こんばんは。
このところ晴れてはいますがPM2.5なのでしょうか、どこかしらぼんやりと霞んだ空になっております。
その分余計に蒸し暑さも運んで来ているようにも感じますね。
昨夜の月もそんな塵の影響でしょうか、出始めということもあってかいつも以上に黄色く見えたようでした。
一昨日の続きを書いていこうと思いますが、その前に今朝の祝詞奏上の際に言葉を受け取りましたので、そのことも合わせて記しておきますね。
今日はメタトロンの香りとテラの香りを付けて奏上させて頂きました。
メタトロン
“ 物事を捉える時 どのように感じますか?
楽しい
面白い
嬉しい
辛い
悲しい
口惜しい
この中で楽しい 面白い 面白い 嬉しいは
あなたに笑顔を齎します
では 辛い 悲しい 口惜しい等は どうでしょうか
何があなたに その感情を抱かせるのでしょう
その物事を 自分の感情から引き離し 眺めてみて下さい
どこから その感情が生まれて来たのか
その元を辿っていけば その感情の原因が分かります
そこを理解出来れば その感情に 囚われにくくなります
最初は難しいかもしれません
けれど 試してみて下さい
物事は ただあるように 中立に起こっていることが
分かるはずです ”
テラの香り これは付けた途端濃緑の雄々しい龍の姿が思い浮かぶ
いつもの緩い感じのテラとは違う 彼本来の姿なのか?
このような言葉でした。
物事はそのまま起こっていますが、それをどう捉えるかで自分の感情も変わってきます。
自分にとり不快と感じる事柄については、どうしてもマイナスの感情を抱きがちですが、そこを敢えてどうしてなのだろうと自分の中を探って
いけば、その事が自ずと分かるのではと思います。
最初は難しい作業かもしれませんけれど、それを行うことにより、そのようなマイナスの感情に左右されることも少なくなるのではということ
ですね。
それが出来れば苦労しない、そうも思いますが、それをしていくことで物事の捉え方も変わってくるのではと思います。
言うは易く行うは難しですが、自分もそうなれるよう努めたいと思うところです。
また、テラの香りを付けて感じたのは、彼の言葉よりもその姿でした。
いつもの脳内会話ではどこかしらおどけたような感じばかりを抱きますが、久しぶりで付けた香りからは彼本来の雄々しい姿が思い浮かびました。
たまにはこのようにして彼の姿を確認せねばならないかも、です。(笑)
さて、続きの話を致しましょう。
祠から細い道を辿り下まで降りて、次にはまた北へ向けて走りました。
途中までは国道と平行して通る中国道を時折隣に見ながら坂を登っていくようになります。
以前はこの道を通りこれから行こうとしている地へ走っていくのに、何故かしらとても時間と距離があるように感じておりました。
けれどこの日はそのように感じることは全くなく、むしろスイスイと走っていくように感じました。
平成の大合併と言われた市町村合併がある以前は、その辺りは千代田と呼ばれていましたが、そこも通り過ぎ、浜田道で大朝というインターの
ある場所へと向かいました。
もちろん高速は使わず、全て下道です。
何故そこへわざわざ訪ねて行ったのか。
知り合いでもあるターラさんがそのブログにて、この大朝のある神社について少し前に書かれていたからでした。
その神社には木花開耶比売(このはなさくやひめ)が祀られており、何かしら自分も訪れてみたいとずっと考えていたからでした。
龍も感じられる所、とのことでしたので尚のこと行ってみたい、いや行かねば;と思い込んでいたのでしょうね。(笑)
何処の神社さんなのかを彼女にお尋ねし、グーグルマップでその場所を確認して行ってきました。
マップル(昭文社の紙の地図ですね)で見てもその名前の神社は載っておりませんでしたので、彼女にその意味でも聞いてみたというのもあります。
分かりにくいと言われましたがそのようなことは全くなく、ストリートビューで見た通り、すんなりと現地へ辿り着きました。
神社の前の駐車場となっておる広い空き地もつい最近草を刈ったのか、すっきりと整えられておりました。
地元の方が常に手を入れておられるのがよく分かります。
社へ着くまでは結構な石段がありました。
普段はそこまで訪れる方もおられないのでしょうね、手水場では龍の口から水が出るように設えてありましたが、この日はその水は出ておりません
でした。
溜まった水で清めようかと思いましたが水自体が少なくなっており、それは断念しました。
と、今気づきましたが向こう側に水道の蛇口がありますね;、分からなかった;。(おバカ)
