日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

義姉の最後のお別れをして参りました

2020-10-31 19:42:18 | お祭り
こんばんは。
今日は朝から良いお天気でした。
明日は午後から崩れるとの事、今週は降ることむなくもったように思います。



                            



                               



                                



                             



昨日は義姉の前夜祭、俗に言う通夜でしたが、夜は皆で集うことも無く、此処で記しておりましたように私は祭詞等を奏上した後は
自宅へ戻りました。
これも申しておりましたように義姉の遺体は葬儀社で安置してもらい、義姉の家族、と言っても娘さん夫婦とその子供らだけの
少人数で義姉の家で過ごしたのだと思います。
明けて今日は本来は本葬ですが、その祭詞も昨日のうちに奏上したことはお伝えした通りです。
ですので今日は午後に火葬場にて落ち合うようにしておりました。
葬儀と言えば通夜に続いてなんだか慌ただしく、そのまま悲しみに沈んでいる感じですが、今回はおそらく私が知らないだけで
しょうけれど、娘であるH子さんが泣きはらす姿は見ておりませんし、それは家族も同様です。
ただ義姉の孫娘に当たるMちゃんは、お母さん、此処来るまで散々泣いてたもんなと話しておりました。
まぁ皆さんそんなものだと思います。
此処に至るまでがしんどかったでしょうしね。
ところで自分は今日も神職の恰好をしてその場へ臨みました。
火葬場にて最後の祭詞を申し述べる為です。
棺が霊柩車から降ろされ炉の前まで運ばれ、これで本当に最後のお別れとなるその時、5分ほどではありますがその折に短い祭詞を
ご遺体の御前にて奏上致します。
その前に本来なら葬儀場を発つ前に棺の縁を神職の持っております杓(しゃく)にてカンッと一打ちし、お発ちー!と声を発します。
そしてそれまでは忍び手(しのびて)という音を立てない柏手を打つのですが、最後の柏手のみ、パンッ!と音を立てます。
永久(とわ)の旅立ちをする者へ、もう二度とこの身体へ戻ってくることはないようにとの思いを込めて致すものです。
この最後の杓での一打ちが出来ておりませんでしたので炉の前での祭詞奏上後、柏手の後に棺を一打ちし、お発ちーっの一声を
出させて頂きました。
死に化粧を施された義姉の顔はいまにも目を開けそうな穏やかな顔をしておりましたが、このお顔もこれで見納め、そう思うと
胸に迫る思いはありますね。
炉に入れられた後はなんともやるせない思いが致しました。



                             




午後からの出棺としたのは午前中ですと火葬場が一番混み合う時間帯だからだそうです。
その時間を外して、して頂いたようですが、それでも自分達が待合室でお待ちくださいと通された広いロビーのような場所では
その後に結構な人数の他の葬儀のご家族方が次々とお越しになっておられました。
自分達は総勢で5名、なんともこじんまりとした本当に家族葬でした。
先にも書いたように普通はもう少ししんみりとして話をするのでしょうが、何故かしら;笑いが出ており、それは義姉自身が元々
大阪の出ということも関係していたのでしょうか。
殊にH子さんは本人が意識して笑わせようとしている訳ではありませんが、どうにも笑いを誘ってしまうようで皆してついつい
笑い声を立てておりました。
悲しみにくれるのは当然かもしれませんが、このようにして笑って送ってほしい、義姉自身がもしかするとそのように願っていた
のかもしれません。
そんな風にして時間を過ごしておりました。



                              



アナウンスがあり、再び炉まで参りました。
主人同様、まるで病気のデパートみたいなおばあちゃんだったよねとMちゃんが言うような話もしておりましたので果たして遺骨
自体が何処まで残っているだろうかと案じておりました。
戻ってきた骨は思っていたように足はほぼ焼け落ちて無く、俗に言うあばら骨も無い状態でした。
年代的に骨粗鬆症の方が多いと言われますし、思い返せば主人もそんな感じだったよなと考えておりました。
その代わりではありませんが体内には大腿骨へ入れた人工骨頭や頭に入れた何かのクリップ等は焼けずに残っておりました。
様々な病気と闘うような人生でもあったよなと改めて感じてもおりました。
義姉自身、生前から亡くなれば自分の遺骨は出雲大社へ永代祭祀して欲しいと常々話しておりましたので向こうへ持って参る用の
物と、分骨して此方へ置いておく用の小さなもの、二つへそれぞれ納めました。
人間、焼けてしまうとこんなにも脆くて小さかったかなと感じるものでもありますね。
そんなことも思う義姉の遺骨でした。
最後は火葬場を出た所で私が皆様を祓弊にてお祓いし、終了とさせて頂きました。
家に戻られた際、清めの塩等でまずはご自分方を祓い清めて入られるのが本義ですが、塩を忘れてしまったと言われますので
そのようにさせて頂きました。
尚、これも本来ならばご家族が家に戻った後に帰家祭と称する祭りを致すのですが、それも省略致しました。
今回、結構省略したことの方が多いような葬儀ではありましたが、ご家族が一番納得出来る形で、また故人もそれを望んでおり
ましたし、これで良かったと感じます。
短いような、けれど思い返せば案外ギュッと凝縮した中にも皆の思いの詰まった、そんな葬儀であったように思います。



