日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

テラの男気;?

2018-05-31 20:54:05 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
このところははっきりしない感じのお天気が続いております。
朝のうち、かなり激しい雨が一時降りましたがその後は上がりましたが曇り空です。
雷雨等の激しい雨がこの後に降るといわれております地域の皆様はどうでしょうか、どうぞお気をつけ下さいね。





                                   


                                



                                 





あまり書くとご心配頂くようですので言わないに越したことはないのですが;。(なら、書かないでおいて、と自分でも思う;)
昨夜寝ながらどうにも胃の辺りが苦しいような痛いような、そんな感じでうつらうつらしていたおりました。
身体のこういう痛みはよく言われるようにどうかすると寝付いている時、副交感神経が働いている時の方が感じやすいみたいですね。
若い頃から疲れたりするとみぞおちの右辺りが何とも言えない鈍痛がすることがありました。
この頃はそういうことも鳴りを潜めていたようだったのですが、どうも最近の疲れが出ているようです。
歳だからとほったらかしにせずに、きちんとメンテナンスしとかないといけないですね;。
幼い頃は祖母が肩が凝ったとかあちこちが痛いというのを聞いても、その痛いという意味すらわからなかったのに、この頃は如実に感じておる
オバサンでございます;。(苦笑)




                          
                                  




先日より申しております神魂神社(かもすじんじゃ)、一度参らせて頂いた方が良いだろうなと思いながら今日の祝詞奏上の後に大神にお伺い
致してみました。



 〝 いつでも良い 焦るな

   良いと思う時に参れ

   焦るでない   〟



大体大神、神様に伺うと余程のことでない限り、焦るなという言葉を言われます。
またその逆に「急げ」「直ちに」と言われる場合は是が非でも急がねばならない時とも言えます。
今回は焦るなということですので、時期を見計らって佳い時を選んで一度まずは足を運んで来ようと思います。
元々、自分が夢で見た頃から一度は訪れさせて頂かねばならないと感じておりましたし、遅きに失しておるのやもしれません;。
けれど今回、焦らずともよいとのお言葉ですし今一度自分でどの日が佳いのか考えて参らせて頂こうと思います。
此処へ参ってみたいと思っておられる方もいらっしゃるかと思いますけれど、何度も申すようにまずは自分が一度参らせて頂き、どのような所で
あるのか感じて参りたいと思っております。

そんなことを大神に尋ねておりますとテラが話しかけてきました。


 “ わてもついて行くで~  楽しみやなぁ     ” 


ま、彼の場合、どこかへ出掛けるとなると途端に水を得た魚さながら勢いづくようですね;。(龍なんですけどね;(笑))


 そりゃいいけど、うちの車、ほんとに動かんし・・・;


 “ そうやねぇ  

   よっしゃ あんたさんは動かしてはるというところを 思い浮かべるんやで

   その間(プロセスのこと?)は考えんこっちゃね

   まかしとき ちょっと打ち合わせてくるさかいに

   待っといてな~   ”


 あれ、またどっか行った・・・;
 テラーー!
 声出して呼んでも返事なし;
 また平面の龍が置き去り・・・




                                       
 
                          