ともあれお社の前まで参り、持参した龍笛をてんでメロディにはなっておりませんでしたが、少しだけ吹き、その後に拍手を打ち拝礼致しました。
“ 我は 咲耶
呼ばれし 参り来た
その方 富士へ足運ぶがよいぞ ”
このような言葉を恐らくはご祭神である木花開耶比売から賜りました。
その昔、此の地へ何故富士と名の付く神社が創建されたのか、それはこの神社のHPで拝見して分かったのですけれど。
「今から約700年前 (正和2年:1313年)に戦国大名吉川氏が駿河の国の入江荘吉川(現:静岡市清水区)から本拠地を安芸の国大朝(現:山県
郡北広島町)に移しました。大朝にはシンボルとして親しまれている寒曳山(かんびきやま)があります。別名「大朝富士」と呼ばれている郷土
富士です。
吉川氏は郷土富士である寒曳山を故郷駿河の富士山に見立て、その麓に駿河丸城を築いたのが始まりと伝えられています。その駿河丸城の対面に
ある加計山の山裾にあるのが富士神社です。」
またその由緒としては
「安芸国鵜子原ニ位置ス。古代火山富士ヨリ日向国ヘ使行セル神鵜ガ神宝ヲ携エ、當地ヘ降臨ス、五殻豊穣ト子安ヲ授ケ地方一帯ヲ治メ給ヒテ
後ニ高千穂ヘ向ワレタリト云ウ。聖地ト奉斎セラレシモノナリ。」
とあります。
全てHPから抜粋させて頂いたものです。
戦国大名の吉川氏が駿河の国から此の地へ来たということは要するに大名の配置換えということだったのでしょうか。
経緯はどうあれ、その氏の故郷の富士をこの大朝の寒曳山に見立てて、神社を建立したということのようです。
そこから御祭神は当然木花開耶比売となれられたのでしょう。
またこの神社自体が、どうやら神社庁に於ける再建モデル?として手を加えられ整備されたようで、その旨の案内版も境内へ設置されておりました。
概要はこのようなことですが、さて肝心の龍を感じられたのか。
自分は鈍いのか;そこまではこの度はよく分かりませんでした。(すみませんです;)
けれどこの時は曇っていたのもあり、またこの辺りの標高そのものもそこそこあるためか雲がかなり低く感じられます。
頭上を見上げてそこを撮ってみたりもしました。
写真を撮って後に気づいたことでしたが、雲がどことなく龍の頭を後ろから見たようにも感じられました。
雲が湧くように見えていたことや、あたかも降り出しそうにかんじられたのは、そのようなことだったのかもしれませんね。
社殿の隣には小さな祠と、その前にはお大国様であるのか笑顔の石像が据えてありました。
先程参ってきた祠にも同じように像がありましたが、此方のは何とはなしにユーモラスに感じられたのでした。
また見上げた社殿には三つの亀甲が重ねてあり、その中に文様がある御神紋でしたが、それが何であるのかはしかとは分かりかねました。
人気(ひとけ)のない境内でしたが、どことなく凛とした空気の漂う処でもありました。
(不鮮明ですが、どこか龍の気配;?)
(後ろ向きに口をカァッと開けているように見えませんか;?)
(階段下に据えられていた石)
このような感じで、行きたいと願っていた神社へ参拝させて頂きました。
特に何かある訳ではありませんでしたけれど、それでも前述のように雲が俄かに掻き曇る如く湧いてきたのは龍坐す場所故なのかもしれない、
そうも感じたことでした。
この後もまだ二箇所の神社へ足を運んだのですが、今日はこれだけでかなり時間を要してしまいました。(毎度ながら;)
ですので、まだまだこの先は続く、とさせて頂きますね。
引っ張ってすみませんです;。(これもいつもですけれど 笑)
一日、蒸しっとしたお天気でした。
空も今ひとつスッキリしておりません。
それでもこんな青空を見させて頂きました。
明日もどうやら暑い一日のようです。
この度の新潟地震の地では連日雨となっておられるようで、とてもこんな悠長なことを話しておられないかもしれないですね。
少しでも早く被災された方や場所が元通りになられますよう、祈念致す思いです。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
このところ晴れてはいますがPM2.5なのでしょうか、どこかしらぼんやりと霞んだ空になっております。
その分余計に蒸し暑さも運んで来ているようにも感じますね。
昨夜の月もそんな塵の影響でしょうか、出始めということもあってかいつも以上に黄色く見えたようでした。
一昨日の続きを書いていこうと思いますが、その前に今朝の祝詞奏上の際に言葉を受け取りましたので、そのことも合わせて記しておきますね。
今日はメタトロンの香りとテラの香りを付けて奏上させて頂きました。
メタトロン
“ 物事を捉える時 どのように感じますか?
