日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

有難うございました

2017-12-31 18:15:44 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
いよいよ今年も残りあとわずかとなりました。
この一年、皆様にとりましてどのような年であられたでしょうか。
毎年、その年が終わるかなという頃になるといわれていることかもしれませんけれど。
それでも、ついどうだったのか、と振り返る気持ちになります。
今年、自分は、さてどうだったのでしょうか。
春頃からこのブログを書き始めて、なんとか年の瀬まで続けて来られました。
拙いこのブログへコメントを頂戴致しました方々、本当に有難うございました。
お互いが今のところ、全く顔を合わせることもない中で、いつに変わらず立ち寄って頂けておりますことに、本当に感謝致しております。
来年もあまり代わり映えしないかと思いますけれど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

そんな大晦日最後の朝はこのような感じ、どんよりと曇っておりました。



                             
                                    




                                    



大掃除、と言えるほどの掃除にもならず、いつもより多少は手をいれましたが、そこそこで終えた大掃除の真似事;となったようです。
帰省した息子は遅くまで寝ておるばかりで全くというほど使い物になりませんしね;。
よほどたたき起こそうかと思いましたけれど、普段忙しく働いておるのなら、とつい甘やかしておるダメな母ちゃんです;。
ある程度の掃除が終わると、それこそあまりすることもなく、なんだか年末の感じじゃないねぇと二人して話しておりました。
お天気のせいもあるのかもしれませんけれど、どうしてかこれまでよりも余計に今日で終わるという気持ちが全くしておりません。
先だってから申すように以前は大晦日の大祓いの祝詞を大勢の方と共に奏上させて頂いておりましたけれど、昨今はそれもなく、神殿で一人
神様に対峙しながら祝詞を奏上致す程度です。
けれどこのように神様に向かい祝詞を奏上出来ることこそ大事なことであるのかもしれません。
後、何時間かすればそのように致す次第です。
やはり大晦日ですね。




                                   



龍は変わらず傍らにおります。
その折々で白龍一頭であったり、他にも何頭か居たりします。
彼ら?にしてみれば人間の暦など関係ないでしょうし、ただそこに居るということなのでしょうね。

これもまた先日から申しておりますあの池の鯉たち、今日も歩いて見て来ました。
既に魂の抜けた姿でそこにあるように感じられました。
手を合わせおーという警蹕(けいひつ)をし、これらの魂が動物の霊を司るともいわれております大宜都比売(おおげつひめ)の神様の下へ
行けますようにと心の中で祈念致しました。
一頭の大きな龍が目の前に現れ、此方へ大きく口を開くとそのまま空高く駆け上がって行くように感じられました。
黒とも灰色ともつかぬくすんだ色合いのその龍は翔けて行くその間に、見る間に体色を煌くような白い身体へと塗り替えるようにして高く舞い
あがったようにも思えました。
あくまでも自分の想念の中で感じたことですので、本当にしうであるのかどうかはいつものことながらわかりません。
けれど、魂はそのようにして此処へはもういないということは確かなようでした。



 
                                   



歩く道すがら、やはり心の中でそんな龍と会話していたようにも思いましたが、これとて自分の思いに過ぎないよなと半分は考えておりました。
もし本当なら、振り向いた時に何か見せて欲しいと心で言い、身を翻すと、そこには山の端から放射状に日が射しておりました。
あまりにもタイミングよく見えたその光に思わず涙しそうになったほどです。
たかが池の鯉、そう思いつつもここ何日かずっと気になっていた彼らのこと、たとえ自分の想念の中であったとしても空高くその魂が駆け上がって
くれたのならば、それでよい、そう感じられた出来事でした。




                                   




                                    




最後は半分、毎度の如く、煙に巻いたようなお話となりましたけれどね;。
最初にも書きましたように、年が改まったからといって特段変わることもなかろうかと思います。
相変わらずの弊ブログ、新しい年も何卒宜しくお願い申し上げます。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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数字 漢字 それと鯉とか

