日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

伏見の神様 お稲荷さん?

2017-05-31 22:42:13 | 神様等について
こんばんは。
今日、この辺りは一日曇り空、つい先ほどまでは雷鳴もし、かなりの風も吹いていたのですけれど、それもいつしか止み、期待していた
雨は今のところ降っておりません。
少し湿り気が欲しいですけれど、なかなか上手いようにはいかないものですね。
そんな今朝はお日様の居場所すらわからないくらいの曇天でした。

                             

そんな曇り空とは対照的なのが次の写真、これ実はこの辺りではありません、どこだかおわかりになられるでしょうか。

                             

奥に見える橋だとか山の感じで、もうおわかりの方もおられるかもしれませんね。
そう、京都は鴨川の流れです。
もしかして、今日行って来た?
だとしたら、嬉しいんですけれど、さすがに違います^^;。
この写真は、京都に住む息子の同級生のお母さんが写して送って下さったもの。
お母さんというより、自分とその方が既にして友人だからという方が早いですね。
ちょっとお出かけをされて、その折に撮られたものらしいです。
場所が京都と聞いただけで、どことなく風情を感じてしまいますね。
川といっても、広島は街全体がデルタの上、砂洲の上にあるので流れる川も何本もありますが、こんな感じの場所は少ないかもしれません。

                              

そんな素敵と感じる京都ですけれど、以前は年に数回は訪れておりました。
遊びに行ってたの?と言われそうですが、これもまた違います。
行っておった、というよりも参拝していたのは伏見稲荷大社。
俗にいうお稲荷さんを祀る神社としては知らない方はおられないほど有名な神社ですね。
ウィキペデア等をご覧になれば一目瞭然ですが、総称は稲荷大神であり、主祭神は宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)をはじめ
佐田彦大神(さたひこのおおかみ)・大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)・田中大神(たなかのおおかみ)・四大神(しのおおかみ)
とされております。
赤い鳥居がどこまでも続く写真は皆さんも目にされたことがあるのではないでしょうか。
そんな異次元の入り口のような雰囲気を持つ場所でもあります。

元々主人が大阪の人間でもあり、幼いころから両親に連れられて二ヶ月に一度は参拝しておったと聞いております。
そのようなこともあり、自分自身も結婚後に事あるごとに参っておりました。
否、結婚後というよりも、結婚する前から参っておった、というのか参らされていたというのか。
一度参拝すると、どうにも呼ばれていたという感じがしないでもありません。

主人と一緒になる直前、どうして参るようなことになったのか、あれれ;今思い出してもその理由がどうにもしかと分かりかねるのですが、
とにかく行かねばならない、must be みたいな感じで半ば強引に連れていかれたようにも思えます(う~む、どうだったのか、本当に
 記憶にないですね;)
明け方から、よく言われる「お山に登る」という、つまりは稲荷山の頂上、一峰(いちのみね)に参拝するということで、夜中に広島を出発
しました。
あの頃はまだ山陽道は全通しておらず(ほぼ三十年位前でしょうか?、歳バレバレですね;)一路中国道を京都に向け走ったように記憶して
おります。
数時間掛けて伏見稲荷へ着き、駐車場に車を停めてそこからまだ暗い中を歩いて登っていきます。
冬のまだ寒い頃だったように思いますが、これもうろ覚えですね。
ともあれ、参拝する人など全くといっていいほど誰も居ない薄暗がりの中をひたすら上を目指して歩を進めます。
参拝された方はご存じでしょうけれど、山といってもその道は連なる階段を登っていくもので、アップダウンはあるものの、自分の歩幅という
よりもその階段の段差や幅に合わせて歩かねばならず、はじめて登ると案外しんどく感じられるものです。
途中、音(ね)を上げそうになる自分を尻目に主人になる前のその人は、急がなくてもいい、同じ調子で登っていくこと、途中で休むと余計に
疲れる、だから休まずそのまま歩け、とまるで鬼軍曹のようにその時は感じながらも、アドバイスをくれたのでした。