彼との会話を一度書き留め、今またこうして書き起こしてみてもまるで漫才みたいですけれど;。
それ、本当?ほんまか;?な感じが自分でもしておるところです。
我が家の車事情についてはこれまでにも再三お伝えしておるようにこのところは毎回レンタカーを借り出しては動いているのが実状です。
けれど一々にそれをするのも手間と第一に余分な金銭が発生します。
なかには今の車自体をもう手放してずっとレンタカーで過ごせばいいじゃないと言われる方もおられます。
自分自身も確かにその方が良いのかもしれないと思いつつも、やはり愛着のある自分の車でどこへでも気兼ねなく、いつでも出発することが出来
ればどんなにいいだろうと常に考えてしまいます。
そんな自分の心の内はテラ自身も良く知っておるわけですし、それならば此処で一つ男気、いや龍気;?を見せようとしてくれたのでしょうか。
その方法としては、これまでも申しておりましたことですが既に自分がその「結果」の状態、状況にあるよう思い描くこと、イマジネーションする
ということのようです。
それまでに至るプロセス、経過はこういう手続きや手順を経て、という風にガチガチに固めてしまわないことともされているようですね。
もしそう仮定しておくと、そうでない状況になった場合、それ以外の方法ではそのプロセス自体が受け入れられないからだと言われております。
テラの場合、このプロセス部分を担当しようとしてくれているのでしょうか。
自分自身はそうなっているという状況のみを想像し、後は彼にお任せしておくということのようですね。
よっしゃ、任せとき、打ち合わせしてくるさかいに、とは言っておりますが果たしてどこへ行き、誰と打ち合わせてくるんでしょうね;。
どこ行くの?と尋ねようとして声を掛けた時には、いつものもぬけの殻;、あとに残るはこれまた彼、テラのさながら代弁者の如くの平べったい
姿だけでした。
                  




                                    



                                 


                                      






勇んでどこかへ出掛けていってくれたテラ、果たして彼が言うようにうちの車は動かせるようになるんでしょうか、或いは全く別の事柄がサプラ
イズのようにして齎されるのでしょうか。
それこそ今の自分にはわかりません。
ただただ自分は、自分の思うような状態で車に乗れているという状況の設定のみを想像しておこうと思います。
え?虫がよすぎるんじゃないのかって?
確かにそうかもしれません。
でも、そんな風になったら素敵と思いませんか?
そんな自分になれているかどうか、それがいつなのかはまるでわかりません、けれどそうなれている自分を思い描くのはそれこそワクワクする思い
です。
その時には、こうなりました~!な証拠写真をバッチリ載せさせて頂きたいと思います。(笑)
一週間後かもしれませんし、来年になるかもしれませんけれど;;。





                                       





                                        





                                         






                                       






                                       




夕方、ふと外へ目を向けると、久しぶりにこんな綺麗な夕焼けが出ていました。
さながら龍の胴体を見ているようでした。
どこかへ向かっているうちのテラ?でしょうか。(笑)



明日はこのあたりは今日までとは違い暑くなりそうです。
皆様のお住まいの辺りは如何でしょうか。
どうぞ天候不順による被害のあられませんことを祈っております。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
コメント (2)
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やっぱり貴方はオンリーワン!

2018-05-30 21:20:11 | ものの見方 考え方
こんばんは。
このところ毎日のことですがはっきりしないお天気が続いております。
曇って今にも降りそうと思っていると晴れ間が覗いたり、かと思うとパラパラと降ってきたりと安定しません。
そういう時期なのかもしれませんけれど、どうにもな;な感じです。
これから梅雨にもなるのでしょうし、しばらくはこんなお天気なのかもしれませんね。


  
                               

                                 






                                




昨夜は五月の満月。
とはいえ先に申したようにお天気が今ひとつで、いつ月が昇ってきたのかもわからないくらいでした。
自分はあまり知らないのですが、どうやらこの満月の夜はウェサク祭として世界中で祝うそうで日本では鞍馬寺が有名らしいですね。
元々はヒマラヤのウェサク渓谷で始まった釈迦、ブッダの記念祭なのだとか。
釈迦の誕生日、悟りを開いた日、また入滅した日が全てこの満月の日であったことから制定されたとのことです。
いずれにしても世界中の人々が同じ満月を見ながら祈りを捧げるというのは素敵なことだなぁと感じます。

神道でも満月、新月の日は特別とされておりますけれど、やはり月には人の心や身体に訴える力があるのでしょうね。
重力の関係も、これもよく言われることではあるのでしょうけれど。
そんな満月、寝る前に少しだけ雲間から姿を覗かせてくれました。
写真を撮ると、あっという間にまたもや雲に隠れてしまいましたけどね;。