2017-12-30 19:23:31 | ものの見方 考え方
こんばんは。
今朝は久しぶりで朝焼けが見られました。
昨夜までどことなく湿っぽいような空気でしたので朝のこのお天気は余計に嬉しかったですね。
とはいえ、どうやら朝帰りだったらしい息子が寝ている狭い我が家では、どうにも遠慮して大っぴらに掃除するのも憚られ大掃除の続きも出来て
おりません、困ったもんだ;。
それでも穏やかな一日は有難いと感じられた日でした。
朝焼けはこのような感じでしたよ。



                                  




                                 
                                   





先日、444の並びの数字が出たと一人喜んでおりましたら今日は5555の並びの数字に出会いました。
出たのはこれまたレシートでした。
それだけ分のガソリン注いだのかって?
確かにガソリン注いでも出そうな数字ではありますよね。
今回のはスーパーで買い物して戻って来たレシートがこの数字でした。
レジの店員さんも、何かいいことあるかもしれませんよ、と笑っておられましたけれど。
これで行くと次は6の並びか?とか思いますけれど、さすがにそれは無いと思います;。
これを先だってのようにエンジェルナンバー、あるいは数秘で見てみると
『5555は宇宙からのメッセージです。いくつかの大きな変化があなたの人生に起ころうとしています。その変化は新しい自由と内なる真実を生きる
ことと一緒に起こります。』
とのことらしいですね。人生における重要な変化が訪れようとしている、ともあります。
今更結婚することも、まずありませんし;、さて何があるのでしょうね?
よい変化が訪れることを願っておきたいものです。
人によると5は良くないと決めておられる方もいらっしゃいますが、自分は昔から5の数字は割りと好きな方です。
ですのでここは素直に良い方へ向かっての変化であると捉えておこうと考えます。
申すように年末ジャンボははなから買っておりませんので、ドッカーンと大当たりは無いかと思いますよ。(笑)
またこの5555の数字と同様、お釣りの445円や支払いの6000円のこの数字もそれぞれに意味があるようで、ほぉなるほど、と改めて
見ております。
それを言い出すとこのレシートに載ってる数字、全部になりますね、気にしなければ何ともない数字、でも気にかけてみると結構面白いもの
だなと感じます。
 

                                 
                   
                                    



昨日申し上げるべきだったのですが、すっかり忘れておりました;。
月に一度、ブックマークさせて頂いております白水明さんの改善の呪文、今回も出しておられますので此処でご紹介させて頂きますね。


        令令   亥 、 子 寅 急急如律令  (れいれい い、 ね とら きゅうきゅうにょりつりょう)

この呪文を心落ち着けて、読み仮名ではなく漢字の方を強くイメージして声を出さずに、気持ちをこめて一回唱えて下さい、とのことです。
ただ気持ちが入り過ぎてしまって思わず声が出るのは大丈夫です。

亥、で悪いエネルギーを防ぎ、子寅で良いエネルギーを生じているのを感じて下さい。
また呪文は、もらうだけではいけません、まず自分がこの世が良くなるよう、感謝するエネルギーを出さなくてはいけません。
自分が良いエネルギーを出した後、それ以上に受け取る事ができます。

とされておられます。
またこの呪文の効果は一月の間中あるとのことですので、毎日一回、心を込めて唱えてみられるのもよろしいかと思います。




                                   




いつもそんなエネルギーがどうの、というけれど本当にあるのか、といわれる方もおられるかもしれませんね。
目に見えないものですし、捉えようがないともいえます。
けれど、これはよく例え話として挙げられますが、自分たちが普段お世話になっている通信機器の電波、これを考えるとよほどのことで無い限り
可視等は不可能です。
オシログラフ等、電気信号の波形を観測する装置があれば別でしょうけれど、大抵の方は見ることもあまり無いかと思います。
それと同様に、エネルギーを目で見るということ自体、あまり無いことなのではと感じます。
けれど目で見えなくともなんとはなしに、これにはエネルギーがある、無いというのはそれこそ肌で感じ取れる部分があるのでは、とも思います。
先ほど数字の話をしましたけれど、これもある意味、そのようなエネルギーを持っているのではと思います。
そう考えると、上でも白水明さんが述べておられますように漢字そのもののイメージを強く持って下さいといわれているのは、この漢字そのものに
それぞれのエネルギーが宿っているとされているからだと思います。