                             



                             



                             



                               



終わってみれば穏やかな二日間でもあり、今夜は色々な意味で特別な満月の日とも聞いております。
もしかするとこの満月を見ながら、たまにはわたいのことを思い出してや、そんなことを義姉は伝えたかったのでしょうか。
最後の最後まで何処かしら茶目っ気のある、ちょっと厳しいけれど楽しい、そんなご本人だったように思います。
享年82歳、永い人生の一区切りとなられました。
ご冥福をお祈り申し上げます。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
                               
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義姉の葬儀を斎行致しました

2020-10-30 19:08:08 | お祭り
こんばんは。
今朝から風が強く、だんだんと寒くなって来るようです。



                             



                             



                              
                               


                               




昨夜、今日はブログが書けないかもしれないと申しておりましたが、考えていた以上に時間があり、こうして綴っております。
もっともこの一日は朝から慌ただしくしておりましたので神様も手を合わせただけで拝んでおりません。
ましてや身内が逝きましたので、このような折にはむしろ致すべきでも無いですしね。
日常の事柄はさておき、朝からいつもの車屋さんで車を借り出したり、それ以前に玉串にする榊を切ったりしておりました。
義姉でもあり、本人もこの神事に神職として携わっておりましたので、本来ならば出雲大社より神職をお呼びして葬儀をして
頂くのですが、本人また家族の意向で簡素にしたいとの希望から、この度は私が斎主となりまして致すこととなりました。
(義姉自身、病に倒れる前から自分の最後の時の希望を話していたようです)
そのような意向を昨日の時点で聞いておったのもあり、割と朝早くから目が覚めて先程も書いたように榊を切ったりして準備を
しておったのですが、義姉の娘さん(自分より一つ年上です ですので姪というよりそういう方がしっくりきます)であるH子さんが
今日は止めに出来ないかと電話をして来られました。
いや、いきなりそう言われても;と感じまして、どうしてなのかを尋ねると昨日の今日でとても疲れていて葬儀どころではない、
ついてはもう少し後で出来ないだろうかということのようでした。
気持ちは分かりますが、故人である義姉自身が神道に関わりがあった人間ですし、決められていることはなさるべきですよと
半ば説得するようにして今日の前夜祭、仏教でいうところの通夜を予定通り致すことにしました。
おそらく身内なので朝早くに断ったらなんとかなるだろうと思われたのかもしれませんが、事は葬儀でもあり、こればかりは
ずらす訳にはいくまいと私自身は感じておりましたので、最初の予定通り執り行うことと致しました。
実はこの前の話もありまして。
そもそも葬儀自体をせずに火葬場で出棺の直前の10分程の間に簡単に祭文上げて貰えばよいからと言われますので、いやいやいや
幾らなんでもそれは出来兼ねる、ましてや神道でそれはないと感じました。
そんなことで昨日大社へ連絡しどうすべきかを伺いますと、上記のようにあまりに簡略化すべきでないとも言われましたので、
やはりそうだよなと思いながら、今朝の説得に繋がったのもあります。
そのようなことを全て合わせて今日のうちに前夜祭、また本葬に当たる際の祭詞も一緒に奏上した次第です。
ところで義姉自身の遺体は葬儀社で預かってもらう形にしており、そこを会場にして葬儀を行う訳ではありません。
ならばどのようにして葬儀をするのか。
神道ですので、これも仏教では位牌に当たる御霊璽(ごれいじ)というものが御霊の依り代としてあります。
そこへ御霊にお越し頂く形で、つまりはそのご霊璽に向かい祭詞を奏上するように致しました。
つまりは義姉の自宅へ参り、そこへ簡単な祭壇を設えてご霊璽を安置し、その場所にて前夜祭等を斎行致しました。
義姉の娘さん夫婦、またその子供さんら4人と言う本当に家族だけ、身内だけの葬儀でした。
これまで義姉自身、この仕事に携わっていた分交際範囲も広かったかと思いますが、疫病下でもありまた世の中の流れ的には
多くの方に知らせる葬儀よりもごくごくこじんまりとしたいという思いだったようでした。