                                  






                                  



                              


                                   





この月もですが、今少しだけ星を習っております;。
え?何それ?と言われそうですけれど;。
占星術、皆さんもよくご存じかと思いますけれど普通に拡まっているのはおそらく自分自身を中心としてその周りを太陽やら他の惑星がどこの位置
にいるかを見るものだと思います。
習っておりますのはそれとは違い、太陽を中心にした見方のものです。
いわば天動説で見るか地動説で見るかの違いになるのだと思います。
まだ習い始めたばかりで殆ど何もわからん;状態でもあり、とても、習っておりますの、なぁんて自慢気にいえるものでは到底ありません;。
ですけれど太陽を中心として、自分が生まれた時間にこの太陽系の星々が一体この宇宙の(というのは大袈裟ですが;)どこへ居たのかというのを
たとえ平面、二次元であったとしても図の中でその位置を見られるということに自分はとても興奮しました。
申すように天動説か地動説か、要するに自分中心か或いは少しだけ俯瞰して見ているかの違いなのだと思うのですけれどね;。
またメジャーな占星術を殆ど知らないが故に、何がどう違うのかすら全くもってわかりません;。
何度も申すように全くのど素人です。
けれど何も知らないことで習うことに新鮮味があり、面白いのも事実です。

毎月千田さんに惑星オーラカラーリーディングの講座を受講させて頂いておりますけれど、それとはまた別の角度、観点から見るようですのでいわば
全くの別物という気がします。
彼女のワークはとても仔細で緻密な内容で、とても素敵です。
毎回習わせて頂くことも違っておりますし、いつも楽しみです。
ですので今習おうとしている星のことは殆ど別物のような思いで習わせて頂こうと考えております。

ただしこれから習うことが果たして自分の身につくのかどうか、こればかりは習ってみなければわかりません;。
四十の手習いならぬアラカンの星読み;?となりますかどうか、というところです;。(笑)





                                   




そんな習い始めたばかりのものですけれどこのヘリオセントリックチャートというものに自分の家族、向こうの世界におります主人、それに息子の
それぞれの生年月日等を入力して見てみました。
当然ではありますが、家族三人のこのチャートを見比べると全くの三人三様、似ている部分があるようにも感じられますが全く違います。
それこそ生まれた人の数だけのこの時の星の位置があるわけですよね。
なんとも不思議な気がして、というよりも見た瞬間、わぁ、すごい!と思わず感動したくらいでした。
申すように二次元で表された図ではありますが、自分という一人の人間がこの世に生まれ出て来た時の天体の位置、それはこのようになっていたん
だと思うと、逆にこの星がこのような位置の時に自分は生まれたともいえる訳で、いずれにしても何とも言いようのない神秘な巡り合わせを感じた
のでした。
何もこのヘリオセンといわれるものではなく、普段目にする占星術のチャートに於いても同様に天体の位置は描かれているわけでして、これも先に
述べたように見方が違うだけのことです。
いずれにしましても自分が生まれ出でた時間の天体の位置、各人各様千差万別、全く違うのだと考えると、自分と隣の人、自分の家族でさえも似て
いてもどこか違うというのはこういうことなのかな、とも感じた次第です。
そう思うと一人ずつがとてもユニークで貴重な存在なのだと改めて感じたのでした。
みんな違ってみんないい、そんな言葉が確かありましたが、それこそ生まれた時からみんな全く違ってて、でもそれがとても素敵なことなんだと素直
に思えたのでした。




                                      






これまでの時代、殊に日本という国に於いては人と変わっているのはどうも良くないとされる風潮が大きかったように思います。
そんな考え方も大分変わって来ておるようですが、まだまだ出る杭は打たれるとの譬えのように横並びで居るほうが良いと言われることも少なく
ありません。
しかしこれからの時代、それこそ生まれて来る次代を担う子供達はますますユニークな個性を持った子達が多く出てくるのではと思います。
それぞれが違うけれどそれぞれを認め合える時代、それがこれからの時代、ひいては地球の在り方になってくるのではとも感じます。
どんな星のもと、ではなくどんな星の並びの時にこの子達は出て来るのでしょうね。
チャートを見ながら、そんな未来の事を感じました。




