馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

赤い月 最終章です。

2020-12-31 06:39:38 | 日記

緊急病室で缶ビールを飲む 続き「逝く」。

なかにし礼さんの死去をきっかけにしてして
友人の死の経過か書き連れねてまいりました。
最終章です。
2010年6月25日死去
10年の歳月が過ぎた。


独身、両親既に他界
戒名無しの実名が
両親の戒名と一緒にに墓石に刻まれた。


シングルマザーの妹とその娘がいるのみ
頼るべき親族もいない。
その状況下での泣き言も吐かず
孤独の病室で耐えた同期に敬意です。
死因は彼の仕事と生活スタイルに遭った。

食道癌発症まっしぐらだった。
この先、墓参は彼の妹と娘
それと、私が年に一度墓参するだろう。
墓苑に佇むとぐるりと墓石を巡るのが好きだ。
私は墓石に刻まれる戒名とその人の生涯年齢を
読み取り様々な想像を勝手に想像するのだ。
3歳の幼児の墓前に置かれていた茶碗と箸
両親の耐えがたい慟哭がある。
90歳を超えた墓石には天寿を全うした満足。
20代、~50代の墓石には
何があったのだろう?
想いは巡る。
2020年 最後の日
皆様には拙文を読んで頂き
励ましのリアクションも多数頂きありがとうございます。
少しばかり残念なのは
誹謗中傷コメントがなくなったことです。
私は保留にしていますが
誹謗中傷コメント者が、こんな事で怒り爆発しているのかと
知る関心がありました。
歳月経過と共に、その誹謗中傷コメントが
如何に陳腐で愚かなコメントであったことに気付くでしょう。
悪徳悪質芝信用金庫職員の皆様
誹謗中傷コメントお待ちしております。
来年はコロナ禍が治まり
安全安心な日常生活を過ごせる日々を願っています。


2011年4月5日ブログ 再掲。
東日本大震災
地球のコロナ汚染
知らずに逝った。

 緊急病室で缶ビールを飲む 続き「逝く」。

2020-12-30 06:27:12 | 日記

前ページ続き 緊急病室で缶ビールを飲む。

2010年3月初旬 ケアマネジャーの女性が
美しい顔を背けながら呟いた。
「梅雨の終わり、夏の始めまでの命です」
2010年6月25日 旅立ち。
続く


 前ページ続き 緊急病室で缶ビールを飲む。

2020-12-29 06:59:19 | 日記
赤い月の想い出 その後 30キロ徒歩で墓参り
続きです。
日記は前後するが
余命旦夕迫る同期の妹から緊急電話。
病室に駆けつけると、室内は
死の腐臭が漂う。
死期を知らせているのだ。

窓を開けることもできない。
下記日記が物語る。


緊急病室でビールを飲む



赤い月の想い出 その後 30キロ徒歩で墓参り

2020-12-28 07:21:10 | 日記
赤い月の想い出



赤い月の想い出


その後、エピローグ
同期の食道癌発症入院の数日後
私は前立腺肥大検査入院
生検をした。
そして私は2017年 前立腺癌発症
放射線治療した。
2010年同期が旅立ってから



毎年 同期の墓参りを往復30キロから36キロ歩く。
しかし、前立腺癌放射線治療は、徒歩での墓参を困難にさせた。
74歳 徒歩での墓参は無理かな?


その記録を再掲。


梅雨空の墓参り。


赤い月の想い出。

2020-12-27 06:43:58 | 日記
沈むゆく陽

12月23日
作詞家なかにし礼さんが逝去された。

私にとっては作詞家としての認識が強いが
直木賞受賞作家として
赤い月を読んだ

2010年6月25日に旅立った同期が

死の間際 読めと手書きメモを差し出したのだ。
それがなかにし礼さんの赤い月であった。
「お前が高校生時代過ごした湘南の海が出て来るぞ」


赤い月
2012年9月27日の日記