これもまたお越しになられた方はご存じでしょうが、一峰に参るまでの道中に数え切れないほど大小様々な祠があります。
そのどれもに稲荷神が祀られ、その数だけ信仰される人がおられるということになっております。
行けども行けども階段は前にあり、その傍らには見知らぬ神様が大勢祀られている、一体何しに自分は此処へ来たのだろう、そんな
事を考えながらも、とにかく一歩一歩登っていくだけです。
とこうするうちに、辺りはだんだんと白み始めてき、やがていつ着くんだろうと思っていたその場所、一峰にようやっと到着しました。
登り始める前は、手袋をしていてもかじかむような体感だったように覚えておりますが、着いた頃には流石に汗ばんでおりました。

これもまたご存じの如く、一峰には末広大神という神様が祀られておりますが、主人が足繁く参拝致しておったのは、その近くにおられる
末高大神という稲荷神でした。
この神様は、主人が幼い頃、父親とこの峰まで登って来たとき、こんなところへ神様なんておるわけもないと心の中で思って居た時、ふいに
石垣の向こうからぬっという感じで大きな恐いような顔が覗き、一言
「わしが末高じゃ」
と声を発したそうです。
驚いたその幼い主人が父親の服の裾を掴み、あそこへ神様がおったと騒いだ時には、何もそこには見えずいつもどおりの景色がそこにあった
だけのようでした。
それ以降、人がどう言おうが自分はこの神様を信じると言って欠かさず参拝していたそうです。
ですがそういった話も結婚後、かなりしてから聞いたような覚えもあり、最初のその伏見のお山では、とにかくしんどかったという思い出
だけしか残っておりません。
何が自分自身の目的であったのか、よくよくわかりもせずにともかくもそこまで達し、主人が稲荷大神様の前で奏上する祝詞にも神妙な面持ち
で聞いておったのであろうと思います。
その頃には日もかなり高く上り、雀や山の鳥たちも喧しいほど鳴き交わしておりました。
しばらく休んだ後、今度は下りが待っています。
来た道とは別の道を辿り麓まで戻るのですが、この時自分自身、どうにも鼻がムズムズし、くしゃみが止まらなくなっていました。
今ならさしずめ花粉症か?と疑われるところですが、その当時はそのようなことも言われておらず、季節も冬の頃とて花粉が飛ぶような時期
でもありませんでした。
こんな具合の自分を観て主人は、「これはお狐さんがくっついたんだ」と言います。
ええ?何ですか、それ?な自分に真剣に向き合い、これはこうしてこっちへ引き受けてやる、というと何がしかの事を唱え、相変わらずボサッ
と突っ立っている自分を御祓いしてくれたようでした。

稲荷というと狐と思われておりますが、これもまたご存じのように狐は稲荷大神に仕える眷族(けんぞく)とされております。
概ねは良いもの、すなわち素性のよいものとされておるようですが、なかにはたちの悪いものもおるようで、さしずめその時にくっ付いて
来ようとしていたのは、あまりよろしからぬ方のものであったようです。
お山へ行くのは気をつけなさいと、これもまたよく言われておるようですが、安易な気持ちで参るとこの時の自分のように俗に言う憑依のように
されてしまう事もあるようで、そのことをいわれるのだと思います。

狐と申しましても動物ではなく、ましてやその霊でもなく狐のように感じられる、神様ではないけれどそのような力をもったもの、という感じ
でしょうか。
眷属というもの自体が、神様に仕えるいわば家来のような立ち位置に捉えられておりますので、そういう解釈になるかと思います。
姿で捉えると狐のようなもの、と自分では感じておりますが、多くの人たちが認識するのがその狐というものであったから、今のように
なってきたのではないかな、とも思います。
ですがこれはあくまで自分自身の感じたことであり、本当のところは全く違うものかもしれません。
いずれにしましても、お稲荷さんには狐がつきもの、そう考えておられるとよろしいかと思います。
 
                               

書き進めるうちに、話がどうにも収集つかなくなって参りました。
というよりも、もう少し書かせて頂きたいなと思いますので、取り合えず今日はこの辺りで一度終わらせて頂こうと思います。
思っていたより長くなるかな?まだわかりませんが、いずれにしても続けてみたいところです。
                            