                                    






                                     






                                      




今日は神様もテラも、だあれも出てこない弊ブログとなりました;。
龍の話を待って下さっている方がおられましたらば、申し訳ございません。
また彼はひょっこりと顔を出すかと思います、少しだけお待ち下さいませ;。(え?わて、モテるんかいな、嬉しいわぁ)

そんな今日のブログへお付き合い下さいました皆様、いつも有難うございます。
感謝申し上げます。
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神奈備た処

2018-05-29 20:44:36 | 神様等について
こんばんは。
まるで梅雨入りしたかのような一日どんよりとした日でした。
日中、少し雨がありましたがその後は上がり蒸したように感じられました。
                              




                                  



                            
                                

                                    





よく夢を見ると話しておりますが昨夜も何か見ていたようです。
目が覚める直前まで不思議とこれは覚えておこうと考えているようなのですがさめた途端、忘れてますね;。
それでも覚えている間にメモすればそれは案外と後まで頭に残っているのですけれど。
今日は最後の方を少しだけ覚えておりました。
前の場面は忘れておりますが、どうしてか飛行機が離陸する際にその直下に入り飛行機の脚?が収納されていくところを反対方向へ向かいながら
見ていたというものでした。
脚も何本もあるようでそれらが収納されていくのを見ているという、なんとも意味のわからないシュールな場面でしたけれど;。
まるでハリウッド映画のCGならぬ夢版;?というところでしょうか。(笑)



                                  


                                  





昨日、神魂神社について少し触れておりましたけれど、この「かもす」という言葉がどこから出たのかはわかりませんけれど元々は神生す(産す)
「かみむす」だったのかな、と感じました。
神様が(お子神を)産むもの、まさに伊弉冊大神(いざなみのおおかみ)そのものを表しているのではと思いました。
とはいえ、あくまでも自分の思ったことにしか過ぎませんので本当にそうであるかどうかはわかりません。
普段はそれほど訪れる方が多くない神社と伺っておりますが、参拝させて頂くにはむしろ良いのかもしれませんね。
神奈備た(かむなびた)、つまりは神が坐します(おわします)処としては静かでもあり相応しい場所であられるのかもしれません。

神奈備たという意味では以前にご紹介させて頂いた島根県雲南市にあります飯石神社(いいしじんじゃ)もそうであろうかと思います。
山間(やまあい)のひっそりとした処へ、本当にその気になって訪れなければわからないような場所へ位置しておられる神社です。
鳥居はありますけれど普通は見られる狛犬や灯篭等は配されておらず、古代そのままに御神体も磐座(いわくら)を直に拝む形となっておられる
ところです。
申すように鄙びた場所にあり、華美な部分は全く無い場所ですがその御神域に一歩足を踏み入れた途端、不思議と心洗われる思いがし清々しさを
覚えます。
神と人間が相対しておったのは、やはり元々はこのような場所ではなかったのかと感じられる処です。

多くの方が訪れる大きな神社はそれだけ人の氣 もざわついている処も無きにしも非ずなのでは、とも感じます。
その意味では出雲大社は大きな神社でありますが、一般の方々が気軽に参拝出来る場所と、先日も例大祭の斎行されました八足門より中の垣内、
御本殿傍ではその空気は全く違います。
まさに神坐します処、それがひしひしと伝わってくる場所でもあります。
そう考えると御神域というのはとても大事な場所なのだな、と改めて感じますね。

