日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

大神の話も葬儀も含めてあれこれ話

2019-01-31 19:31:18 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
朝からどんよりとした感じで、いつの間にか本核的な雨となりました。
先日から雨が欲しいと言っておりましたし、実際降るとなんだかなと思いながらもこれで多少は水不足が解消できるかなと思っているところです。





                                         





                                          





そんな雨の日、朝撮ったこの2枚位しか、今日は写真がありません;。
ですのでこれ以降に出す写真は、それ以前に撮ったものと考えて頂ければと思います。
まぁ、何もどうででも写真がないといけないということはないんですけれどね;。
ですので過去?の写真からの掘り出し物(笑)を見つけて出させて頂こうと思います、はい。





                                      




朝はいつものように祝詞奏上させて頂きました。
毎回同じ祝詞を奏上するため、殆ど文言というのか文章はそらで言える状況ですが実際にはちゃんと目で追って申し上げねばなりません。
これも当然いつもそうしておるわけですけれど、何故だか今朝は上げる祝詞の文言がいつの間にかご先祖を拝む時に上げる祭詞(さいし)の
それになってしまい、あらあら;と自分でも戸惑いました。
目で文字を追っているつもりが口から出てくる言葉がご先祖を祀る際のそれになっていたということです。
これはいけない;と気を取り直し、改めてもう一度拝礼し直し、祝詞を奏上致しました。
それでもどうしても途中何箇所か言葉に詰まるようなところがありました。
何故だろうと思いながらも、頭の片方ではどうしても先日の叔父のことが浮かんで来ておりました。
それを感じながら奉幣を振ると大神からの言葉を賜りました。


 大神

 “ ひと一人 この世界からいなくなるということは

   それだけで悲しいものじゃ

   特に縁があるもの 血縁のあるものなら 尚更やも知れぬ

   けれど 御霊は変わらず続いて参るぞ

   新しき生を受けるまでは この者として思うてやるがよい

   弔いでもある  ” 



 金龍の香りをつけていたのでこれは金龍か


 金龍

 “ 身体はやがて土へと還る

   ただし 魂は続くのだぞ
   
   それを忘れるな  ”
                                            



                                                         



大神、また香りをつけていた金龍からそれぞれ異口同音?のようにして同じようなことを言われました。
人が一人、この世界、3次元の世の中から居なくなるというのは確かに身内であれば余計に悲しく辛いものです。
考えまいとしても、どうしてもどこかで考えております。
大神が言われるように縁がある人、ことに血縁であるならば尚のことかと感じます。
会わなくなった、会えなくなっていたとしても同じこの世の中、世界には必ず居る、それも生きている、とごく普通に考えて普段はおりますので
特別何も思わず過ごしております。
けれどこうして肉体の死を持ってこの人ともう永遠に会えなくなったと思うと、どう考えても辛いとしか言いようがない部分があります。
あの姿、振る舞い、声も聞くことが出来ないと思うとなんとも言えぬ思いにかられるものです。
仏教でいうところの四十九日、神道では五十日祭、それまでは在りし日のその人を偲んで思うことが互いの慰めになるのかもしれない、そう感じます。
十二分と思えるほどの思いを感じながらしばらくは過ごしておきたい、そんな風にも思います。

二ヶ月足らずのこの間、その昔はその家の長(おさ)が亡くなると次の長となるべき者が遺体となった故人と共に自分らの住まう集落から離れた
地へ設けられた墓所でその間の食料を持たされて、じっとそこへおったのだそうです。
この間に棺桶というよりも丸い桶の中に入れられた遺体は死後硬直等を経た後、時には身体の中から洩れる空気がさながら声を出すかのような
音を聞きながらも、それでもその間は集落へ帰ることも許されず、ただじっとそれに耐えながら過ごしたといいます。
時間が経つに連れやがて遺体は腐敗しその何とも言えぬ臭気にも苦しみながら人が死ねばこのようになるのだということをいやがうえにも自分の
体験として感じ取りながら、次第に遺体は白骨化していく様を見続けたのだそうです。
その一部始終を見届けた者だけが、次の長に選ばれたといいます。
この間の腐敗臭を消さんがために香を焚く、すなわち臭い消しの為にそのようにしたとも言われておるそうです。
焼香するという起源はそのようなことであったとも聞きました。
今は火葬が主であり、そのように遺体が変化していくことも知らないのが普通かと思います。
今目の前にあった慣れ親しんだ姿のその人が何時間かすれば既に遺骨となっておる状態、それはそれで悲しくやるせないものでもあります。
けれどその昔は、上記のようにして身体は朽ちていくものだと大よそ殆どの人間が分かっていたのではと考えます。
だからこそ、この姿のこの人はこの世にはいないんだと身をもって感じ取っていたのでは、とも思います。

けれど、では御霊そのもの、魂そのものはどう考えられていたのか、この腐って朽ちていく肉体には留まることはなく既にそこを離れ次への旅立ち
へと向かっていったのではないのか、そんな風に思われていたのではないのか、そう感じたりも致します。
果たして古の人々は魂のことはどのように感じていたのか、我々にはわかりませんが案外と自分達以上にごくシンプルに魂はこのように離れて行く
ものだと感覚的に感じ取っていたのでは、とも思います。