                         



                            



                               



そのような訳で時間も午後2時からしたいと言われましたのでその頃に参り、前夜祭という割には日のある明るいうちのお祭りと
なりました。
(亡くなったのに祭なのかと思われるでしょうけれど、神道は全てお祭となります。)
これも本来ならば、その人が生まれて亡くなるまでの経歴を伺い、それを一つ一つ読み上げるようにして申し上げるのですが
今回はそれはしなくていいからと言われまして、けれどそれを省いても相当な長さのある祭詞を奏上致しました。
義姉の事を思い出すと奏上している自分自身がこみ上げそうになるのをグッと堪えて、平静を保ちながらの葬儀でした。
終えて後、皆でお茶を頂きながら、あれこれと話をしておりました。
義姉がかわいがっていたネコが3匹、主が居ないのは分かるのかどうか、けれどおそらくいつもと変わらぬようにその辺りへ
ごろごろしていたようです。
うちの駄ネコと違い、義姉のところの子達は全て血統書付きとのことで、どこかしらおっとりしていましたけどね。
通夜ならばそのまま夜を徹して語り合うものでしょうけれど、先に書いたようにH子さんがかなり疲れておられるということもあり
今日はこれにて散会となりました。
葬儀社へ遺体を預かって頂いている関係で(冷蔵保存というと変な言い方ですがそうしてあるそうです)義姉の顔を見ることは
叶いませんでした。
明日葬儀場で最後に顔を見させて頂いた後、義姉自身は幽界への旅立ちとなります。
悲しみが襲って来るのは、まだかなり後になりそうですね。

                          

                          



このような事で今日を終えました。
明日は最後のお別れ、して参りたいと思います。



                          



                         
                     



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銀龍の言葉       鍼へ行って来てました

2020-10-29 19:08:08 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
朝窓の外を見ると一面白くなっており、靄でも掛かっているのかと思いましたがどうやらPM2.5のようでした。
道理でどことなく薄汚いというか;あまり良い感じはしませんでしたね。



                             



                             



                              
  (遠方の山並みは霞んでおりました)


                            




                            
                             (昨夜は雲間ながらも綺麗に月は見えていたんですけどね)



昨日午後から久しぶりで鍼へ行って来ました。
一昨日の帰りは車を走らせながらも、もう足だるいよね;とか感じつつアクセル踏んでおりまして。
帰宅しても本当なら疲れて眠れるはずが凝り過ぎてか、かえって頭が冴えるというのか頭も痛い感じでして。
これはもう行って来ないと無理だよねと思い、ようやっとで行って参りました。
此方の先生にはこれまでにも数える程しか通えてなく、いつももう少し間を詰めて来られた方が楽ですよ~と言われてるんですけどね。
今回はやはり悪くなり過ぎていたようで脚もですが、腰がかなり酷いですねと言われました。
その前に肩も鍼をしてもらった後に少しストレッチをして頂きましたが、自分では痛くて伸ばせない場所もかなり伸ばしてもらい
その分相当悪いというのを自覚しました。
右脚の座骨神経痛は、腰に痛みが出る人と脚に痛みが出る人がいるとの事ですが、私の場合はお尻から脚に掛けて出ているようです。
そこそこ、そこが痛いんです;という箇所へ鍼を打ってもらい、しばらく置いておくのですがこれもしてもらった後の方が悪い
ということを尚更感じておりました。
最後は腰へ初めて吸い玉というんですかね?それをしてもらいました。
ぎゅうっと引っ張られる感じでそれを取るとちょっと楽になってるようでした。
いずれにしても、もう少し身体のメンテナンスはしとかないといけませんね;。
そう感じた昨日の鍼でしたし、お蔭様で久しぶりに昨夜は眠いと思って寝られた夜でした。



                            



出雲へ参りました折に神迎祭にはそこから八百万の神々がお越しになるという稲佐の浜へも行ってみました。
そこへ居る銀龍の言葉を今回は書かせて頂きます。
ちなみにここで言う銀龍というのは海や川等水辺近くに居るとされている龍を指しております。