と書いてきて、おや;では我が講社のつまりはうちの神殿は果たしてどうであろうか、そう思うと、おおっと;これは大変;大丈夫じゃろうか;
と一気に自分でも考えてしまいます;。
日々祝詞を上げさせて頂き、神坐します処として相応しいかどうか;、自分の肝に銘じておらねばと感じるところですね。
精進させて頂けかねばなりません;。





                                    




今日、昨日書きそびれた別のことを書くつもりでしたけれど、書き進めるうちに今日はこの話となっておりました。
おまえ神主という割にはそのようなことを書いておらぬであろう、少しは勤めよ、そんなことを神様に言われたわけではあろませんけれど、何故か
書いておかねばならない気が致しまして、このような事となりました。
って、それにしてはこれまたあまり内容は充実しておらぬのですけれど;。
此方も合わせて精進させて頂きたいと思います。




                                     



夕方歩くと多少は青空らしき部分も見えましたけれど、やはり雲が多い空でした。
明日もそんな風なお天気のようですね。
やはり梅雨も近いのかもしれません。


そんな今日のブログ、いつに変わらずお付き合い頂きました皆様、真に有難うございます。
感謝申し上げます。
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白い龍は何処から?

2018-05-28 22:05:09 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
朝から曇りがちな一日でした。
その分、少し動くとムシッとする体感でした。
お隣の山口県は今日梅雨入りしたらしいとのことですし、今年は梅雨が早いのかもしれません。
青空がしばらく恋しくなるかもしれないですね。

                     
                                   



                                   






                                  




今日は疲れもあり(毎回しつこくすみませんです;)祝詞も少しいつもより短めに奏上させて頂こうと考えました。
それでも御神前に座り祝詞を上げようとすると頭の中にあの白い龍が現れました。


 祝詞を上げようとするといきなり白い龍を感じる 驚き
 今日も胴体部分だけだけど しなやかな動きのあるような
 前回より より立体的に感じる
 その上 千木(ちぎ)の部分を見る?
 なんだかとても具体的なような

 テラはテラでいるのにね
 どこかで交わるのか?
 どうも気になり 八重垣神社をネットで拝見すると少し違う感じ
 もしやと思い神魂神社(かもす)を拝見すると想念の中で見た千木と背景の樹木の様子がそのまま
 夢でも一度見たしなぁ
 やはり参れということか



そう、いきなりぼんやりした頭の中へあの白い龍のイメージが入ってきました。
龍といってもこの度はテラの時とは違いまだ顔の辺りの様子までは浮かんできておりません。
それでも昨日も申しましたように、どこかしらたおやかで女性らしい感じを覚えます。
しなやかさという感じでしょうか。
テラと比較するならば、彼(そうテラは彼、だと思います;(笑))は躍動的で活発です。
能動的でもあります。
片や此方の白い龍はどうも受け身、受動的に思えます。
とはいえ、まだその胴体くらいしか感じられておりませんので、実際にそうであるかどうかはわかりません。
あくまで自分自身が頭の中で感じておるイメージですので。
そんな白い龍ですが見えたその胴体は、今回はどうもその鱗まで感じ取れるように思われ前回の神社の屋根部分に当たるのか千木が見えたように
思えました。
千木とは屋根の両端で交叉させた部材のことで今は神社にしかそれを見ることは出来ません。
出雲大社や伊勢神宮等を思い起こして頂けるとお分かりかと思いますが、先に書いたように建物の屋根の両端に大きくクロスした材のことです。
そのような千木の辺りが想念の中へ入ってき、その背景には樹木も見えたように感じました。
やけに具体的に見えるなとその時に思えたくらいでした。
参考までに出雲大社の千木を今一度揚げておきますね。
尚、横に見えておる材は鰹木といわれております。



                                  
                               
                              


