コロナ感染拡大防止のため、自宅待機を全国民に求めています。
先が見通せない「待つ」という我慢我慢の日々が続きます。
これから数か月も自粛という抽象的我慢に耐える強制です。
40年前 労組書記長であった頃
組合役員の女性が上司の今いうパワハラを受けている
連絡がありました。
憔悴しきった女性と話しました。
書記長として経営側に解決を申し入れ解決を極秘で図りました。
上司は人事異動しました。
後に判ったのですがセクハラ要求があっったようです。
その女性と話した時に、一冊の雑誌を渡しました。
山岳部の先輩が農林関係の出版社に勤め
農業を営む方達へ季刊誌です。
雑誌に「植物と人間」宮脇昭先生の論文が掲載。
後にNHKから出版されベストセラーになった。
動くことのできない植物が、大木の日陰で成長を妨げられ
我慢に耐え忍びます。
大木が朽ち果てるまで長い年月我慢に我慢して耐えます。
大木が嵐に耐えきれず倒木します。
そうして日陰に耐えきた細木は太陽の陽射しと水分を得て
急速に成長します。
しかし、成長は長く続きません。
強い植物が出現して成長を阻みます。
人間も植物も最高条件を求めて我慢します。
だが最高条件に達した瞬間、やがて衰退して死に至る。
私の勝手な思い込みかも知れませんが
世界の国々が他国より優位な地位を得ようと
しのぎを削り最高条件を満たす競争を程々にして
自国ファーストより融和を求めるのが
安全安心な地球になるのを願っています。
後に気付いたのですが彼女が私を慕っていました。
女性は結構偉くなりました。
クリック↓
https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/ed397e222c12c63d1a2a87d1c6beae6e
私が心痛むのは未だ独身であること。
人伝に噂を聞いた。
今でも忘れられない人がいる。
再掲2017年7月15日ブログ
7月14日(金)
11時28分
午前の終わり、外は激暑。
窓を開け、川風を吹き抜けさせる。
待つということは、物理的時間の長さ。
待つと言うことは、心持を我慢すること。
待つことに様々な目的がある。
雨中の道端で傘も差さずに恋人を待つ。
余命旦夕迫った肉親の死を待つ。
合格発表を待つ。
愛しい人に、指折り数えて逢える日を待つ。
失意の心が癒されるのを待つ。
心を我慢して待つのだ。
下の動画も待つ動画。
動画を見る前に一言。
7年前、柳橋に事務所を移転した。
神田川と隅田川の合流点に位置する。
神田川対面に、横綱審議会が開かれる
料亭亀精楼がある。
その護岸下に小さなテラスがある。
春夏秋冬、様々な鳥たちがテラスに集まる。
陽を受けて羽を乾かす
休憩する。
大雨後、流れて来るゴミから餌を捕食する都鳥。
鷺も舞い降りる。
鷺は長い脚で、田んぼ、浅瀬で魚獲りする。
都心には、鷺が餌獲りに適した浅瀬はない。
動画をじっと見詰めると、
二羽の鷺は微動だにしない。
動画撮影前、20分以上経過していた。
左の白い鷺が、動いた。
川面に飛び移る。
テラスに戻ると魚を嘴に咥えている。
一瞬の捕食。
右の鷺は動揺して近づく。
魚を咥えた鷺は、後ろ向きになり
魚を取られまいとする。
画面を拡大して見てください。
神田川 鷺の魚獲り
川に生息するのは、ハゼ、ボラ、セイゴだ。
水面下に浮上するのは、セイゴかボラだ。
編集操作を誤り動画が消失しました。
空白です。
貴重な二羽の鷺が岸辺で川面を向けて動かず待ちます。
我慢仕切れず一羽が飛び立つ、もう一羽は動きません。
一瞬の動き、鷺は川面に飛び嘴を刺し込みボラを咥えます。
鷺は、炎天下ひたすら待つのだ。
目は、水面下の魚の動き、泡立ちを
一点の凝視と、足はしっかりコンクリートを挟み
羽は、今まさに跳ねるコンマ0秒の筋力。
生存競争の戦い。
鷺にとって環境生存条件が悪くても
生き抜く生命力。
人間も同じ。
50年前、厳冬期立山から槍ヶ岳縦走では