 銀龍

 〝 我 この辺りの海浜におるもの

   朝に夕に飛んでおる

   このところ 訪う者なかったの

   また増えてきたようじゃな

   この年も神々がこの海 浜より参り越す

   迎えは多くは出来ぬというな

   さりとて神々は大社(おおやしろ)の境内に坐す(おわす)なり

   大いにその氣を感じ取りに参れよ
 
   我を感じたければ浜へ来るがよい

   波音と共に 風と共に 我の氣 浴びるが良いぞ

   遥かな大いなる海と その氣を浴びに参れ 〟
       

目の前は日本海という開けた場所にある稲佐の浜。
波が穏やかな時は、足元の粒子の細かな砂地を踏みながら散策するのは気持ちの良い所です。
その海に居るという銀龍が話してくれました。
訪れる者というのは、やはりこの度の疫病の影響でしょうね、なかなか人も行かなかったようです。
しかし今回自分達が行った際には、まるで枕詞になっているようですが;ウィークデイにも関わらず結構な人出がありました。
弁天島と呼ばれる岩の上には豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)という神様が祀られており、そこを見上げながら自分も写真を
撮らせて頂いておりました。(以前は弁天様が祀られていたのだとか)
そんな光景を銀龍も感じ取っていたのかもしれません。
来月11月24日、旧暦10月10日にはこの稲佐の浜にて八百万の神々をお迎え致しますが以前にもお伝えしたように今年は一般の方々の
参列は禁止されております。
それも踏まえて多くの迎えは出来ぬとの言葉だったのでしょう。
しかしながら神々は大社(おおやしろ)出雲大社へはお越しになっておられますので、此方へ参拝なさいますとそれら多くの神々の
氣を感じて頂けることと存じます。
上で銀龍が述べていることをそのまま復唱しているようなものですが;この銀龍を感じたければ、この浜へお出でになってみて
下さい。
波の音、渡る風に銀龍の姿を感じられるのではと思います。
これから冬に向けては荒れる海になるかもしれませんが、それもまた日本海の一面、そこへ居る銀龍の別の側面が感じられるのでは
ないかと思いますよ。



                         
(20年前 2000年のマップルより この時はまだ島だった証拠ですね
 地図が寝ててすみません; )                     



                              
                             


                                  




昨日の続きを書かせて頂こうと考えておったのですが、主人の姉、義姉が亡くなったと連絡が入りました。
明日明後日まではもしかすると時間が取り難いかと思います。
ですのでブログ更新が出来ていなければそうなんだと思っておいて頂ければと存じます。
申し訳ございません。



                               



                               



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大國主大神の言葉   出雲へ行って参りました part2

2020-10-28 19:31:08 | お出かけ
こんばんは。
昨日までは日中は暑いほどのお天気でしたが、今日は雲に覆われた空でした。
雨にはなりませんでしたが、なんとなく降りそうな感じがしないでもない、そんな天候で推移しておりましたね。



                            



                            



                               



                                
 (昨夜は晴れておりましたのでこのように霧は出ていたようでした)


                             



昨日、出雲大社へ参りまして、その折に大神に言われた言葉が

 
 〝 おお よう来たのぉ

   良い良い

   またいつでも参れ

   ゆるりとな   〟


このようなことでした。
どうも好々爺が孫などに話しかけるような、そんな感じですかね;。
神楽殿で御祈祷して頂き、その折に賜った言葉です。
その後に本殿参拝となり、この折には


 〝 ようそろう  〟       

という言葉を受け取りました。         
この言葉、本来は船を操る人が使う言葉かと思います。
自分自身が神様に一番最初にこの言葉を伺ったのは赤間神宮へ参拝した際に頭を垂れて拝礼しておりますと、頭の中へこの言葉が
入って来た時でした。
どういうことだろう?とその折には主人も健在でしたので傍らの本人に聞いてみれば、これで良しということだろうよと教えて
くれました。
宜しく候え、この言葉がつづまったものと説明を受けた覚えがあります。
その伝でいくと、今のこのままでよい、このまま進みなさいというようなことでしょうか。
いや、ほんまかいな;と我ながら思いますが神様から言って頂けたことですし、これで良いのでしょう。
それでも本当に大丈夫か自分?という気がしております;。(疑り深い;)
ならばこそ、更に精進して参らねばというところですかね。  



                               




