こんばんは。
今日、この辺りは一日曇り空、つい先ほどまでは雷鳴もし、かなりの風も吹いていたのですけれど、それもいつしか止み、期待していた
雨は今のところ降っておりません。
少し湿り気が欲しいですけれど、なかなか上手いようにはいかないものですね。
そんな今朝はお日様の居場所すらわからないくらいの曇天でした。
そんな曇り空とは対照的なのが次の写真、これ実はこの辺りではありません、どこだかおわかりになられるでしょうか。
奥に見える橋だとか山の感じで、もうおわかりの方もおられるかもしれませんね。
そう、京都は鴨川の流れです。
もしかして、今日行って来た?
だとしたら、嬉しいんですけれど、さすがに違います^^;。
この写真は、京都に住む息子の同級生のお母さんが写して送って下さったもの。
お母さんというより、自分とその方が既にして友人だからという方が早いですね。
ちょっとお出かけをされて、その折に撮られたものらしいです。
場所が京都と聞いただけで、どことなく風情を感じてしまいますね。
川といっても、広島は街全体がデルタの上、砂洲の上にあるので流れる川も何本もありますが、こんな感じの場所は少ないかもしれません。
そんな素敵と感じる京都ですけれど、以前は年に数回は訪れておりました。
遊びに行ってたの?と言われそうですが、これもまた違います。
行っておった、というよりも参拝していたのは伏見稲荷大社。
俗にいうお稲荷さんを祀る神社としては知らない方はおられないほど有名な神社ですね。
ウィキペデア等をご覧になれば一目瞭然ですが、総称は稲荷大神であり、主祭神は宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)をはじめ
佐田彦大神(さたひこのおおかみ)・大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)・田中大神(たなかのおおかみ)・四大神(しのおおかみ)
とされております。
赤い鳥居がどこまでも続く写真は皆さんも目にされたことがあるのではないでしょうか。
そんな異次元の入り口のような雰囲気を持つ場所でもあります。
元々主人が大阪の人間でもあり、幼いころから両親に連れられて二ヶ月に一度は参拝しておったと聞いております。
そのようなこともあり、自分自身も結婚後に事あるごとに参っておりました。
否、結婚後というよりも、結婚する前から参っておった、というのか参らされていたというのか。
一度参拝すると、どうにも呼ばれていたという感じがしないでもありません。
主人と一緒になる直前、どうして参るようなことになったのか、あれれ;今思い出してもその理由がどうにもしかと分かりかねるのですが、
とにかく行かねばならない、must be みたいな感じで半ば強引に連れていかれたようにも思えます(う~む、どうだったのか、本当に
記憶にないですね;)
明け方から、よく言われる「お山に登る」という、つまりは稲荷山の頂上、一峰(いちのみね)に参拝するということで、夜中に広島を出発
しました。
あの頃はまだ山陽道は全通しておらず(ほぼ三十年位前でしょうか?、歳バレバレですね;)一路中国道を京都に向け走ったように記憶して
おります。
数時間掛けて伏見稲荷へ着き、駐車場に車を停めてそこからまだ暗い中を歩いて登っていきます。
冬のまだ寒い頃だったように思いますが、これもうろ覚えですね。
ともあれ、参拝する人など全くといっていいほど誰も居ない薄暗がりの中をひたすら上を目指して歩を進めます。
参拝された方はご存じでしょうけれど、山といってもその道は連なる階段を登っていくもので、アップダウンはあるものの、自分の歩幅という
よりもその階段の段差や幅に合わせて歩かねばならず、はじめて登ると案外しんどく感じられるものです。
途中、音(ね)を上げそうになる自分を尻目に主人になる前のその人は、急がなくてもいい、同じ調子で登っていくこと、途中で休むと余計に
疲れる、だから休まずそのまま歩け、とまるで鬼軍曹のようにその時は感じながらも、アドバイスをくれたのでした。
これもまたお越しになられた方はご存じでしょうが、一峰に参るまでの道中に数え切れないほど大小様々な祠があります。
そのどれもに稲荷神が祀られ、その数だけ信仰される人がおられるということになっております。
行けども行けども階段は前にあり、その傍らには見知らぬ神様が大勢祀られている、一体何しに自分は此処へ来たのだろう、そんな
事を考えながらも、とにかく一歩一歩登っていくだけです。