猛吹雪に遭遇 槍ヶ岳直下で6日間動けなかった。
最終帰京日も過ぎたが、ひたすら天候回復を待ち続けた。
午前2時、風が止んだ。
一気に登攀開始。
死を免れた。
大学4年の3月、先輩と二人
八幡平縦走をした。
6日目、猛吹雪でリングワンデリングとなり
身動きできなかった。
ピッケル、スキーストック、スキー板を使い
雪洞を作った。
雪洞でひたすら吹雪が止むのを待った。
食料は尽きていた。
乏しい燃料で雪を溶かし
数匹の煮干しを入れた水を飲んだ。
4日後、吹雪は止んだ。
太陽が雪の照り返しを受け顔面は熱い。
スキーでの斜滑降とかんじきで斜面を下山した。
松川温泉に着いたのは11日目だった。
ギリギリの待つか、脱出かの決断。
待つことの苛立ちと焦り。
耐える、我慢する。
一瞬の機会を間違えずに果敢に挑む。
労組の書記長時代
労使交渉では、ひたすら待つことだった。
労働法規など、屁理屈に過ぎず。
ホテルで、司馬遼太郎、三国志、五輪の書、菜根譚 備忘録を
何度も読み返し、ひたすら相手が衰弱するのを待った。
能力、金力、後ろ盾もなく、
交渉するには、唯ひたすら耐えて待つ。
一瞬のチャンスを待った。
互いの心身に打撃を与える消耗戦だった。
最後は、卑怯、卑劣な方法で負けてしまうのだが。
宮脇昭先生の植物と人間を読むと
大木の下で、弱い植物は乏しい光だけで生きている。
大木が倒れるまで数百年も待つのだ。
大木が倒れたその時、弱い植物は
急速に成長する。
我慢に我慢。
安倍陰陽師、待つことの我慢への耐性がない。
やはり、お坊ちゃまなのか?
貧乏、下積み、屈辱、の実体験がない。
直情的に突き進む。
待つという我慢が出来ない。
幼い頃から、友達のいない
孤独で寂しい育ちなのか?
焦ったところで
日暮れて途遠し。
再掲2019年ブログ
3月28日(木)
16時 桜上水事務所でトランス銅線巻き作業に集中。
ラインメールの音がする、あんちゃんから。
「今、松濤の介護病院にいる」。
「お袋は、前より元気そうだ。
100才まで生きそうだ。
新宿ヨドバシカメラ前で18時に待ち合わせた。
石井スポーツで登山用品を買った後
日高屋で飲むことにした。
兄曰く、立ち飲みや、普通の居酒屋で飲むよりは
安くて食事もできて、一人でもカウンターがあるのでいいんだ。
地下席は、広く、既に団塊オジサングループが
数席埋まっていた。
吉野家、コンビニまでも、ちょい飲みがある。
年金爺さん達の憩いの場。
まだ、喫煙も可能。
最後の平成景気とマスコミ報道されるが
実際は外飲食は減少。
瓶ビール、燗酒、冷酒 餃子、野菜炒め
麺類、他ツマミを頼む。
兄は鶴巻温泉の住むが
中野坂上には家があり、長女夫婦が住んでいる。
時折、都心に出て来る。
互いの近況を語る。
4月早々、又、桜見ハイキングを計画する。
兄と私は、闘病中の家族を抱え不安と苦悩が離れない。
弟はお袋の介護面倒をしている。
親父お袋は栃木那須の寒村から上京。
小さな家を横浜外れに建て
慎ましい暮らしの中息子3人を育てた。
学業優秀ではなかったが
この世の修羅を生きて
74才、72才、70才になった。
3人共 お人好し、不器用、貧乏である。
そして、皆元気で働いている。
3人共 お人好し不器用で騙されやすいので
全くの他人に食い物にされる。
今も私は芝信用金庫に食い物され
深く傷ついているが立ち向かっている。
29日(金)18時 弟の車で松濤の介護病院行く。
4人部屋で、一人だけ車椅子に腰掛け
ドリル計算をしている。
息子達は判別ができなくなった。
午後 台湾のケニーからラインメールが届いた。
75才の母親が認知症になったと知らせメール。
老い早過ぎる。
20時 銀座線渋谷駅2階から
スクランブル交差点を眺める。2020年4月30日現在自粛で人影無し。
渋谷スクランブル交差点
行き交う人々が何処に行くのか
互いに知らない。
ネオン煌く街角の隅に
今 命の灯が消えなんとする。
兄のブログに 新宿日高屋飲みが掲載されている。