今日もお付き合い、有難うございました。




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あの日の記憶

2017-05-30 21:32:12 | 災害等について
こんばんは。
と言っても、この辺りはまだ夕なずむ頃、なんとはなしに夕暮れの色が出てきたかなぁ、という感じです。
考えてみると、日本列島、北から南、無いようにはなっていますが時差があるような感じですよね。
北海道の端っこと、沖縄のそのまだ南では相当夕暮れにも時間差があるように思います。
と、そんなことを申しつつも、はい、今朝のお日様。
大気が濁っているせいか、昨日より一層黄色く霞がかって見えています。

                              

それにしても急にまた厚くなってきましたね、それもムシムシする暑さ、身体が暑さにも慣れていないので余計に応える感じです。
そうして雨の降り方も、ここ最近おかしく思います。
降らなければ全く降らないですし、降るとなるとこれでもか的に土砂降り以上の雨が地面を叩きつけるように降りしきります。
気候はやはりこの十数年で見ても、かなり変化してきているのかもしれませんね。

                               

雨というと、三年前の八月二十日、広島は豪雨災害に見舞われました。
この辺りもあの時は、報道こそされませんでしたが、かなりの被害が出ました。
今でも覚えていますが、前日の夕方、息子は夜間に新聞社でのバイトがあるため出かけていきました。
それからしばらくして雨が降り始めたのですが、この降り方が尋常ではない勢いで止む事がありませんでした。
雷もずっと大きな音で鳴っていますし、PCで気象レーダーの画面を確認するとほとんどといっていい位、同じ場所から雲が動かない様で
しかもそれが赤いまま、つまりは勢いが衰えることなく降り続いていることを表しているのでした。
その時の事を別の方角から見ていた方の話では、この辺りは異常なほどの黒い雲が絶え間なく掛かっており、遠目にも稲妻が走る様が見て取れた
ほどだったとのことでした。
一体いつまで降り続くんだろう、息子はこの雨の中を帰ってこられるのだろうか、とやきもきしておりましたが、ちょうど帰宅する頃の
午後十一時頃には、束の間ではありましたが酷かった雨もひとまず小康状態となり、その合間を縫うようにして原付でなんとか我が家へ
たどり着いたのでした。
その後、夜半に掛けては一度収まるかに思えた雨は、また再びその勢いを取り戻したかのように一段と降りしきっておりました。 
そんな、まんじりともしない一夜が明けると、家の前の道路はまるで川のように泥水が流れ上流から流されてきた土砂があちこちへ溜まり
下水もその用を果たさず、溢れ返っています。
幸いにも我が家はそのような水の被害には遭うことなく済みましたが、河川の直ぐ脇に建つお宅は、家のすぐそばまで護岸が削り取られ、
あと三十センチもそうであったならば、家が傾くほどの大きな被害に見舞われていました。
他にもやはり川のほとりに位置するアパートなども、その建物の下部分がえぐり取られるほどの様相を呈しており、そのまま住むわけには
とてもいかないような状況の箇所もかなり見受けられました。
自分たちの地区では命を落とすことまでには至らずに済んでおりましたが、少し離れた地域では裏山の土砂が家の中に流れ込み、幼い命が
奪われたところもありました。
全国的なニュースでも取り上げられた緑井、八木、可部地区などはその被害も甚大で一晩にして尊い命が何人となく犠牲になられたのでした。

                             

写真は、そんな豪雨災害のあった、自分たちが住む地区の今の様子です。(居住地からは少し離れた場所です)
ご覧になってお分かりのように、今はすっかり整備され、あのときのすさまじい面影はありません。
ですが豪雨の後、この川のほとりまで歩いて行くと、ところどころで大きな穴があいているように陥没していたり、一時期は通行止めに
なったりし、普段の生活にも不自由する有り様でした。
写真にあるように、大きな石とも岩ともつかぬ大きさのそれらが流れてきていたのですから、その凄まじさは半端なものではなかったのだと
改めて認識する思いでもあります。
その酷い状況から復旧までかなりの時間を要しましたが、御蔭様で多くの方のご尽力によりまもなく砂防ダムも完成し、現在は安全に
過ごさせて頂けております。
有り難いことだな、とこうして振り返ってみてつくづく感じられます。