その中で御霊、魂はそれが入る器、肉体を取り替えながらも連綿と続いて行く生があるようです。
上で言われていることですね、一度はこの今の肉体の弔いを行いながらも尚続く魂、生があるということ。
そのことを思いながら過ごしていく期間がこの二ヶ月足らずの時なのかもしれないとも感じております。
しかしどう考え、感じても今はまだ悲しみが感情の多くを占めております。
それを存分に味わっておきたい、そうも思う自分です。




                                       




そんな悲しいと思えていた葬儀の合間にも、おや;と思うことも無きにしも非ず。
式の間に色々とお世話をして下さる係りの方がおられます。
その女性の方の髪形がかなりキッパリとしておられまして、まるで○ルゾン○○○さんのよう;(いや、ほんとに)
お顔はというと、これがまたはっきりとした化粧をしておられて、益々似ているように感じておりました。
しかしスカートから覗くおみ足はとてもスラリとしておられ、素敵でした。
テキパキと事をこなしていかれる彼女の姿にどこか頼もしさも感じておりました。
短い間でしたがそんな方に最初から最後までお世話頂いたのは良かったことなのではと、これも感じたことでした。

葬儀の後の食事の間には先日も申しましたように殆ど知らない向こうのご親族の方々でしたが、結構な人数の方が参列して下さっており、叔父が
この地、またこれ等の方々に親しくして頂いていたのだなと思えた事でした。
無口とはいえ案外慕われていたのかもしれない、そんな叔父を感じられた時でもありました。

帰りは来た道ではなく下道、県道を通って戻りましたが、その最中昨年の豪雨災害があった地区も道路の脇や下に見ながら未だに片側交互通行と
なっておるところを通って帰りました。
自分は運転しておりますので、そこまで見られませんでしたが、あの折の爪痕は未だに痛々しく復旧もままならぬ様子でした。
叔父のいるところは被害は免れたようでしたが、少し走るとそのような場面にも出くわし、災害の大きさを思いました。

最後は一緒に参りました従姉妹を自宅まで送り届けました。
広島市内まで戻ればバスで帰ろうと思っていたと言っておりましたが、どうせ同じ区内でもあり道も知っておるところです。
玄関先でそのまま帰るつもりでしたが、まあせっかくだから上がっていってと勧められ、ならばとおそらく初めてのその従姉妹の家に上がらせて
もらい、従姉妹のご主人、久しぶりのおにいさんにもお会いしました。
このおにいさんが既に76歳とおっしゃいます。
もうそんなになられるのか、と昔お会いした頃よりも饒舌になられたなと感じながらもお話を聞いておりました。
亡くなった叔父とはほんの2、3歳ほどの違い、同じ年代であられるのかと思いながらもまだまだお元気そうな様子に安心も致しました。
けれどご自身が3歳の頃、広島市内で原爆に遭い命からがら母親と広島駅まで行き、そこから乗ろうとした列車が出るはずもなく歩きどうしで
幼いその子、おにいさんは母共々連れ立って延々と広島のそのまた奥の田舎まで帰られたのだそうでした。
そんな経緯があるにも関わらず身体に目立った症状も出ることもなく成長し、やがて縁あって従姉妹と結婚し高度成長時代と共に働いて来られた
年代でもありました。
誰しも紆余曲折のある時を過ごしながら今に至っておられる訳ですけれど、それぞれの生き様に触れさせて頂いた葬儀の日でもあったようでした。

叔父は2月の誕生日の前に79歳で逝ったそうです。
葬儀の日は29日、実は叔父の兄、つまりは自分の父親が逝ったのも79歳、また月こそ違えど同じ29日の葬儀でした。
この29日はこれもまた実母の亡くなった日でもあり、それが3月の29日、父も同じ月のこの日の葬儀でした。
どうにも今回、うちの父がどうせなら同じようにせんかとでも言うように仕向けたのでは、ともつい感じておりました;。
若い頃、曲がりなりにも同じ屋根の下で暮らした家族です、もういっぺん最後は一緒に集まろうや、そんなことを軽口を叩くようにあの世から
兄貴風でも吹かせたのでしょうか、何ともどこまでいってもやんちゃで?迷惑な父ではありますね;。
しかしそんなことを知っておるのは娘である自分ひとり、なんだかなぁ;と思うところではあります;。





                                    




どうにもすみません、思いの丈をこの3、4日間書かせて頂きました。
どう考えても自分自身の日記?備忘録とでもいうもののようになっております。
けれどこうして書かせて頂いたことで、どこかすっきりさせて頂けたことも事実です。
明日からは新しいことを書いて参りたいと思います、今度こそ;。(笑)





                                         




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
心より感謝申し上げます。
  
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叔父の引き際

2019-01-30 21:03:18 | 家族のこと
こんばんは。
先日雪が降りましたが、それ以降は目立って天候が崩れることはなく晴天が続いております。
活動するには何かと楽ではありますが、インフルエンザ等のこと、また作物、水の量等を考えると一概に喜べないところですね。
もう少し降ってほしい、雪でも雨でもというこのところです。


                                   


                                    





                                   




                                      




                                         





昨夜のシリウス、続いて今朝の空です。
昨日ブログでは眠いと書いておりましたが、あの後お風呂に入りグズグズしておりますと眠いけれども寝られないというそんな感じになり
結局床に就いたのはいつもの零時近く、また布団に入った後も神経が昂ぶっていたのかいつまでも頭が変に冴えているようでした。
夢も朝起きた時には結構覚えておるほどでしたが、それも次第に薄れておりました。
いずれにしても身体は疲れていても休めない、そんな風でした。  