自分には既にテラという頼もしい;?(そうやで)龍がついてくれておるはずですのに、どうしてまたこの白い龍が頭に浮かぶようになったのか
まだわかりません。
そのうちにこの二柱の龍はいずれどこかで交わるようになるのだろうか、そんなことも何となく考えたりしておりました。
いずれにしてもこれほどに具体的に千木が見えたりしますので一度ネットで検索してみようと思い調べてみました。
何とはなしに何故か八重垣神社が気になり拝見してみましたが、少し違うようです。
そこで、もしかするとと思いその近くに在ります神魂(かもす)神社を拝見すると、なんとまさにそこの神社であるようでした。
想念の中で見た千木といい、その背景の樹木の感じがそのままのように感じられました。
こんなことってあるのかぁとも思いましたが、この神魂神社、以前にも夢で拝見しておった所なのでした。

                               










夢で見たというのも、これもかなり以前の話です。
スピ系ブログの中でヘミシンクを独学で学んで今は様々な活動をしておられますまるの日圭さんとおっしゃる方がおられます。
その方のブログ内で質問コーナーというのを設けておられ、その最初の頃に自分の夢見たこの神社のことを尋ねた覚えがあります。
答えはどうであったのか、相当な以前ですので確とは覚えていないのですけれど自分に縁のある場所かもしれませんのような事を言われた気がして
おります。
夢自体は、石の段々があるような道、確か少しだけ坂道のようなところを歩いており前から来た人とお互いにどちらへ避けようか、どう譲ろうかと
迷っていたような場面があったのを覚えております。
道の両側には特に何もありませんでした。
覚めた後、取り立てて変わった夢でもなかったはずですしそれほど気にもしていなかったのですが(多分覚えてもいなかったと思います;)ある日
たまたまグーグルマップで神魂神社を拝見した時、急にああ、此処夢で見た!と強烈に感じたのでした。
その時に本当に突然その時の夢が甦ってきて、余計にまるの日さんに質問したのだと思います。
先に書いたように夢の中では参道と思しき道の両脇は何もありませんでしたが実際の神社は鬱蒼とした木々に囲まれております。
それを見ても自分の中では、その昔は此処もこんなに木は生い茂っていなかったはずだ、と感じておりました。
何故、行きもしたことのない場所をそのように夢で見て、尚且つ木々に囲まれた参道をそのように何もない状態を感じ取っていたのか、自分でも
不思議です。

この神魂神社は出雲大社の国造家とも深い関係のある社とされておるようです。
此処のところはまた話が長くなりそうですし、自分の夢のこととは若干意を異にするようですので今回は割愛させて頂きます。
それでも今後何がしかの事がわかったならば、その折にはまた話させて頂こうと思います。

そんな神魂神社と思われるところでこの度の白い龍を感じたのでした。
因みにこの神魂神社の御祭神は伊弉冊大神・伊弉諾大神(いざなみのおおかみ・いざなぎのおおかみ)とされておるようです。(現在は熊野大神・
大巳貴命も坐すとされております)
つまりは主祭神は女神様ということのようですね。
伊弉冊大神、神話にありますように天地開闢(てんちかいびゃく)の際に伊弉諾大神と共に生まれた神様でオノゴロ島へ降り立ち国産み・神産みの
時には国作りのため多くのお子神を誕生せしめた神様とされておりますね。
最初の頃の重要な神様とも言える女神でもあります。
この伊弉冊大神・伊弉諾大神について話をしていけば、これまたいくらでもお話は続くわけですが、今回はそことはこれもまた違うようですので
ご紹介程度に留めさせて頂きますね。

今回感じたこの白い龍、果たして伊弉冊大神、イザナミノオオカミと関係があるのかどうか、今の自分には全く分かりません。
けれど神魂神社であるならばお隣の島根県松江市ですし、申すように出雲大社とも縁の深い神社でもあります。
近いうちに足を運んでみて、此処でその白い龍を感じられるのかどうか検証してみる価値はありそうですね。
う~む、テラと共に足を運んでみなくてはいけませんね;。(お、わて、どこでもついて行くで、楽しみやわぁと傍らで話しております(笑))





                                       