とこうするうちに、辺りはだんだんと白み始めてき、やがていつ着くんだろうと思っていたその場所、一峰にようやっと到着しました。
登り始める前は、手袋をしていてもかじかむような体感だったように覚えておりますが、着いた頃には流石に汗ばんでおりました。
これもまたご存じの如く、一峰には末広大神という神様が祀られておりますが、主人が足繁く参拝致しておったのは、その近くにおられる
末高大神という稲荷神でした。
この神様は、主人が幼い頃、父親とこの峰まで登って来たとき、こんなところへ神様なんておるわけもないと心の中で思って居た時、ふいに
石垣の向こうからぬっという感じで大きな恐いような顔が覗き、一言
「わしが末高じゃ」
と声を発したそうです。
驚いたその幼い主人が父親の服の裾を掴み、あそこへ神様がおったと騒いだ時には、何もそこには見えずいつもどおりの景色がそこにあった
だけのようでした。
それ以降、人がどう言おうが自分はこの神様を信じると言って欠かさず参拝していたそうです。
ですがそういった話も結婚後、かなりしてから聞いたような覚えもあり、最初のその伏見のお山では、とにかくしんどかったという思い出
だけしか残っておりません。
何が自分自身の目的であったのか、よくよくわかりもせずにともかくもそこまで達し、主人が稲荷大神様の前で奏上する祝詞にも神妙な面持ち
で聞いておったのであろうと思います。
その頃には日もかなり高く上り、雀や山の鳥たちも喧しいほど鳴き交わしておりました。
しばらく休んだ後、今度は下りが待っています。
来た道とは別の道を辿り麓まで戻るのですが、この時自分自身、どうにも鼻がムズムズし、くしゃみが止まらなくなっていました。
今ならさしずめ花粉症か?と疑われるところですが、その当時はそのようなことも言われておらず、季節も冬の頃とて花粉が飛ぶような時期
でもありませんでした。
こんな具合の自分を観て主人は、「これはお狐さんがくっついたんだ」と言います。
ええ?何ですか、それ?な自分に真剣に向き合い、これはこうしてこっちへ引き受けてやる、というと何がしかの事を唱え、相変わらずボサッ
と突っ立っている自分を御祓いしてくれたようでした。
稲荷というと狐と思われておりますが、これもまたご存じのように狐は稲荷大神に仕える眷族(けんぞく)とされております。
概ねは良いもの、すなわち素性のよいものとされておるようですが、なかにはたちの悪いものもおるようで、さしずめその時にくっ付いて
来ようとしていたのは、あまりよろしからぬ方のものであったようです。
お山へ行くのは気をつけなさいと、これもまたよく言われておるようですが、安易な気持ちで参るとこの時の自分のように俗に言う憑依のように
されてしまう事もあるようで、そのことをいわれるのだと思います。
狐と申しましても動物ではなく、ましてやその霊でもなく狐のように感じられる、神様ではないけれどそのような力をもったもの、という感じ
でしょうか。
眷属というもの自体が、神様に仕えるいわば家来のような立ち位置に捉えられておりますので、そういう解釈になるかと思います。
姿で捉えると狐のようなもの、と自分では感じておりますが、多くの人たちが認識するのがその狐というものであったから、今のように
なってきたのではないかな、とも思います。
ですがこれはあくまで自分自身の感じたことであり、本当のところは全く違うものかもしれません。
いずれにしましても、お稲荷さんには狐がつきもの、そう考えておられるとよろしいかと思います。
書き進めるうちに、話がどうにも収集つかなくなって参りました。
というよりも、もう少し書かせて頂きたいなと思いますので、取り合えず今日はこの辺りで一度終わらせて頂こうと思います。
思っていたより長くなるかな?まだわかりませんが、いずれにしても続けてみたいところです。
今日もお付き合い、有難うございました。
今日、この辺りは一日曇り空、つい先ほどまでは雷鳴もし、かなりの風も吹いていたのですけれど、それもいつしか止み、期待していた
雨は今のところ降っておりません。
少し湿り気が欲しいですけれど、なかなか上手いようにはいかないものですね。
そんな今朝はお日様の居場所すらわからないくらいの曇天でした。
そんな曇り空とは対照的なのが次の写真、これ実はこの辺りではありません、どこだかおわかりになられるでしょうか。
奥に見える橋だとか山の感じで、もうおわかりの方もおられるかもしれませんね。
そう、京都は鴨川の流れです。
もしかして、今日行って来た?