                                        




それでも一晩寝ると気持ちもかなり持ち直しており、昨日の葬儀の続きを書くのもどうだかな;という気にもなっております。
最中の様子はあのようなものですし、どうもね;ですけれど。
そう感じながらもとうとつと書かせて頂くことと致しました。

後は出棺し斎場にて最後の別れとなります。
棺が火葬場の扉の向こうへ行ってしまい最後に閉められボタンを押されると、とうとうこれであの姿には会えないんだなとより一層寂しさが
募りました。
分かっていてもどうにも出来ない気持ちというのがあるもんだなぁと我ながら感じていたのでした。
そうこうしつつも待合室ではこの時間を利用してお昼のお弁当が用意されておりました。
昨日も申したように見知った顔は従兄弟くらい、後はほぼ叔母方のご親族でもあり結局はそのように分かれてそれぞれに食事を取りました。
弟は葬儀の最中に会社からの電話で出棺のタイミングで一足先に戻りました。
食事をしながら叔父について話をしつつ、外に目をやると気持ちがよいほどのお天気です。
斎場自体がまだ新しく一面のガラス張りの向こうには山並みとともに遠くには瀬戸の海も見えるようです。
こんなお天気の良い日に葬儀ということは、叔父は案外と日を選んで逝ったのかもしれない、とふと感じておりました。
息絶えたのはこの27日の日曜日の朝、雪が降った次の日です。
と言っても叔父の住まう処は割りと暖かい沿岸部であり、雪までは降らなかったのではとも思います。
それまでどのようにして叔父が亡くなったのか全く分からず、自分ら親戚が知らぬ間に患ってでもいたのだろうかと考えておりましたが、そうでは
なかったようでした。
叔父の息子、今回喪主を務めた長男、つまりは彼も従兄弟となる訳ですが、その彼の話によると彼自身とても出張が多い仕事らしくこの27日の
朝もその出張に出かけるところだったのだといいます。
いつも寝ている父親に一声掛けて出かけるとこのことで、この日も普段通りに行ってくるよと声を掛けると大抵、ああ、とか気をつけてなと言葉が
返ってくるのに、その日に限って何も返答がなかったのだそうでした。
不振に思い、部屋へ入り身体に触れてみると既に冷たくなっていたとのことでした。
前日の夜まで特に変わった様子もなく、少ししんどいけど、と言いつつも普段通りに床に就いたようでした。
結局は寝ている間に逝ってしまっていたのだろうということでした。
家族にとってみれば、まさに突然の事で何も予想もしていなかったと言います。
それで葬儀の際、この長男の妹、従姉妹はなんとも言えぬほど泣いておったのかとその時に改めて感じました。
確かに自分の父親ですから悲しくない訳はなく泣いて当然ですけれど、どうにもならぬほど悲しみが強いように思っておりました。
彼女自身は嫁いだ身であり、実家とは離れた広島市内へおります。
訃報を聞いて、まさかと思いながら実家へ戻ってきたのだろうことは想像に難くありません。
それはこの長男とて同じ思いでしょう。
昨日まで何の変哲もなく、やや疲れたとはいえ普通であった父が別れの挨拶をすることなどなくいきなり此方の世界を旅立ったのですから。
生涯無口であり決して怒るということのない人でした、と同時に声を上げて笑うということも少なく、子供や孫らにしてみればそんな父親、
おじいちゃんを如何にして笑わせるかが課題のようなものだったとも話してくれました。
従姉妹はまた、母親を家で殆ど一人で面倒をみていた父だったけれど、少し前に母をようやっとで施設に入れることが出来、少しばかりホッと
した気持ちもあったのではないのか、そんな風に話しておりました。
自分の役目も一応はひと段落した、そのように思ったのかもしれないとも言っておりました。
無口な叔父、おにいちゃんにしてみれば此方にすれば突然にみえても、案外と全てし終えた後の引き際だったのかもしれません。





                                    






今朝は久しぶりで祝詞奏上をさせて頂いたように感じます。
大神からの言葉を受け取りました。

 大神

 (叔父のこと)


 “ この御霊 今しばし此方(の世界へ)おるであろう    

   別れは この者にとっては この時と決めておったようなもの

   あまりに突然な事ゆえ 周りの者は驚き 悲しんだであろうが

   今しばし思い出を語り合うが良かろう

   機会あれば また ○○○    ”