様々なものにそれぞれのエネルギーが宿り、それを受けながら、あるいは感じながら自分達は生活しているように思います。
いつも何気なく接している数字や言葉、これらに少し気を向けてみると、また違った見方が出来るようになるかもしれませんね。




                                     


                               
夕方、帰省した息子用に玄米を少しだけ精米をしようと、それも兼ねていつもの道を歩き、昨日の池も覗いて来ました。
予想以上に水の無くなり方が早いようで、昨日までなんとか生き延びていた鯉達も殆ど息絶えておりました。
わずかに残った水の中で喘ぐように息をしている鯉もありましたが、もはや時間の問題のようでした。
上から見下ろすばかりで、鍵のかかった水辺までも行って見てやることも出来ず、よしんば行けたとて何をしてやれるわけでもありません。
人間だけは年末だ新年だと騒いでおりますが、彼らにしてみればそのようのこととは全く関係ない時間枠の中で生きているものたちです。
自分にしてやれることは本当になかったのか、そう思うと心の中でごめんね何も出来ずにと詫びるばかりで、横たわって動けなくなった彼らに
手を合わせるだけの自分でした。
わかっているのに何もしてやれないという悔しさでした。
たかが鯉だけで、と言われるかもしれませんけれど、最近どうにもこのような気持ちになることが多く自分でもどうしてなのかわかりません。
自分に出来る手立てがあるならば、そうして今後、もし同じような状況に遭遇したとするならば、精一杯対処してみよう、そう感じております。

せめて鯉たちよ、その魂は空を自由に翔けまわれる小さな龍に変わっていってほしい、そう願う思いです。





                                     




明日はまたお天気が悪くなるとか、移動される方は殊にお気をつけて下さいね。
大晦日、あまり荒れないことを願っております。




                                    


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。                                    




                                     

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鯉は 龍?

2017-12-29 21:33:09 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今日は一日どんよりとしておりました。
殆ど日も射さず、なんとなく薄ら寒いような日、年末という風にもさほど感じられなかったですね。
ただこのあたりを通る車の量も格段に少なくなってはいるようでした。
今日からお休みという方も多いのでしょう、遠方へ帰られる方等、お気をつけて頂ければ、と思います。
朝は申すように暗い感じでした。



                                 




                                 



息子の同級生、彼は今、故郷にて頑張っておられますが仕事柄お正月などとは無縁のような職業でもあり、結構大変だなと思っております。
それでも彼の働きがあるお陰で多くの方が助かっておられると思える仕事ですので、本人が倒れないよう努めて頂きたいとも考えます。
まぁでも無理は禁物ですけれどね、何事においても。
そんな彼がご自身の近くで撮ってくれという写真を送ってくれました。
此方とは違い陽射しもあって、空気は冷たそうですが気持ちよさそうです。
やはりこんな青空を眺めたいものですね。



                                 



息子は昨夜戻ってきましたが、どうやらおなかの調子は治ったようでしたけれど代わりに他が結構ダメージ受けて帰ってきておりましたね。
疲れも出たのだと思います。
若い分、少々ならと無理をしたのが蓄積すると思わぬところへその反動も出るのかもしれません。
年内今日でお休みになるという病院へ行って診てもらってきたようです。
そのくせ今夜はまた学生時代の友人らと遅めの忘年会とやらで、夕方から出かけて行きました。
まぁごく普通の若い子の過ごし方と言えるのでしょう。
会社の忘年会で痛めた喉をそれ以上、悪化させませんように;。




                                