楽しい
面白い
嬉しい
辛い
悲しい
口惜しい
この中で楽しい 面白い 面白い 嬉しいは
あなたに笑顔を齎します
では 辛い 悲しい 口惜しい等は どうでしょうか
何があなたに その感情を抱かせるのでしょう
その物事を 自分の感情から引き離し 眺めてみて下さい
どこから その感情が生まれて来たのか
その元を辿っていけば その感情の原因が分かります
そこを理解出来れば その感情に 囚われにくくなります
最初は難しいかもしれません
けれど 試してみて下さい
物事は ただあるように 中立に起こっていることが
分かるはずです ”
テラの香り これは付けた途端濃緑の雄々しい龍の姿が思い浮かぶ
いつもの緩い感じのテラとは違う 彼本来の姿なのか?
このような言葉でした。
物事はそのまま起こっていますが、それをどう捉えるかで自分の感情も変わってきます。
自分にとり不快と感じる事柄については、どうしてもマイナスの感情を抱きがちですが、そこを敢えてどうしてなのだろうと自分の中を探って
いけば、その事が自ずと分かるのではと思います。
最初は難しい作業かもしれませんけれど、それを行うことにより、そのようなマイナスの感情に左右されることも少なくなるのではということ
ですね。
それが出来れば苦労しない、そうも思いますが、それをしていくことで物事の捉え方も変わってくるのではと思います。
言うは易く行うは難しですが、自分もそうなれるよう努めたいと思うところです。
また、テラの香りを付けて感じたのは、彼の言葉よりもその姿でした。
いつもの脳内会話ではどこかしらおどけたような感じばかりを抱きますが、久しぶりで付けた香りからは彼本来の雄々しい姿が思い浮かびました。
たまにはこのようにして彼の姿を確認せねばならないかも、です。(笑)
さて、続きの話を致しましょう。
祠から細い道を辿り下まで降りて、次にはまた北へ向けて走りました。
途中までは国道と平行して通る中国道を時折隣に見ながら坂を登っていくようになります。
以前はこの道を通りこれから行こうとしている地へ走っていくのに、何故かしらとても時間と距離があるように感じておりました。
けれどこの日はそのように感じることは全くなく、むしろスイスイと走っていくように感じました。
平成の大合併と言われた市町村合併がある以前は、その辺りは千代田と呼ばれていましたが、そこも通り過ぎ、浜田道で大朝というインターの
ある場所へと向かいました。
もちろん高速は使わず、全て下道です。
何故そこへわざわざ訪ねて行ったのか。
知り合いでもあるターラさんがそのブログにて、この大朝のある神社について少し前に書かれていたからでした。
その神社には木花開耶比売(このはなさくやひめ)が祀られており、何かしら自分も訪れてみたいとずっと考えていたからでした。
龍も感じられる所、とのことでしたので尚のこと行ってみたい、いや行かねば;と思い込んでいたのでしょうね。(笑)
何処の神社さんなのかを彼女にお尋ねし、グーグルマップでその場所を確認して行ってきました。
マップル(昭文社の紙の地図ですね)で見てもその名前の神社は載っておりませんでしたので、彼女にその意味でも聞いてみたというのもあります。
分かりにくいと言われましたがそのようなことは全くなく、ストリートビューで見た通り、すんなりと現地へ辿り着きました。
神社の前の駐車場となっておる広い空き地もつい最近草を刈ったのか、すっきりと整えられておりました。
地元の方が常に手を入れておられるのがよく分かります。
社へ着くまでは結構な石段がありました。
普段はそこまで訪れる方もおられないのでしょうね、手水場では龍の口から水が出るように設えてありましたが、この日はその水は出ておりません
でした。
溜まった水で清めようかと思いましたが水自体が少なくなっており、それは断念しました。
と、今気づきましたが向こう側に水道の蛇口がありますね;、分からなかった;。(おバカ)