祝詞の後、奉幣を振りながら頭の中へ浮かんだ言葉です。 
やはり考えてしまうのは、どうしても叔父のことであり、それを思いながらおりますとこのような事を言われたのでした。
此方の世界というのは、我々がいるこの3次元のことと思います。
既に目に見える肉体はないけれど、御霊、魂としてはこの世とあの世の中間位にいるのではないのか、そう思います。
そのような世界で自分達には見えずとも、御霊として自由にあちこちへ行っておるのではとも感じます。
うちの主人は亡くなる前に勝手に?肉体を飛び出して知り合いのところを訪ねていたようでしたけれど、それはあくまで身体が不自由であった
が故に一足早くそうしていたのでしょう。(このことは以前に書いておりますね)
叔父の場合は、身体は不自由ではなくとも行動自体が何かと制限されることが叔母の事などからもあったのではとも思います。
あくまで自分がそう思うだけのことですけれど。
今はそれらの制限が外れたため、いつでも叔母のところへも行き来し、また行った先の相手には分からずとも何かを話しに行っておるのかなとも
思います。
或いはこっそり夢に忍び込んで一緒にストーリーを展開させているのかもしれません。
いずれにしても自由の身でしばらくは居るのではと感じております。
別れ自体も、殊に家族はあまりに突然でお別れすら言えていないことに悲しみとも辛さとも言えぬ思いがあるでしょうけれど、この時に逝く事は
既に取り決めていたこと、つまりは寿命であったのかも、とも思います。
何にせよしばらくは互いに叔父の思い出を語り合うことが一番なのではと考えます。
機会あれば云々・・・は、どうも自分の書き方が悪く、後で読み返しても判読できませんでした;。
申し訳ありません;、そのうち分かればまた掲載させて頂きます。




                                      
                      



今日の午後からはある方に会いに行っておりました。
そのお話はまた次回とさせて下さいませ。




                                         




家族のことは家族にしか到底分かろうはずもなく、ひと様にお聞かせするものでもないのかもしれません。
けれど自分自身がここへ記させて頂くことにより、少しでも叔父への思いを残せておけたならとも感じております。
独りよがりのセンチメンタル何チャラ;となりそうですけれど、少しばかりお目こぼし頂けましたら嬉しく思います。

それと、人間ってそんな悲しい時でもどこかしら面白い場面を見つけてしまうものですね、不謹慎ですけれど;。(すみませんです;)
その笑い話;の部分もまた取り上げさせて頂ければと思っております。
その折にはどうぞ宜しくお願い致します;。




                                       




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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叔父の葬儀

2019-01-29 21:08:48 | 日記
こんばんは。
朝はいつになく5時には自ずと目が覚めました。
いつもなら当然夢の中ですが、今日ばかりはそのようなこともなく起きることが出来たようです。




                                  




                                 





                                     


                                    


                                       


                                       


                                      




上2枚の写真は昨夜のシリウス、その下はいつもの窓からの光景ですが暗すぎて全くわかりませんね。(笑)
一番下はまだ東の空にあった月の姿です。
一日ごとに変わっていく月の姿と出る時刻、わずか数日でこうも変わるのだというのを如実に知る思いですね。

今日は場所は大よそ知っていてもここ20年以上は行っていなかった地での葬儀でもあり、前の晩はグーグルマップとにらめっこで道を調べて
おりました。
そんなのカーナビがあるじゃないと言われそうですけれど、これもまたお借りする車ゆえ使い方が分かりません;。
これまでとおりある程度の道とどこら辺で右左折すればよいのか、その交差点やらの名前等をメモに書き記しておりました。
それでもいざ走るとあんまり役には立っておりませんでしたけれど;。



                                      




                                        




早く起きたのにはその車の借り出しがあったからでもあります。
前日の夜からでも良かったのですが、借りる車がいつ戻るか分からないということで朝早くに借りに参らせて頂くことの了承を取り付けて
おりました。
そんなわけでいつになく早起きしたというのがあります。
乗ったバスはいつものバス停から6時19分の便でした。
それほど人もいないだろうと考えておりますとさにあらず。
むしろ早い便には結構な人が乗ってこられておりました。
失礼ですがお足の悪い方が案外とおられますので何故だろうと思うと、皆さんどうも大きな病院へ受診されるために早くからいらっしゃって
おられるようでした。
そんな人達がこのような朝早い便に乗られるのかと感じておりました。
身体を良くするために掛かる病院のはずなのに早くから行って順番を取るのか、なんだか矛盾してるよなと、その昔自分もそのような時期が
あったことを思い出し、未だに改善されていないシステムにう~むと感じていたりもしました。
どうでもいい話かもしれませんけれど、いつもと違うバスの利用時刻の様相をまた一つ知る思いでした。

車屋さんに着くとまだ7時15分ほども前、到底普通ならそのような時間からは貸し出させては頂けませんが、事情が事情なだけに既にいつも
その時間には来ておられるという担当の方がやや驚きながらも快く応対して下さいました。
ようやっと明け出した空を眺めながら、いつも良く借り出させて頂く車を発進させました。





                                       




一度自宅へ戻り、喪服に着替え従姉妹と待ち合わせている場所へと向かいました。
時間は8時かなり前、通勤通学の車や子供らで道路も混んでおります。
そんなところをかいくぐるようにして現地へ着きました。
あるスーパーの駐車場の一角をお借りして待っておりますと、そんな早朝にも関わらず店外でお餅を売るのでしょうか、寒い中にも関わらず
女の方が黙々と準備をされておりました。
目の前にある喫煙コーナーではひっきりなしに人が来ては一服し立ち去っていく姿も見えます。
国道は渋滞の列がノロノロと進んでおります。
朝の早い時間の各人各様の過ごし方なのだなと感じておりました。
待ち合わせの時間に少しだけ遅れてきた従姉妹は此処まで乗せて来て下さったご主人、お父さんが道を間違えたからとかなりご立腹の様子
でしたが、喧嘩できるほど仲がいいのだろうなと、むしろ微笑ましく話を聞いておりました。
                                     



                                       