                             

こちらの写真は、豪雨があるまでは、そこへ蛍が飛び交うようなそんなちょっとした流れが地元の有志の方々により守られていた場所ですが
あの災害の後には、今も蛍が戻ることはないようです。
少し寂しい思いですが、いつの日にか、またそのような光景が見られることを願っております。


                             

こうして振り返ってみると、わずか一晩の出来事でしたが、その傷跡は修復されたとはいえ、あの時の凄まじさは忘れられないものが
あります。
六年前には、日本はともかく海外にまでその災害の酷さ、恐ろしさを知らしめた東日本大震災がありました。
彼の地では未だに復旧もままならぬまま、あの日の記憶を留めたかのような場所も多々あると聞いております。
進まぬ復旧ではあるのに、人々の記憶から忘れ去られていっているようだ、とおっしゃる方もおられるとも聞きます。
ですが復旧することでその地は復元されるとはいえ、当時の記憶は消せるものではありません。

現在は、いつどこでどのような災害が起こってもおかしくない、そんな時期に差し掛かっているともいわれます。
災害の記憶を色褪せさせることなく後世の人々に語り継いでいく、それも大きな自分達の役目のようにも思います。
先日お会いした、あの神戸の靴屋さんが普段は記憶の底に秘めておられたであろう事を話して下さったことも、自分の中では貴重な
体験となりました。
(実は神戸での震災に関することはまだ多くあるのですが、折をみてまた書かせて下さいませ)

起こってはいけない、また欲しくも無い災害ですが、記憶として自分達の中に留めることにより、次への教訓としていかねばならない
とも考えます。

                              
                            

書き連ねているうちに夕方ではなく、すっかり夜の帳が下りる頃となりました。
辺りでは蛙の鳴く声が響いています。
もう少しすると、たまに梟の声も聞こえてきたりする処です。
こんな豊かな自然がいつまでも続いて欲しい、そう思える今宵です。

今日もこんなブログにお付き合い頂きまして、有難うございました。
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雲の織りなす光景

2017-05-29 20:45:36 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
毎日、少しずつ暑くなってきているようです。
この時間になると、風も涼しくなってきて凌ぎやすくなるようですね。
そんな中での今日のお日様、変わらず元気ですが大気がどことなく白けているという感じがしますね。。
また、こうも乾燥すると少しは湿り気が欲しいところではあります。
                           

ところで、今日はそんな本日の出来事ではなく、かなり以前の昨年の十二月に撮っていた写真を上げさせて頂こうと思います。
なんで今更、という感じですが、この時はどうしてだかかなり不思議な雲が次々と目の前に現れてくるようで、誰かにお教えしたくても
伝える術もなかったのが実状でした。
以前にも申しましたが、左腕を骨折したのが十一月の三日のこと。
この写真を撮ったのは、ちょうどひと月後位にあたる十二月二日となっていました。
何か意味があるのかないのか、自分にはわかりませんが綺麗な雲の写真と思っていただければ、それだけで嬉しく思います。

                             

夕方、いつものように散歩に出かけようと家を出ると目の前にこんな雲が湧くようにして次々と見えてきました。

                             

まるで、雲そのものがダンスを踊っているような、そんな感じです。
                             
                             

なかには、まるで龍を思わせるような雲があったり。

                             

これなどは、ぐぅっと回転しながら上っていくのか、はたまた下りてきた龍なのか。


                              

まだまだ続きます。

                             

                              

                              

やがて、そのような雲も時間と共に流れ去って行きました。
なんともいえぬ雲の饗宴のような有様に、しばしの間心奪われるように眺めておりましたが、どうにもこの雲が天使のようにも
或いは天女が羽衣を翻しながら舞うような姿にも見え、思わず、このような光景を見させて頂けて有難うございます、と
天に向かい手を合わせていた自分でした。

                             

素晴らしく素敵なそんな雲を見終わり、家路に着いた頃、今一度空を見上げると、これはもう極めつけのような雲がまたそこに
現れていました。

                             
                             