上の写真は昨日の朝のもの。
車を借り出すのにいつものバス停までの道すがらに撮ったものです。
とうことで、ボチボチと出雲行きのことを書いて参りましょう。
まずは車を借りてきて、息子らに渡す荷物等も詰め込み弊神殿の神様に無事行って帰れますよう宜しくお願いしますとご挨拶を
して出発しました。
この時が9時少し過ぎかと。
車を借り出しに乗ったのは朝7時32分の始発のバスですが、なんせ朝はラッシュ;、車屋さんに着いた時点で休日ならば20分で
着く距離がウィークデイは1時間掛かりますんですね、ま、仕方ありません。
逆算してこの9時過ぎ位に出れば余裕でお昼前には出雲へ着けるだろうと考えておりました。
高速のインターは西風新都(せいふうしんと)というところ。
広島インターより更に北にあり、その分高速代も700円ほど浮きます。
そんな訳で我が家からは山越えの峠道を越え、そのインターから乗りました。(多分;)
途中山がちな中にある道も通るのですが、なんと鹿がはねられており(!)危くぶつかるところでした。
周りは工業団地にもなっておる場所で、もしかすると夜間出入りのトラックにはねられたのかもしれません。
いやぁインターは入る前からなんかあるのは勘弁してよ;とはねられた鹿には申し訳ないと感じつつ、そんなことも内心思ったり
もしてました;。
ところで火曜日、ウィークデイの真ん中辺り、それにしては乗用車が多く時間的にも仕事というより私用で高速を使う方がかなり
おられたように感じました。
これもgo to キャンペーンが関連しているんでしょうかね?
そんな車と共に高速を行きましたが、これも週の中頃とあってか途中かなり道路の工事をしておられました。
自分達は通行するばかりですがこうして容赦なく車が通り過ぎる道路上での工事はさぞかし大変だろうなぁといつも見ていて感じます。
暑いし寒いし日陰は無いし。
自分達が快適に道路を行き交い出来るのはこのような方々のおかげだなと感じておる自分です。
と、そんなことも感じつつ途中何回かトイレ休憩にPA等へ寄りました。



                            



                        


                          

本郷PAというところと後は中国道から接続されている松江道、ここの道の駅たかのという場所ですね。
この高野、標高が高いこともありこの近隣では大きくて瑞々しい大根、それにりんごが有名です。
この時期はそのどちらも店頭に多く並べてあるのですが、今回は大根はあってもりんごの姿が見当たりません。
あれ?おかしいなと思いレジの若い男性に聞いてみるとどうやら此処が開く9時前から行列が出来る程並んでおられ、あっという
間に売り切れるのだそうです。
途中、補充に来られる農家さんもいらっしゃるようですが、それも運よくタイミングが合えばとのこと。
この道の駅に寄る目的の一つはこのりんごですのでまたもや購入は叶いませんでした;。
ところでこの松江道に入るタイミングで、つまりは中国道から接続してランプウエイから入るところで、その松江道にて目の前を
息子の車と思しき車が通り過ぎるのを見ました。
なんで分かるかって?
ウィークデイの10時半頃、とても派手な色の車がそうそう走って行くもんでも無し、先程のラインで言っていた場所からすれば
この辺りを走行していてもおかしくはないと思いましてね。
いやはやいつもは遅くまで寝てる子達が今日は早くに出発したんだろうかとその時に感じた事でした。
ある意味、色で識別できるのもこういう時は便利かもしれませんね。(笑)
このたかのの道の駅に寄ったのは、そんな先を走るこの子らが此処へ寄るかなと考えての事でもありました。
しかし彼らは此処へ立ち寄ることなくそのまま走って行ったようだったのを付け加えておきます。


                             
                          
 (たかのの道の駅 ズラズラと並んだ乗用車 まるで休日かと思うくらい多かった
   向こうに見えるのが松江道)


結局大社へ先に着いたのは息子らの方でした。
けれど着いた先の駐車場が停める場所が無いほど混んでいたと言います。
8月に息子と二人して参拝した折にはどこもガラガラでしたが、今回は大社へ近づくにつれ車の数も増え、県外ナンバーも多く
見かけました。
もちろん自分達もその中の一員ですよね。
観光バスも結構来ていたように思います。
自分も大社の街へ入る手前で鳥取ナンバーの外車、シ〇レーのカ〇ロという車に先導してもらうかのように着いて走りました。(笑)
大社へ着くとちょうど12時頃、予定していたより30分ほど遅れましたが、まあまあな時間で着いたのではと思います。
               


                              




こんな感じでまだ着いたばかりの出雲大社;。
これから先はまた明日以降とさせてくださいませ。
全くね、肝心のことにはいつも辿り着かない弊ブログ、毎度のことと諦めてやって頂ければ幸い?です;。(笑)

本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
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出雲へ行って参りました

2020-10-27 21:06:52 | お出かけ
こんばんは。
出雲へ行って参りました。
戻って来たのが20時半位でしたので、すみません、今夜は写真のみとさせて頂きます。
明日にでも詳しく述べさせて頂きますね。



                            



                          



                           



                           



                            



                       
                                   



                          




毎度ながらまた微に入り細に入り、お伝えさせて頂くつもりです。(笑)
乞うご期待の程を。
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