下道を通っても片道50キロ程度、大した距離ではありませんが朝のラッシュ時、開式時刻は10時でもあり、慣れぬ道を行くなら途中まで
高速を使えとのグーグル先生(笑)の指示に従い、そのように致しました。
渋滞箇所を抜けるとそこまで道は混むこともなくしばらくぶりで会う従姉妹は私以上に饒舌に話をしてくれておりました。
そうこうして走りながら葬儀会場は確かここら辺と思いながら現地近くま来ましたが、、どうも思う場所に見当たりません;。
やや焦りを感じつつも尚も走らせていくと、どうも行き過ぎていたようで途中でドラッグストアに寄り、そこで車を転回させようと考えました。
ちょうどその駐車場に一台のタクシーが停まったのを良いことに運転手さんを掴まえて(笑;)道を教えて頂きました。
やはりどうやら今来た道をやはり引き返した方面のようです。
話に夢中で目印となる看板を見落としていたのでしょう。
10分も走らぬほどその道を戻ると件の会場が見えてきました。





                                      




朝からお天気が良い葬儀の当日、会場には見慣れた叔父の遺影が正面に設えてありますが、その顔を見るにつけ在りし日の叔父、おにいちゃんの
面影が思い出されます。
ここ3年程は互いに顔を合わせることもなく過ごしており、いわば音信不通となっておりました。
この3年間に既に施設に入っているという叔母、おねえさんよりも具合が悪くなっていたのだろうか、とそんな思いも抱きつつ何も分からぬまま
受付を済ませ親族の席へと座りました。
従姉妹と自分、それに同じ頃に着いた自分の弟(我が家の割と近くに2番目の弟がおります)が並んで3人座りましたが、それ以外は全く知らぬ
方ばかりで、ほぼ婿養子の状態でこの地へ来た叔父の奥さん、つまりはおねえさん方の親族の方々でした。
葬儀のお経を上げるお坊さんは今回はどう見ても叔父と同年代、もしくはそれ以上に見える女性の住職さんでした。
広島では多分最も多いであろう浄土真宗による葬儀であり、聞こえてくるお経にも覚えのあるものでした。
同じような抑揚のあるお経を聞きながら、叔父はこんな様子を一人静かに眺めておるのだろうかと感じておりました。
その一方で、ひと様には肉体は無くなっても魂は続いていきますよとお伝えしつつも、今まで居てくれたこの叔父にはもう会えないのだと思うと
なんとも言えない寂しさが募ってき、気をつけておかねば声を上げて泣き出しそうになる思いをかろうじて抑えておりました。
一通りのお経が終わり焼香となり、遺影の前まで来るとどうにも思いが尚の事こみ上げてきます。
最後は棺の遺体の周りに花を手向ける時にはこらえ切れずに泣いてしまいました。
ひと一人がこの世から居なくなる事、それほど珍しいものではありませんが、それがこと身内となればこれほどまでに悲しいものなのかと改めて
感じておるところでした。




                                       




葬儀の話ですし、これ以上長引かせずに書き上げたいと考えておりましたが、如何せん;さすがに今日は眠いです;。
軟弱な奴ですけれど、もう一日頂戴して続きを書かせて頂ければと存じます。
とは申せ、明日になると全く違う話題としておるのかもしれませんけれど;。




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
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寂しいこと、二つ

2019-01-28 19:31:48 | 家族のこと
こんばんは。
一昨日雪が降ってからはこの辺りもようやっと?冬らしい気候になっておるようです。
それでも気温はそこまで低くはなく、今日も寒いとは言え耳が千切れるほどの冷たさは感じませんでした。





                                 


                                                                    


                                      




昨日、車を返してバスを降り、いつもの道を通って帰るのに何かしら様子が違うと思いました。
道の脇の少し高い位置に鬱蒼と木々が茂っており、バスが通る道よりも一段下がったその道を通るのには先ほどまでの車の喧騒も聞こえなくなり、
歩いて帰る道々どことなくホッと出来る場所でもありました。
確かに木立がある分若干暗くはありますが、そこは日が当たりにくく夕方は西日を遮るには丁度よいところでもありました。
また常緑樹でもあったのか、葉が落ちることもなく、ともすれば小鳥たちのささやかな憩いの場ともなっていたのかもしれません。
そんな木々が昨日の夕方の帰宅時にはバッサリとその殆どが無残と言えるほどに切り倒されておりました。
一昨日、いえもう一日前であったかバス通りに面したある一画がかなり以前から売りに出されておりましたけれど、この変形の土地を買う人が
いるのかねぇ、と一緒によく散歩する方と眺めながら通ったばかりでした。
その際にはこれまで同様全く何事もなかった訳ですが、おそらく昨日とその前の日でその土地の裏側に当たるこのこんもりとした木々を刈り払った
ようでした。
その切り払われた木々に小鳥が巣でも掛けていたのでしょうか、なんとも言えぬ悲壮な声でいつまでもキーキーと鳴いており、突然に失った自分達の
住処をどうすればよいのか、と嘆いているように感じられました。
そんな鳴き声を否が応でも聴きながら、やけに明るくなった、いえなり過ぎたと感じるその道を自分自身もなんともやるせない思いで歩いて帰った
のでした。
変形であっても土地は土地、そこを購入した人が、そちら側からすれば東に当たる場所に茂っている木々を伐採してくれと頼んだのかもしれません。
実際のところはどうであれ、人間の都合だけでこれまで長らくそこへ植わっていた木々もほんの何時間の間にチェーンソーで切り倒され、後は
見えるはずのない場所へ空が見えるようになったということなのでしょう。
話をすればただそれだけの事なのですけれど、何もかもが人間の都合で決められてしまうことに何とも言えぬ思いがした自分なのでした。