だとしたら、嬉しいんですけれど、さすがに違います^^;。
この写真は、京都に住む息子の同級生のお母さんが写して送って下さったもの。
お母さんというより、自分とその方が既にして友人だからという方が早いですね。
ちょっとお出かけをされて、その折に撮られたものらしいです。
場所が京都と聞いただけで、どことなく風情を感じてしまいますね。
川といっても、広島は街全体がデルタの上、砂洲の上にあるので流れる川も何本もありますが、こんな感じの場所は少ないかもしれません。
そんな素敵と感じる京都ですけれど、以前は年に数回は訪れておりました。
遊びに行ってたの?と言われそうですが、これもまた違います。
行っておった、というよりも参拝していたのは伏見稲荷大社。
俗にいうお稲荷さんを祀る神社としては知らない方はおられないほど有名な神社ですね。
ウィキペデア等をご覧になれば一目瞭然ですが、総称は稲荷大神であり、主祭神は宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)をはじめ
佐田彦大神(さたひこのおおかみ)・大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)・田中大神(たなかのおおかみ)・四大神(しのおおかみ)
とされております。
赤い鳥居がどこまでも続く写真は皆さんも目にされたことがあるのではないでしょうか。
そんな異次元の入り口のような雰囲気を持つ場所でもあります。
元々主人が大阪の人間でもあり、幼いころから両親に連れられて二ヶ月に一度は参拝しておったと聞いております。
そのようなこともあり、自分自身も結婚後に事あるごとに参っておりました。
否、結婚後というよりも、結婚する前から参っておった、というのか参らされていたというのか。
一度参拝すると、どうにも呼ばれていたという感じがしないでもありません。
主人と一緒になる直前、どうして参るようなことになったのか、あれれ;今思い出してもその理由がどうにもしかと分かりかねるのですが、
とにかく行かねばならない、must be みたいな感じで半ば強引に連れていかれたようにも思えます(う~む、どうだったのか、本当に
記憶にないですね;)
明け方から、よく言われる「お山に登る」という、つまりは稲荷山の頂上、一峰(いちのみね)に参拝するということで、夜中に広島を出発
しました。
あの頃はまだ山陽道は全通しておらず(ほぼ三十年位前でしょうか?、歳バレバレですね;)一路中国道を京都に向け走ったように記憶して
おります。
数時間掛けて伏見稲荷へ着き、駐車場に車を停めてそこからまだ暗い中を歩いて登っていきます。
冬のまだ寒い頃だったように思いますが、これもうろ覚えですね。
ともあれ、参拝する人など全くといっていいほど誰も居ない薄暗がりの中をひたすら上を目指して歩を進めます。
参拝された方はご存じでしょうけれど、山といってもその道は連なる階段を登っていくもので、アップダウンはあるものの、自分の歩幅という
よりもその階段の段差や幅に合わせて歩かねばならず、はじめて登ると案外しんどく感じられるものです。
途中、音(ね)を上げそうになる自分を尻目に主人になる前のその人は、急がなくてもいい、同じ調子で登っていくこと、途中で休むと余計に
疲れる、だから休まずそのまま歩け、とまるで鬼軍曹のようにその時は感じながらも、アドバイスをくれたのでした。
これもまたお越しになられた方はご存じでしょうが、一峰に参るまでの道中に数え切れないほど大小様々な祠があります。
そのどれもに稲荷神が祀られ、その数だけ信仰される人がおられるということになっております。
行けども行けども階段は前にあり、その傍らには見知らぬ神様が大勢祀られている、一体何しに自分は此処へ来たのだろう、そんな
事を考えながらも、とにかく一歩一歩登っていくだけです。
