謂われのない中傷を行う人間は手に負えない。誰が何時?と特定出来ないからだ。リアルな中傷はソコが付け目となる。しかしネットリンチには足跡が残る。詰まり面倒でも『特定出来る』のだから……。
被害者は胸を張って戦いに望んで欲しいと思うのです……。