                                      




昨日、あまり連絡の来ない兄から電話が掛かってきていました。
色々と事情のある実家;それほど仲が悪いわけではないのですけれど自分がその時走行中で電話に気づいたのは随分と後のこと。
何かあるならまた後で掛け直してくるだろう、と此方側の応対も棚に上げてそのままにしておりました。(なんちゅう奴だ;)
その兄から今朝方また電話があり、さすがに今回は出ました。(当たり前ですよね;)
何かあった?と聞くと叔父が亡くなったと言います。
もしかして昨日の電話はその電話だったのとなお聞けば、そうだと話してくれました。
兄の話では昨日の夕方に、叔父の家族から兄に連絡があり、それを私に伝えようとしてくれていたのでした。
昨日の時点で分かっていれば、と思いながら自分の馬鹿さ加減を思いました。

この叔父、自分が物心つく前から実家では父方の両親(私からは祖父母)、自分達親子、それにこの叔父という家族構成であったようです。
ですので自分が覚えているのは叔父さんというよりも常に一緒にいたおにいちゃんという立場の人であり、要するに家族の一員でした。
そのうち実母が自分が小学3年になる前の春休みに他界し、その後は祖母、父親、それにこの叔父と自分達兄弟3人という家族構成になって
おりました。
祖父は自分2歳位でやはり他界しており、なんとなく記憶にあるだけです。
ともあれ、家族5人で暮らしており、そのうちにこの叔父も結婚することとなり家を離れました。
その後に、私と同い年の兄と共に継母が我が家へやってきたということです。
その後は何やかやとあって、ゴタゴタしておりました。(まぁ、私がゴタゴタを作った原因でもあるのですけどもね;)
おにいちゃん(叔父ですね)は他所で家を構え、というよりもおねえさん(結婚した奥さん、自分にとっては叔母の立場の方)の方へ半分婿に入る
感じでこれまでよりは疎遠となっておりました。
けれど、事あるごとに我が家へ寄ってくれ、時には少し距離のあるおにいちゃんの家に帰るには時間が掛かろうから仕事帰りでもあるし、夕飯を
食べていって、と母が夕食を用意しておりました。
元々我が家の家系は無口であり、それほど家族でワイワイとする方ではありませんでした。
以心伝心というのか、言わずとも伝わっているという家族同士の思いがあったのか、後で入ってきた母にしてみれば相当に気も重くしんどい
生活であったかと今にして思います。
そのような中で叔父が訪ねて来ると、母にしてみても少しばかりホッと出来るところがあったのかもしれません。
家族ではあるけれど、既に他所で暮らしている自分にしてみればおにいちゃん、母にとっては少しばかり息抜きの出来る義弟だったのかもしれ
ませんね。

そんな叔父の奥さん、おねえさん(叔母)とはその母が我が家に来る前からの付き合いでもあり、何かと良くして下さっておりました。
家では注文を受けて洋服を作ることを仕事としておられたおねえさんは自分のウェディングドレスも当然手作りをされ、結婚式当日にそのドレスを
着て披露宴の席で一人ひとりに挨拶をして回っておられました。
自分のような子供にもわざわざ膝を折って目の前に来て下さり「これからよろしくね」と、普段はそれほど化粧をしない人がその日ばかりはアイ
シャドーを入れた美しい姿で挨拶をしてくれたのを何故かしらよく覚えております。
そんなおねえさんは私が結婚した後も、妊娠したといえばマタニティドレスを作ってくれたり、ちょっとした小物を縫っては送って下さっており
ました。
ある時、若い頃の歌の話になり、PPMとか良く聴いてたよといわれ驚いたことがあります。
これ、今の方はご存じないでしょうけれどピーター・ポウル&マリーという60年代のアメリカのフォークグループです。
「パフ」とか「500マイルも離れて」等、もしかすると聞き覚えのある曲もあるのではとも思いますけれど。
ともあれ、その頃そのおねえさんがそんなアメリカの歌に興味があるとは思いもしなかったので余計に驚き、でもなんとなく気が合うのはそういう
こと?などと密かに嬉しくもなっておりました。

時は過ぎ、自分の父も11年前に他界し、継母も3年前に逝きました。
その間、その叔母、おねえさんはあれほど溌剌とされていたのにいつの間にか認知症の症状が出てきておられたようでした。
3年前の母の葬儀の折に久しぶりにおにいちゃんに会い、おねえさんのことを伺うと目が離せんし、今日もすぐ戻ってやらんとデイケアから帰って
くるしね、と葬儀後の駐車場で自分達兄弟と短い会話をし、じゃあねと別れたのでした。
思えばそれがこのおにいちゃんと話した最後の時で、それ以降は互いに連絡することもなく今に至っておりました。

昨日の電話、もしかすると介護がいると言われていたおねえさんが、と一瞬考えましたが実際には介護をしていた側のおにいちゃんが一足先に逝って
しまったようでした。

                           


                                          