夕方いつものように歩いてきたのですが、これもまた大抵覗いてみる池の水がもう殆ど無い状況で日に日に干上がっていっております。
農業用のため池と聞いておりますけれど、二箇所あるこちら側には普段水が流入する場所がないのか雨が降らないと完全に干からびてしまいそう
です。
そんなところへ鯉がかなりの数が放されているのですが、最初に誰かが勝手にその池へ放したのが大きくなったような鯉たちです。
それでも心ある方がパンを持ってきては投げてやったりして可愛がっておりました。
自分もそこまではせずともなんとはなしに、この鯉たちを見るのが日課となっております。
けれど今日覗いてみると僅かに残った水溜りのような狭い部分へ何匹もの鯉がそれ以上は動けないほどにひしめき合っておりました。
これは少し前からそうなっていたのですが、少しは雨が降ったら違うかなと期待しておりましたけれど、ここ何日かは雨らしい雨も雪も降らず
鯉たちはだんだんと追い詰められていたようです。
今日、とうとう一番大きかったと思われる金色に黒い色の入った立派とも思える鯉が、そんな水溜りの外れ、水の無い場所で死んでおりました。
人間の勝手な都合でそこへ捨てられ、どこへもいけない鯉が最後はまた人間の勝手で無残にもその最後を遂げようとしているのが何とも悔しく
どうにかならないのかと思いつつも、どこへどのように話を持っていけばよいのかわからずじまいで此処まで来ていた自分にも腹立たしく悲しく
思えてしまいました。
柵の周りにそれらしい標識も何もなく、どこへ連絡しればよいかもわからずじまいでしたけれど、農業用水ならばそれこそJAにでも話をしてみれ
ば良かったのかもしれません。
話をしたところでどうにかなるものでもなかったのかもしれませんけれど、何もせずに手をこまねいていた自分そのものが馬鹿であったと、水の
中で息も絶え絶えな鯉たちを眺めながら涙する思いでした。
こういうのってどうすれば良いんでしょうね。
写真は数日前のものです、今はこれ以上に水がありません、見づらいですが狭い部分にしか水はもうありません。
結局何にもしてやれなかった、させてもらえなかった自分が一番悔しいです。
ごめんね、鯉達・・・。

         

                        






午前中はいつものように祝詞奏上致しておりました。
見えてきた、感じたことを書いてみます。
また、これも昨日同様、あの『虹色の空に金色の風』のブログを書いておられますTomokatsuさんのセットされた今日の光も感じるところがありま
したので、合わせて書かせて頂きます。


 背後に 白龍と青龍 ともかくも白龍は居る とぐろを巻いているのか?
 そのうち 二頭が クルクルと絡まり いつしか溶けるようになって 光の中へ
 眩い光 降り注ぐ光
 全て 光 粒 粒子 煌いている



  〝   底から 舞い上げて 全てを さらけ出せ  全てを  〟


 光の中を 光が 進むよう 鳳凰?

 明るい 頭頂は ほわほわ 下へも通すこと


 
 Tomokatsuさんのオリュンポスのエネルギーを受けて

 壮大な宇宙 暗いだけと思っていたのは 自分だけ
 静かなのではなく 物凄い エネルギー
 動いている 常に
 何も留まらない 宇宙では留まっているものなど 何一つとしてない
 星の間にも 物凄い喜びと愛が溢れている
 何ともいえぬ至福感
 自分の足元は大事 その上でより外へ目を向けると 自分の小さいことにも気がつく 
 全ては動いている 流れている 満たされている

 目を閉じていながらも 頭頂は ほわほわして 思わず知らず 微笑んでいる
                          
 