皆さんは、この雲がどのように見えるでしょうか。
自分はこの雲が、これまでの雲の乱舞ともいえる様を見せて頂けていた空の女神様?が突如としてそこへ姿を現されたように
感じ、思わず身震いするような思いがしました。
少し怖い感じにも見て取れますが、これほどまでにはっきりと、そのお顔として認識できるのもある意味珍しいのでは、と
感じたのでした。   
それと共にもう一つ不思議だったのが、いつもならその時間頃には、自転車で帰宅する高校生や犬を散歩させる人、或いは
自分と同じように歩く人など結構な数の人とすれ違うのですが、この日は全く誰にも会うことはありませんでした。

そんな冬の日の夕暮れ時に、このように垣間見させて頂けた素敵なひとときの雲の様。
皆さんにも多少なりとも感じ取って頂ければ幸いです。  
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鍼に続いては

2017-05-28 22:08:28 | 日記
こんばんは。
この辺りは、まだ淡い夕焼けのような色をした空が広がっています。
雲がない分、それほどには赤くなっていませんけれど。
こう書きながらも、写真は今朝のもの。
ちょうど日の出頃のものですね。
毎日、こんな日の出を写せる位、本来は早起きすべきかもしれませんが;。

                             

昨日遅くにアップしたので、その後の続きを書きますと言った手前?大したことがあったわけではありませんが、少し綴って
みようかと思います、しばしお付き合いの程を。

その前に、昨日の鍼灸の治療についてもう少し付け足しておきますね。
自分自身が元々遠視でもあり、今は当然老眼なのですが^^;、こうしてPCのキーを叩いたりしていると当然かなり目が疲れてきます。
それで、そのことを先生に伝えると、じゃあ、目の周りにも鍼しましょうかね、と言われ、ええ;?と驚いたのですが、目の周りの
ツボに的確に鍼を打って下さいます。
これまでにも、こういう治療を受けたことがなかったわけではありませんが、これほど本数を打って頂いたことはなく、また正直、
半分怖いなという気持ちがあったのですけれど、打った後、眼球自体が懲り固まっていたように感じていたものが、ほぐれている
感じがして頭痛も無くなっており、視界そのものも非常にクリアに感じられ、爽快でした。
この眼精疲労に効く鍼はまた、どうも美容にもよいとのことらしく、殊に女性には密かな人気があるようです。
自分としては美容よりもまずは、このしつこい凝りが取れる分、非常に楽になり、これだけでも治療して頂く甲斐があると感じた次第です。

                                                          

そんな治療も終わり、気分爽快でお茶もし、ということろで昨日は終わっていましたね。
ですので、此処からが昨日の続きとなります。
書くといっても、取り立てて変わったことなどありはしないのですが、その後の足取りについて。

ところで普段、積極的にあれやこれやと健康によいようなものは、今は摂取しておりません。
というよりも、取り出すといくらでもあれもこれもとなりそうで、確かに一時期はそんな風に様々なものを手の平にてんこ盛り状態で
摂取していたときもありました。
ですが、それもどうかなと感じ、今は昔からよくいう肝油のようなものを摂っております。
肝油というと幼い頃、身体に良いからといって飲まされていた記憶がありますけれど、どんなものだったのかまでは定かではありません。
それほど味もなかったようには思います。
ともあれ今は、カプセル状になったものを一粒、毎日食後に飲むだけです。
取り立てて良い、という感じでもありませんが、飲まなくなると、なんとなくしんどいなと感じたりするので、じんわりとは効いていると
いうことでしょうね。
その肝油にあたる健康食品を売っているのが、無添加を歌う化粧品メーカーが出されており、昨日はそのショップへ立ち寄りひと月分の
ものを買い求めました。
化粧自体は、仕事柄さほどする方ではなく、とはいえ歳も歳な故にあまりにしないのもかえって失礼にあたるとも考え、最小限度に
ファンデーションを塗ってちょこちょこと紅をさすくらいのものです。
ま、今更この顔に塗りたくってもさして変わるわけでもなし、とこれもまた開き直りの境地?な自分でして、オバサンじゃけん、こんな
もんでえかろうよ、と考えております;。
ですが、昨日はそのショップの方と話すうちに、多少はこうして頬に赤みをいれると血色もよくなりますよ、等々のアドバイスを受けながら
ほんの少しですが、顔に造作して頂きました。
やはりプロだけあって、僅かとはいえ手を入れて下さることにより、自分でもこんなに変わるのか、とちょっと嬉しい驚きでした。
自分の顔って、し過ぎると目ばっかり強調されて、まるでタヌキみたいになるので^^;、あんまりすることもなかったのですけどね。
たまには、こんなのもいいのかな、と思えたひとときでした。