今夕、つまり今の時点が通夜の時であり、出られれば出たいものの申すように足がない自分にしてみると、少しばかり距離のある葬儀会場へは
夜のうちに行くことはどうにも叶いません。
昨日も借り出したいつもの車屋さんに電話を入れ、明日の朝早くに貸し出させて頂く旨を伝え、同じ市内に住まう従姉妹のおねえちゃんとご一緒
することに致しました。
従姉妹にしてもやはり叔父に当たり、若い頃から仲の良かった同士ですし通夜は無理でも葬儀は出たいと考えられたのでした。
この従姉妹には他にも姉と弟、自分からすればおねえちゃん、おにいちゃんに当たる人達がおりますが、それぞれに年老いた伯母(今回の叔父の姉)
の介護やら、自分自身の身体の不調等によりこの度は従姉妹が代表して出ることになったということでした。
ウィークデイの朝早い時間、心して参りたいと思います。




                                     





                                     





                                      






夕方、はっきりしない曇り空の辺りにうっすらと肉眼ではかろうじて見えるほどの虹が出ておりました。
何とはなしに叔父、おにいちゃんがこの虹を渡って向こうの世界へ行くのかなぁ、それにしては心許ないようだけれど大丈夫かしら;と感じて
おりました。
無口だけれど、どこか飄々としたところのあったおにいちゃん、これくらいどうってことないよと口笛でも吹くように渡って行ったのかも
しれません。




                                         
                                      



少しばかり寂しい話題となりました。
今日のところはお目こぼし頂ければと存じます。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
コメント (2)
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お祓いに参りました

2019-01-27 21:06:18 | お祓い
こんばんは。
昨日、今日の雪は果たしてどうであろうか、とかなり懸念しておりましたが朝早くからごく普通に走る車の音も聞こえており、これなら大丈夫かな
と起きて後に確かめると全く大丈夫のようでした。





                                         

                                                                               


                                     




昨日は道路状況がどうであろうかとそればかりが気になり、道路交通情報に目を通しておりました。
自分が行くまでの道は終日50キロ規制となっていたようでした。
この分だと今朝も雪が酷いというし、無事に行けるだろうかとそればかりに気を揉んでおりましたが全く雪は降らず安心致しました。
そんな今朝は久しぶりで竹薮の中を通る道を歩き、始発(とっても8時ですけれど;)のバスに乗りました。
この路線がそうであるのかどうか、割と若い運転手さんがハンドルを握っておられる率が高いように感じられます。
昨今、あちこちのバス会社でドライバーのなり手が少なく、バスの本数が減らされたり路線そのものの存続が危ぶまれているところも少なく
ないようです。
けれどこの会社の路線を拝見するにつけ、今のところは有難い事に大丈夫なのかなと感じております。
朝早い方は出勤が4時前、或いは深夜便を運行される方は零時台のバスを運行し終えて仕事終わりが午前3時頃と、殆ど丸一日どなたかがバスを
動かして下さっておるようです。
非常に朝早い、または明日に掛かろうかという時間帯にバスを利用したことは今までありませんけれど、どちらの勤務もお疲れ様でございますと
感じておるところです。
どこかのCMではありませんが、「世界は誰かの仕事で出来ている」そう思う自分です。





                                        





車を借り受け、一度自宅へ戻り荷物を積んで着替えて改めて出発です。
広島インターを入る頃には、ですので9時を少し回る頃でした。
それでも先にも書いたように懸念していた雪の影響は全くなくむしろ晴れておりましたので大変助かりました。
曜日に関係なくトラックも何台も走っておられましたが、走行する車の殆どは乗用車が主ですね。
やはり日曜ということもあったのでしょうね。
ともあれお祓い先へは普通に参らせて頂くことが出来ました。
    
此方のお宅は主人の頃からのお付き合い、もっと言えば主人の母が存命だった頃からですので40年近いのではないでしょうか。
主人の母、普通に言えばお姑さんとなりますが自分と主人自身が18歳も違うため、お姑さんというよりもごく普通におばあちゃんという感覚
でした。
もっとも結婚した頃には既に他界しておりましたので、じかに会ったことはありません。
その義母と此方のお宅のおばあちゃんがその40年ほど前から懇意にしており、その関係からいつしか神棚を祀られるようになったとの事でした。
そのお婆ちゃんも御年90歳、お元気ではありますがご家族が日中は仕事で出払われる為、デイケアに行っておられます。
お元気とはいってもやはり年相応に色々とおありのようで大変とも話しておられました。
元々はこのお婆ちゃんご自身が自分達が参れば応対して下さっておったものが、その年齢と共に難しくなり今は息子さん夫婦(といっても自分より
も幾つか上の方です)がその役割をして下さっております。
神様のお世話もいわば二代目へと移って来ておられるということですね。
今日はお仕事でいらっしゃらない奥様に代わりご主人がお相手して下さいました。
さして年齢の変わらない者同士、いつの間にか若い頃の車談義(私はオヤジか;)に花が咲いておりました。(笑)





                                 
                                  