今日は実は全く別のことを話そうと思っておりましたがどうやら白い龍のことを書かねばならなかったようですね;。
そのうちに、またツアーでも企画してみましょうか。
どなたかお越しになるようでしたら、考えてみたいと思います。


 “ わてもいてるさかいにな~

   あんじょう たくさん来たってや~    ”


とこれまた横から強引に話を持っていこうとしておるテラがおりますけれど;。(笑)
さてどうなりますことやら;。




                                  
                                      





                                      




夕方はやはりこのような曇り空でした。
明日は雨かもしれません、だとすると広島県も梅雨入りとなるかもしれませんね。


白い龍、それにいきなり話に割って入ったテラ;の半分、いえ殆ど妄想話となってしまいました。(これとていつもの事ですけれど;)
そんな今日のブログへのお付き合い、いつに変わらず有難うございました。
感謝申し上げます。
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お祓いへ参りました

2018-05-27 21:31:44 | 仕事について
こんばんは。
昨夜、どうやっても寝付けず、その度に枕元の時計を見ては、2時、3時と確認しておりました。
見てもどうにもならないスマホのニュースを見ては寝ようとして灯りを消してはまたつけるようなことを繰り返しいつの間にか寝てはいたので
しょうね。
目覚ましで起きて眠い目をこするようにしていつもの朝日を写しました。
何か特別したこともないのに、時折このように寝付けず困ることがあります。
その分、日中に眠気を覚えることは確実です;。




                                  


                              



                                    






日曜日はいつもの時間より30分ほど遅くに毎回利用するバス停から始発のバスが出ます。
さすがに日曜の朝早くにはそれほどお客さんがおられるわけでもないでしょうしね。
この時にはまだ眩しい日の光を浴びておりました。
夕方近くなるにつれ曇りがちになっておりましたけれど。
ともあれまたもや車を借り出してお祓いへ出向かせて頂きました。
今日のお宅は少しだけ遠方で、その分高速を使います。
遠方といっても以前ほどには遠くもなく高速を使っても1時間と掛かるかどうかな場所ですね。
4ヶ月に一度のお祓いですので、感覚としてはついこの間お会いしたように思えます。
それでもお会いしてお話させて頂くと、その4ヶ月の間に様々な事がおありになっていたりします。
当然な話ではありますけれど、色々おありになるものだなぁと感じております。
何かそのご家庭にとって節目のような時期を迎えられると、不思議と慶事や弔事が続いておられたり致します。
伺う際にはそうなんですねという思いで聞かせて頂いておりますけれど、後で考えるとそれが此方のお宅の変わり目であられたのかもしれない
と感じることも少なくありません。
その節目のような時期に対してご家族の皆様がどのように捉えておられるかでその後の流れも変わって来られるようです。
これとてよく言われておることかもしれませんけれど、これくらいで済ませて頂いてよかったと考えられるか、逆に神様をお祀りしているのに
こんなことになるなんてと感じられるかの違いのようです。
後者のお考えの方とは、これも仕方ないのかもしれませんがやはりそのうちにご縁が薄れてしまうようです。
神様と考えずとも、物事何事も良い方へ解釈されておられたならばかなりそれ以降が変わって来ます。
どちらの道を歩むかは自分次第ですけれど、出来るなら良い流れの法へと変わっていきたいものだと思います。





       





        




午前中、そちらのお宅を訪ね、午後からはブックマークさせて頂いております門藤(もんどう)さんのお宅へ伺いました。
その前にスーパーへ寄りお弁当を買ってお昼にしたのですが食べた後、車の中でシートを倒して少し寝ておりました。
いつもならなんとなくまどろむ程度ですが今日は先にも書いたようにかなり眠気が勝ったのか、窓をかなり開けていたとはいえ相当に暑いと思える
車内で(エアコンはつけておりません)どうやら口を半開き;にして2、30分程は寝ていたようでした;。
やはり昨夜の練られなかったのがその頃になり堪えたのでしょうね;。
広い駐車場ですので別に車内でどのように過ごしておろうとひと様が覗き込むこともないでしょうけれど、何とはなしにばつが悪い思いがしており
ました。(笑)