                                 

そんな事をして頂いたあと、絵葉書を買うため、いつものデパートへ向かいました。
その絵葉書を置いてあるフロアは、いつかお会いした「三米窯の多賀井正夫氏」が個展をしておられた画廊があるところです。
(ブックマークさせて頂いております、ご覧になられて下さいませ)
昨日は、その画廊で人間国宝作家の山本晃氏による金工展が開催されており、拝見(だけ^^;)させて頂いてきました。
切嵌や接合せという技法を用いて金属を加工し作品を作っておられるのですが、その質の高さはもちろん言うに及ばず、緻密な細かい
作業の施されたそれらは、とても金属同士を接合したようには到底思えず、あたかも金属で絵を描いたかのような完成度のあるもの
ばかりです。
当然、それは人間国宝といわれる方が作られたものだけあって、当然といえば当然なのかもしれませんが、ついついそれらの作品に
見入ってしまっておりました。
鷺やふくろうといった動物が施されていたり、なかにはてんとう虫だったでしょうか(違っていたらばすみません;)可愛い虫が、あたかも
そこへ止まっているかのような作品もあり、見飽きることがなく、いつまでも見ていたいようなそんな作品ばかりでした。
作家であられる氏もその会場におられましたが、穏やかな様相の方で、この方がこの精巧な作品を生み出されたのが不思議な位、物静かな
感じの方であられました。
超のつく庶民の自分が、それでもあのようにして先の多賀井氏はもちろん、このように著名な方々の作品を間近で拝見出来るのは、眼福とも
いえるものであるなぁ、とこれまたひとしきり感激しておったのでした。

                               

その後、今度は神戸の特産品を集めた催し物があるというので、これまた行ってみました、
若い頃、神戸に本社がある会社に在職していたことがあり、そんなことからも親しみがあります。
その折に出来た同僚とは今も友人として長い付き合いをさせてもらっています。
そんなこんなで、自分で勝手にご縁を感じ?何があるのかちょっと覗いてきました。
神戸といえば、靴が有名。
幾つかメーカーさんがお店を出しておられ、そんな靴も見てみました。
その中で、手軽そうだけど本革を使った靴を作っておられるところがあり、なんとなく気になって、これまた悪い癖ですが;
試しに履かせてもらうことにしました。
足入れも良く、何よりすごく軽い。
どうしようかなと思いましたが、決断出来ず、ちょっと考えることに。
ですが、その折にそのメーカーさんが長田にあるということから、つい震災のことについて尋ねてみました。
さすがに現在はあの頃のような名残りはないようですが、あの日のことは当然忘れられない、とおっしゃいます。
まだ、夜明け前で皆があそこへいなかったから、まだ良かった。
それでも、自分たちの会社はこのくらいにぺしゃんこになっていて、と手で示して下さったのは僅か数十センチ程の高さ。
ええ?と驚く自分に、それ以上に驚いたのは、そのつぶれた会社の中へ這い蹲って入って行き、中に残っている木型を一つでも
多く取り出してくることでした、と話して下さった事でした。
靴本体の革も大事だけれど、その靴を作る大元の木型がこの仕事の真髄でもあり、命でもあると。
それがなくなると、この仕事は何も出来ません、この木型があるからこそ、こうして多くの靴を作ることが出来るのです、と
それまで笑顔で話して下さった顔がいつしか真顔になり、その当時の状況と相まって伝えて下さったのでした。
聞くこちら側も真剣にそのお話をうかがいながらも、どのような事であれ、その当事者の方たちは決して忘れることの出来ない
事なのだ、と改めて認識させて頂いた思いでした。
今、笑顔でこのようにお客さんに接しられながら、その頃は一からまた会社を興し今のこの段階に至るまでには、並々ならぬ心労と
努力がおありになったのだろうな、と思わざるを得ませんでした。
辛い時期があったからこそ、今こうして笑顔でおられることの素晴らしさ、自分などは到底計り知ることの出来ない重圧を抱えてこられた
からこその、この笑顔なのでは、と感じさせて頂いた気が致しました。
歳だけはくっているけど、まだまだ甘い自分、そんなことも考えてしまう、短い時間でしたがそんな風に思えた事柄でした。