午後からはもう一軒参らせて頂きましたが、その前に福富町にあります門藤農園、門藤(もんどう)さんのお宅へも参らせて頂きました。
この時期は味噌造りが忙しいとのことで、なかなかお時間が取れないとおっしゃっておられましたので今日は参ることには致してなかったの
ですけれど、今月中にせめて破魔矢と新しい御玉串だけはお渡しさせて頂こうと持って参った次第です。
この辺りは例年雪深いところですが、昨日の雪は田んぼや山陰に多少は残っておるものの、殆どというほどありませんでした。
お宅へ着き、車を停めて母屋の方へお声を掛けさせて頂きましたが、やはりお忙しいとみえてどなたもおられませんでした。
いつもお味噌やお米を発送される納屋の机の上に持参した破魔矢等を置かせて頂き、そこを後にしました。
どなたもおられずとも、この場所はそこへいるだけでのんびりとした時間が流れているようで何もなくても、いつまでもそこでぼんやりしていたい
と感じさせる場所です。
けれど昼からはまた別のお宅へ伺うわけですし、美味しい空気を吸い込んでそこを後に致しました。





                                       
                                      



                                         




                                            






午後からはこの市の街中へ参りました。
参らせて頂く度にこの周辺はマンションが建ち、道路が出来、段々と変わっていくようです。
伺うお宅は20数年前に建てられたマンションで、その当時は高い建物といえば此方だけでしたが、今は周りの建物に埋もれているようでも
あります。
それほど街が発展してきているということなのでしょうね。
そんな場所でお子さん方も育ち、下の息子さんはこの4月から社会人。
今日は朝方補習があって学校へ行っていたというその息子さんが戻ってこられ、お祓い後のお茶を共にさせて頂きました。
彼を見る度、まだ年端も行かぬその子が部屋の中でおもちゃの車に乗り得意げに乗り回しているのを思い出します。
それも既に十数年前のこと;。
歳は確実に取っておる訳ですよね。(笑)
向かい合ってお喋りしている信者さんの奥様と自分の傍らでは、一応「出世払い」?の名目で買ってもらったというアイフォン10Sで何かを
必死に見ていた彼、自分がお暇する際、有難うございました~と玄関先まで見送りに来られた姿は既に立派な青年となっておられました。

どちらのお宅も長いお付き合いであり、その中で悲喜こもごもを伺う度にお話くださり、一緒に悩んだり笑ったり、お祓いさせて頂いたりと過ご
して来ております。
この仕事をさせて来て頂いて良かったと感じる瞬間です。




                                      
                                       





                                     





祓えの神様、瀬織津比売の香りを、御祈念をさせて頂きまして4500円にて販売させて頂いております。
またご祈念、ご祈祷をせずとも良いとおっしゃる方は2500円とさせて頂きます。
新しく龍の香り、殊にテラの香りとして作成したものも御座います。
もう一つ新たに加わりました木花開耶比売も同様に御座います。
その他、ガイアの香り、波邇夜須毘売神の香り、シリウスの香り、宇宙を行く龍の香り等も上記と同様の方法での販売とさせて頂きます。
この度新たに作成致しました金龍、銀龍の香りも同様です。
石長比売の香りも新たに加わりました。
銀龍ミタの香り、月読尊の香り、アバンダンティア、一番新しくはスサノオノミコトの香りも出させて頂きました。
今のところ、一番最後となっておりますけれど新たにアマテラスの香りも加わりました。
またお試し用としては各香りをシートにつけたものを送料込みで300円でお送りさせて頂きます。
ご要望の香りだけ、或いは全種類でも構いません。
ほんのわずかではありますが、試しに香りを嗅いでみられるのは如何でしょうか。
多くの皆様のご依頼、お待ち申し上げております。

尚、新春となりましたのを機に昨年末に出させて頂きました細い管瓶での香りを今一度販売させて頂きます。
としておりましたが、この細い管瓶でも取り扱うようにさせて頂くこととしました。
価格は1500円とさせて頂きます。
取り扱いやすいようにチェーンも付けての販売となります。
色々集めて香りの違いを感じ取ってみられてはと思います。
お求めになられたい方は、下記のアドレスまでご一報下さいませ。

またご相談事も承っております、お気軽にお問い合わせなさって下さいませ。
神霊判断というと、なにやら少し怪しげにも感じられるかもしれませんが、お伺いなさりたいことを大神様にお取次ぎし、その言葉をお伝えさせて
頂きます。
こんなこと聞いても大丈夫かしら;などと思われずに気軽にお問い合わせ下さいませ、お待ち申し上げております。
此方の玉串料は5000円とさせて頂きます。

                                    
         kimikimiblue13@gmail.com  
  

                               

       
                                           
                                           (瀬織津比売の香り) 





                                            
                                            (テラ 大國主大神の香り)
      

                                      

                                              
                                            
                                            (木花開耶比売の香り)



                                            
                                            (ガイアの香り)




                                            
                                            (波邇夜須毘売神の香り)   

                                        


                                            
                                            (シリウスの香り) 




                                            
                                            (宇宙を行く龍の香り)




              
                                           
                                          (金龍の香り)




                                            
                                         (銀龍の香り)
          




                                            
                                          (石長比売の香り)  




                                          
                                          (銀龍 ミタの香り)  

 


                                          
                                          (月読尊の香り)
                                      


                                          
                                          
                                          (アバンダンティアの香り) 




                                           
                                           (スサノオノミコトの香り)




さすがに少し疲れたのか、今まだ9時ですが眠いです;。(笑)
昨夜夢で何度も、もう朝か?と目が覚めておりましたので、その分眠いのかもしれません;。
今夜は早めに休もうと思います。


今日は参らせて頂きましたお祓いについてかいつまんで書かせて頂きました。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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