ともあれお社の前まで参り、持参した龍笛をてんでメロディにはなっておりませんでしたが、少しだけ吹き、その後に拍手を打ち拝礼致しました。
“ 我は 咲耶
呼ばれし 参り来た
その方 富士へ足運ぶがよいぞ ”
このような言葉を恐らくはご祭神である木花開耶比売から賜りました。
その昔、此の地へ何故富士と名の付く神社が創建されたのか、それはこの神社のHPで拝見して分かったのですけれど。
「今から約700年前 (正和2年:1313年)に戦国大名吉川氏が駿河の国の入江荘吉川(現:静岡市清水区)から本拠地を安芸の国大朝(現:山県
郡北広島町)に移しました。大朝にはシンボルとして親しまれている寒曳山(かんびきやま)があります。別名「大朝富士」と呼ばれている郷土
富士です。
吉川氏は郷土富士である寒曳山を故郷駿河の富士山に見立て、その麓に駿河丸城を築いたのが始まりと伝えられています。その駿河丸城の対面に
ある加計山の山裾にあるのが富士神社です。」
またその由緒としては
「安芸国鵜子原ニ位置ス。古代火山富士ヨリ日向国ヘ使行セル神鵜ガ神宝ヲ携エ、當地ヘ降臨ス、五殻豊穣ト子安ヲ授ケ地方一帯ヲ治メ給ヒテ
後ニ高千穂ヘ向ワレタリト云ウ。聖地ト奉斎セラレシモノナリ。」
とあります。
全てHPから抜粋させて頂いたものです。
戦国大名の吉川氏が駿河の国から此の地へ来たということは要するに大名の配置換えということだったのでしょうか。
経緯はどうあれ、その氏の故郷の富士をこの大朝の寒曳山に見立てて、神社を建立したということのようです。
そこから御祭神は当然木花開耶比売となれられたのでしょう。
またこの神社自体が、どうやら神社庁に於ける再建モデル?として手を加えられ整備されたようで、その旨の案内版も境内へ設置されておりました。
概要はこのようなことですが、さて肝心の龍を感じられたのか。
自分は鈍いのか;そこまではこの度はよく分かりませんでした。(すみませんです;)
けれどこの時は曇っていたのもあり、またこの辺りの標高そのものもそこそこあるためか雲がかなり低く感じられます。
頭上を見上げてそこを撮ってみたりもしました。
写真を撮って後に気づいたことでしたが、雲がどことなく龍の頭を後ろから見たようにも感じられました。
雲が湧くように見えていたことや、あたかも降り出しそうにかんじられたのは、そのようなことだったのかもしれませんね。
社殿の隣には小さな祠と、その前にはお大国様であるのか笑顔の石像が据えてありました。
先程参ってきた祠にも同じように像がありましたが、此方のは何とはなしにユーモラスに感じられたのでした。
また見上げた社殿には三つの亀甲が重ねてあり、その中に文様がある御神紋でしたが、それが何であるのかはしかとは分かりかねました。
人気(ひとけ)のない境内でしたが、どことなく凛とした空気の漂う処でもありました。
(不鮮明ですが、どこか龍の気配;?)
(後ろ向きに口をカァッと開けているように見えませんか;?)
(階段下に据えられていた石)
このような感じで、行きたいと願っていた神社へ参拝させて頂きました。
特に何かある訳ではありませんでしたけれど、それでも前述のように雲が俄かに掻き曇る如く湧いてきたのは龍坐す場所故なのかもしれない、
そうも感じたことでした。
この後もまだ二箇所の神社へ足を運んだのですが、今日はこれだけでかなり時間を要してしまいました。(毎度ながら;)
ですので、まだまだこの先は続く、とさせて頂きますね。
引っ張ってすみませんです;。(これもいつもですけれど 笑)
一日、蒸しっとしたお天気でした。
空も今ひとつスッキリしておりません。
それでもこんな青空を見させて頂きました。
明日もどうやら暑い一日のようです。
この度の新潟地震の地では連日雨となっておられるようで、とてもこんな悠長なことを話しておられないかもしれないですね。
少しでも早く被災された方や場所が元通りになられますよう、祈念致す思いです。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。