とこうするうちに、辺りはだんだんと白み始めてき、やがていつ着くんだろうと思っていたその場所、一峰にようやっと到着しました。
登り始める前は、手袋をしていてもかじかむような体感だったように覚えておりますが、着いた頃には流石に汗ばんでおりました。
これもまたご存じの如く、一峰には末広大神という神様が祀られておりますが、主人が足繁く参拝致しておったのは、その近くにおられる
末高大神という稲荷神でした。
この神様は、主人が幼い頃、父親とこの峰まで登って来たとき、こんなところへ神様なんておるわけもないと心の中で思って居た時、ふいに
石垣の向こうからぬっという感じで大きな恐いような顔が覗き、一言
「わしが末高じゃ」
と声を発したそうです。
驚いたその幼い主人が父親の服の裾を掴み、あそこへ神様がおったと騒いだ時には、何もそこには見えずいつもどおりの景色がそこにあった
だけのようでした。
それ以降、人がどう言おうが自分はこの神様を信じると言って欠かさず参拝していたそうです。
ですがそういった話も結婚後、かなりしてから聞いたような覚えもあり、最初のその伏見のお山では、とにかくしんどかったという思い出
だけしか残っておりません。
何が自分自身の目的であったのか、よくよくわかりもせずにともかくもそこまで達し、主人が稲荷大神様の前で奏上する祝詞にも神妙な面持ち
で聞いておったのであろうと思います。
その頃には日もかなり高く上り、雀や山の鳥たちも喧しいほど鳴き交わしておりました。
しばらく休んだ後、今度は下りが待っています。
来た道とは別の道を辿り麓まで戻るのですが、この時自分自身、どうにも鼻がムズムズし、くしゃみが止まらなくなっていました。
今ならさしずめ花粉症か?と疑われるところですが、その当時はそのようなことも言われておらず、季節も冬の頃とて花粉が飛ぶような時期
でもありませんでした。
こんな具合の自分を観て主人は、「これはお狐さんがくっついたんだ」と言います。
ええ?何ですか、それ?な自分に真剣に向き合い、これはこうしてこっちへ引き受けてやる、というと何がしかの事を唱え、相変わらずボサッ
と突っ立っている自分を御祓いしてくれたようでした。
稲荷というと狐と思われておりますが、これもまたご存じのように狐は稲荷大神に仕える眷族(けんぞく)とされております。
概ねは良いもの、すなわち素性のよいものとされておるようですが、なかにはたちの悪いものもおるようで、さしずめその時にくっ付いて
来ようとしていたのは、あまりよろしからぬ方のものであったようです。
お山へ行くのは気をつけなさいと、これもまたよく言われておるようですが、安易な気持ちで参るとこの時の自分のように俗に言う憑依のように
されてしまう事もあるようで、そのことをいわれるのだと思います。
狐と申しましても動物ではなく、ましてやその霊でもなく狐のように感じられる、神様ではないけれどそのような力をもったもの、という感じ
でしょうか。
眷属というもの自体が、神様に仕えるいわば家来のような立ち位置に捉えられておりますので、そういう解釈になるかと思います。
姿で捉えると狐のようなもの、と自分では感じておりますが、多くの人たちが認識するのがその狐というものであったから、今のように
なってきたのではないかな、とも思います。
ですがこれはあくまで自分自身の感じたことであり、本当のところは全く違うものかもしれません。
いずれにしましても、お稲荷さんには狐がつきもの、そう考えておられるとよろしいかと思います。
書き進めるうちに、話がどうにも収集つかなくなって参りました。
というよりも、もう少し書かせて頂きたいなと思いますので、取り合えず今日はこの辺りで一度終わらせて頂こうと思います。
思っていたより長くなるかな?まだわかりませんが、いずれにしても続けてみたいところです。
今日もお付き合い、有難うございました。