                             
                       
やれやれ、書き終わるとやはり、あるオバサンの一日についての日記となっておりますですね^^;。
申し訳御座いません。
それでも、此処までお読み頂きました皆さんに感謝しながら、今日は終わらせて頂きたいと思います。
お付き合い、有難うございました。

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鍼してきました

2017-05-27 23:56:21 | ケアの方法
こんばんは。
このところ、なんとなく日中でも少し涼しいというのか、家の中にいるとうっすらと肌寒さを感じるように思います。
とはいえ、いきなり暑くなったりしますし、体調管理にも気をつけないといけないようですね。
そういう中での、今朝の一枚はこちら。
お日様が電柱に引っ掛かてんだか突き刺さってんだかしてるようにも見えますけれど。
元気な太陽、という感じではありますね。                             

                              

そんな始まりでしたが、このところの疲れもかなり溜まってきており、どうしようかなと思いながらも今日は思い切って
鍼灸を受けてきました。
これまでも長年、同じ先生に事あるごとにお世話になってきていたのですが、その先生のなさる鍼はとても優しいんですね。
しんどいところを治して下さるのではありますが、どちらかとうと氣を通す、経絡を整えるというのか、そんな感じの鍼を
して下さる先生でした。
自分自身、歳と共にその優しい感じの鍼では身体が今ひとつしゃっきりしないというのか、どうにも物足りなさを感じて
きておりました。
それで、少し別のところへ掛かることにし、今はそちらへ通わせていただいております。
とはいえ、そこへはまだ数えるほどしか通院していないんですけども;。
良く効く分、その分やはり治療費もそれなりに致します。
これまで通わせて頂いていた先生のところは相当に良心的なところでしたので、その分回数も通えるというメリットはあったのですが。
双方ともに、メリットデメリットはあるものです。

                               

と、まぁそんな感じで、今日はその最近掛かり出した先生の方へと行って参りました。
以前にも申したように、このところ移動は専らバスです。
そのバスで、今日は向かい側の席に座った赤ちゃんにロックオン?されました^^;。
前を向いて座っていると、どこからともなく視線を感じる。
え?と思い見渡すと、こちらの顔をじぃっと見つめてくる赤ちゃんの視線とガッチンコ。
あ、この子ね、と思わずこちらは笑顔になり、その赤ちゃんを見るのですが、赤ちゃんはどの子もそうであるように大きな瞳で
瞬きもせずにこちらを見続けています。
うーむ、こういう時はやはりこちらも見続けるべきか?とかどうでもよいことに少々頭を悩ませつつその子を見ていると
赤ちゃんも何かを感じたのか、ニコッと笑って抱かれているお母さんの胸に顔を埋めます。
その仕草がなんとも可愛く、またもや見続けていたんですけれど。
赤ちゃんとか動物は邪心がないというのか、こちらが相手に好きだよという感情を持つと向こうもそれをキャッチしてくれるようで
素直に返してくれる気がします。
こちらが相手を嫌いだと思うと、それも即座に向こうに伝わるようで、だからこそ嘘はつけないなと感じます。
まぁ、怖い顔して赤ちゃん睨んだりしたら、それこそ泣かれちゃいますもんね。
赤ちゃんは人を無条件で笑顔にさせてくれる天使のような存在なのかもしれませんね。

                             

さてそんな事しながら行った先は広島駅北口、光町というところ。
バスを広島駅終点、つまりは駅の南口で降りて、その北口までは駅の地下にある自由通路を通って行きます。
ここは、明日からその南口と北口を繋ぐ駅の中を通る通路が開通するのですが、さすがに今日はまだでした(当たり前;)
ここ何年か広島駅周辺の開発が加速しており、駅の南も北もだんだんと都市のように様変わりしてきています。
 
