木枯し菊太郎ブログ

日本で森林が2番目の岩手に根を張り
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もったいないようだが・・・

2011年04月17日 | ニュースのこと
東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町で、2階建ての民宿の上に巨大な遊覧船が乗ったままになっている。船を所有する同県釜石市は、余震などで落下する危険があるとして、早期に解体することを決めたが、船体はほぼ無傷。「まだ乗れそうなのに…」。14年間乗り続けた船長は複雑な思いで成り行きを見守っている。(市岡豊大) 

 釜石市が委託運営する遊覧船「はまゆり」は全長27メートル、排水量110トン、定員230人の双胴船。毎年4月上旬~1月末に運航し、美しいリアス式海岸を周遊するコースなどで観光客の人気を集めてきた。

 同町在住の刈屋秀章さん(59)は平成9年の就航から航海士、19年からは船長として延べ約20万人の乗客を運んできた。3月11日、今シーズンの運航に向け年1回の定期点検を受けるため町内にある造船所のドックに、はまゆりを入れた直後、津波に襲われた。

 刈屋さんによると、はまゆりは津波でドック内から高さ約6メートルの防潮堤間際へと持ち上げられ、一気に住宅街へとなだれこんだ。ぐるぐると旋回し、民宿の屋根に引っかかったという。

 「どうしてあんなところに」。刈屋さんは思わず目を見張った。はまゆりは防潮堤にぶつかることなく乗り越えたとみられ、目視で確認する限り、客室にも船底にも目立った損傷はなかった。

 しかし、船を下ろすにはクレーンでトレーラーに移し替えて運ぶなど巨大な重機が必要。周囲はがれきの山となった住宅街で作業は困難を極める。しかも東北地方では余震が続き、いつ屋根から落ちてくるか分からない危険な状況に、町側も早期の処理を要請しているという。

 釜石市は14日、造船業者や運航業者らと協議し、解体を決定。市の担当者は「余震のたびに心配している。一刻も早く安全を確保することを優先した」と話す。

 海からわずか150メートルの場所で解体されるはまゆりの運命に、刈屋さんは「そのまま海に浮かべれば動きそう。でも周りに迷惑をかけ続けるわけにもいかないし…」と苦悩する。

 震災で巨大津波が襲った東北地方沿岸では、港に停泊していた多くの船が押し流され、街の中に横たわっている。岩手県によると、県内では4014隻の船が被災。陸上に打ち上げられた船も数百隻に上るとみられる。

 県によると、市町村が廃棄物と認めれば、処理費用は国の補助金対象になるが、移送する場合は公的に費用を負担する仕組みはない。県は「まだ動かせる船が相当数あるとみられるが、最終的には所有者と市町村の判断」としている。

                   ◇

 ■「後世への教訓」保存求める声も

 大惨事の象徴的な痕跡について、被災地では保存に慎重論もある一方、災害研究者らからは「後世への教訓として残すべきだ」と訴える声もある。

 「はまゆり」について、解体する方針を決めた釜石市の下沢治産業振興部長は「がれき撤去の妨げになっている。市内なら残す選択肢もあるかもしれないが、現状では早い処分が大槌町への誠意だ」と話す。これに対し、早稲田大教育・総合科学学術院の高木秀雄教授(構造地質学)は「地元の方には思い出したくもない存在かもしれないが、長期的展望に立ち、津波防災の啓発に活用してほしい」と撤去方針を残念がる。

 巨大津波の痕跡保存に関し、住民感情は複雑だ。

 「この下に実家があるんです」。宮城県気仙沼市の鹿折地区で、小野寺久行さん(63)が大きな漁船を指さした。父親と妹が亡くなり、母親は行方不明。「被害を忘れてほしくないが、周りが整備されてここだけ残されても…」と声を落とす。

 一方で、住民から保存を求める要望も出ている。市観光課は「住民の理解が大事だ」とした上で「被災したエリアごと残すとか、今後の町づくり次第ではないか」と語る。宮城県南三陸町の佐藤仁町長も、3階建ての鉄骨だけ残り、多くの町職員が亡くなった町防災対策庁舎について「賛否両論あるが、町民の命を守ろうとした職員の記憶の場として残したい」と話した。


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1 コメント

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世界的観光資源 (コト)
2011-04-26 17:33:59
釜石市の民宿に乗り上げた観光船は、世界中から人々が見に来るほど、観光資源として価値のあるものと思います。

これからの釜石市の復興に、これほど貢献できるものはありません。

解体されたら、その多大な価値は無になります。
釜石市をはじめ、その周辺市域の方々に、真剣に検討していただくことを、切に望みます。
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