                               





お訪ねするといつもお祓いの折にはご用意して下さる太鼓も出しておられ、三宝にも野菜や海菜等のお供え物をしておられました。
門藤さんご自身は作業場の方で忙しく立ち働いておられました。
来しなに見える田んぼはどこも水田となり苗が植わっておりましたが、どうも門藤さんのお宅の田んぼはまだ何もしておられないようでした。
聞けば今年は殊の外忙しく、まだ手をつけていないとのことでした。
しかし今週の火曜日、30日には鹿児島から一回目の合鴨の雛が到着するとかで田の方も急がねばなりませんと話しておられました。
此方の門藤農園では田んぼにこの合鴨を放して稲を育てる合鴨農法をされており、出来たお米は全国発送しておられます。
その発送の仕事に加え、味噌を仕込んだりそれを近くの販売所へ持っていったりと、一日ご夫婦で息つく間もないほど動きまわっておられます。

それらの仕事の合間を縫って今回もお祓いをさせて頂きました。
此方の門藤家の神様のみならずご本家となられる和気(和気)家、並びに嫁がれた娘さんのお宅の神様もお呼びさせて頂いて祝詞の奏上をさせて
頂いております。
門藤家以外の二軒も当然、大国主大神がお祀りしておられるからこそ出来ることです。
以前はこの二軒も参らせて頂いておりましたが何かとご事情があるため、此方へ神様をお呼びさせて頂くという形を取っておるものです。
ご主人は先にも申したように彼方此方へ出ておられるため、大抵は門藤さんお一人でお座りになられお祭りさせて頂きます。
事故で痛められた足を手術されたとこのことですが、完全には治りきらず、以前ほどには動けなくなったといわれております。
それでもこれだけのご準備をして下さっておられたことには感謝の思い致すところです。

二人でお祭りをさせて頂き、ほっとしていたところへお米を買いにお客さんがお見えになります。
今日は特に日曜ともあって余計にそのような方がお見えになっておられたようでした。
そのようなことで動いておられると普段からお昼ご飯が相当に遅くなるらしく、今日もお祓いを終えお米を買いに来られる方を応対して後に
やっと昼食となられるようでした。
この頃で既に3時になろうとしておりました。
普段ですともう少し話をさせて頂いたりしてのんびりと過ごすのですが親戚にあたる方もお見えになっておられましたので、自分はきりの良い
ところで帰らせて頂くことにしました。





                                    



   

                                    





こんな風にしていつもより早めに終わらせて頂きました。
合鴨が来た頃、また参る機会があればあの元気で可愛い雛達に会いに行きたいですけれどね。
息子が幼い頃、そんな雛のいる所へ立ち入って雛に囲まれながら寝っ転がっていた時の写真があります。
最初は逃げ惑っていた雛達ですが息子が何もしないとわかると周りへわらわらと寄ってきてはお腹の上に登ったり好き放題しておりました。
雛が来る頃になるといつもあの光景を思い出しますよ、と門藤さんに言われました。
お互い懐かしい思い出です。




                                   
   



これでほぼ今回の厄月のお祓いは終えたことになります。
以前に比べれば随分と参らせて頂くお宅も減っております。
それでも今後も神様を祀りたいとおっしゃって頂ける方がおられましたらば喜んで伺いたいと思うところです。



書きながら、またまた寝てしまいそうになっております;。(笑)
いつに変わらぬお祓いの様子を書かせて頂きました。
今日はこの後、お風呂に入って休みたいと考えております。
昨夜眠れなかった分、今夜は十分に寝られることでしょう。(笑)





                                    




さして代わり映えのしない今日のブログとなりました;。
それでも変わらぬお越し頂きました皆様、いつも有難うございます。
感謝申し上げます。

                                     
コメント (2)
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