                             

その北口にあるホテルの、道路を挟んでの向かい側にもまた何やらビルが建つようですしね。
ついこの間といえる頃までは、此処はまだ空き地でして、そばを車で通るとそれこそ虫の鳴き声がしたりバッタが跳ねてたり
していたんですけどね。
あの虫たち、どうなったんかいなぁ、とつい思ってしまう自分です;。

                             

と、目的地である鍼灸院へ到着し久々で治療して頂きました。
鍼して頂くと、凝ってる場所とか如実にわかりますね。
こんなに凝ってたんか、と自分で自分に思うくらい、カタイ肩;。
この先生は、的確に鍼を打って下さる名医と感じております。
それをいえば、どこの先生でもそうでしょうけれど。
そんな先生の鍼は、打ってしばらくそのまま置くかたちの治療です。
気持ち良いような眠いような、そんな心地になりながら、身体中凝りがほぐれていく感じです。
ただ、これも申したように左の腕は骨折以来、まだどうにも痛みがとれず、今日鍼して頂いたところも、やはり一回だけでは
なかなか凝りも抜けきらないようです。
足繁く通いたいのですけれど、これもまた申すが如く、懐との相談になりそうですしね;。
それでも、かなりの凝りをほぐして頂き、少し、いや相当に楽にならさせて頂きましたよ。
因みに先生は女性です。
治療を受けるのに、自分自身は男女どちらでも構わないと考える方ですが、女性の方がと考えておられる方は良いところなのではと思います。
鍼灸院は「松鶴堂」というところ、駅から直ぐの光町のチサンマンションですので、気になる方は一度お越しになってみられては如何でしょうか。
(松鶴堂さんのHPのアドレス、貼り付けたかったのですけれど、すみません、いくらトライしても、やり方が下手なのか出来ませんでした;
 申し訳ございませんが、気になる方はご自身で調べてみて下さいませ;)
 
                            
                              
さて、治療も終え、また広島駅の南口まで戻って来てバスに乗ろうとしていると重たそうなリュックとトランクを抱えた若いカップルが
スマホ片手に案内板を覗き込んでいます。
話す言葉は、どうやら日本語ではないみたい。
例によって片言の「じゃぱにーずいんぐりっしゅ」でどこ行くの?と尋ねてみると、「トオカイチ」とのこたえ。
ならば、これから自分が乗るバスで行ける場所です。
「私も乗るから」とこれまた片言で二人に言うと、わかったという顔をしてついてきます。
「どっから来たの?」とこれまたお節介な聞きたがりのオバサンが尋ねると「US]とこたえてくれました。  
「カンコウ?」  「イエス」
なんとも簡潔な会話ではありますね^^;。
バスに乗り込み、おそらくこの二人わからんだろうなと思い、運転手さんにその二人が十日市で下りれるよう頼み、自分は次の
停留所で下りました、「エンジョイ ユア トリップ」と笑顔で別れを告げて。

さて、自分はそこから乾いた喉をうるおそうといつも立ち寄る喫茶店、といってもドトールへ行き、これまたいつものロイヤルミルクティを
飲みながら一服しました。
鍼治療のあと、沢山水分摂って下さいね、と言われたのを口実に、というところでしょうか。
とはいっても、純粋に水ではないので、お茶とかですとかえって利尿作用があり、いけないともいいますけども。
色んな人が多く集まって、それぞれに楽しくおしゃべりしている姿を見ながら一人お茶するのも結構好きな性質でして。
こういう穏やかなひとときが持てる自分たちは、これが当たり前と感じていますが、これもこういう国に居られるからこそ、とも
思います。
平和という言葉は、こういうことを指すのではとも感じます。
これがいつまでも続くようでありたい、そう願う思いです。

                            

まだ続きを、と思いましたがどうやら明日になりそうな時間になりました。
いったん、今日の「日記」はこの辺で終わりたいと思います。
続きはまた明日にでも。


                         

コメント
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