龍は昨日と同じように背後に居る気配がしておりました、あくまで自分の感じたことですけれど。
ただ昨日のようにこれ以上の数の龍は今回は感じられませんでした。
ただ今こうして書きながらこの前の文章に鯉のことを書いておりましたが、もしかしてあの多くの龍はこの鯉達では無かろうにと、ふと感じました。
昨日の時点では、まだ鯉達は一応一匹も死なずになんとか生きておりましたので、このようなこととは関係ないとも思うのですけれど。
何にせよ、鯉、なんとか生き延びてほしい、そう思ってしまいます。
と、途中で脱線してしまい申し訳ございません。
ともあれ二頭の龍はお互いにグルグルと絡まるように回りながら、いつしかその身体が一つになっていくようで、しかもその身体は眩い光へと
変貌していったようでした。
その光自身が、より眩い光の中へ翔けて行くようで、光の粒子となっていくように感じられやがてそれ自身が鳳凰へと変わって行くようにも思えた
のでした。
頭頂はこれもまたいつも感じるようなほわほわとした感覚がありました。
けれどこの頭頂だけで留まらせるのではなく、このエネルギーのような光を自分の身体の下の部分へも通すことでグランディングもしなくてはいけ
ないなとも感じたのでした。

Tomokatsuさんのオリュンポスのエネルギーというのは、今日の光としてセットされたもので、これを想念の中で受け止めると、頭の中に広大な
壮大な宇宙が浮かび上がってきました。
見えるのは漆黒の宇宙ですけれど、そこは決して暗く静かなだけではなく物凄いエネルギーが渦巻くようにしてある場所でもあるのだ、と気づか
されます。
何もかもが留まることを知らず、常に動いており躍動的でもあります。
また星間も何も存在していないのではなく、素晴らしい喜びや愛が溢れている場所でもある、そう素直に感じ取れました。
この感覚は何とも言えぬ至福感でもありました。
その感覚を受け止めながらも嬉し過ぎて、瞑想して静かに座っているにも関わらず、自分の顔が微笑んでしまうのが分かるほどでした。
この感じを分かって頂ければ、と思いますが、なかなか難しいかもしれません。
自分は遊園地等にあまり行ったことがないので、例えようがないのですけれど、もしそうだとするなら何か興奮するようなアトラクションに身体
全体、五感を使って感じ取った時の感覚に似ているのかな、とも思いました。
躍動的で楽しくて夢中になって、それだけで嬉しく、知らないうちに笑ってるという感じなのかもしれません。
座って静かに瞑想しているだけで、そんな感覚になるのか、と言われそうですが、自分としてはそのように感じられたのは事実です。
これもしかし、その人一人ひとりの受け止めようにもよるのかもしれませんね。





                                   



今日は何度も文章内へ鯉が出てきましたけれど、普段はそんなに鯉のことなど気にもしておりません。
ですが今回、何にも悪いことなどしていない鯉がどうしてまた理不尽な所業により、このような目にあわないといけないのかと思うとそれだけで
なんとも悲しく辛くなってきたのでした。
龍は雨を降らせるといわれておりますけれど、このような時にこそその力を発揮して池の水を鯉達が悠々と泳ぎまわれるほどに回復させてほしい
ものだ、と思います。
今一番の願いですね;。   



                                    



かなり感傷的になった今日のブログですけれど;。

あと二日で今年も終わりを迎えようとしております。
どうぞこの一年が佳き年であったと感じられますよう、お過ごし下さいませ。
本日もお付き合い、有難うございました。
感謝申し上げます。
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ゾロ目と 天使と 龍と 

2017-12-28 18:25:46 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
といっても、まだそこまでの時刻、時間ではないのですけれど。
昨日息子が帰省するかもと話しておりましたが、待てど暮らせど、いつ戻るかわかりません;。
いや、別にいつでもいいんですけど、要は本人が戻るとこうしてパソコンに向かうことも難しいかなと思いまして;。
うちは話しておりますように狭い家ですので、自分の部屋というよりも居間にあたる部屋でこれを毎回書いておりますので家の者、この場合、
息子にあたりますが、そばにいたらどうにも書きにくい感がありますもので;。
ということで、かなり早い時間から書いております。
ええ、暇はありますので(笑;)
そんな日ですけれど、朝からかなり冷え込んでいるようですね。
いくら寒くても節約のため、昼間はストーブに火は入れないようにしております;。
大体昼くらいまでは温めておいて昼には消してしまうのですけれど、今15時半頃、かなり冷え込んでおります。
室温8度。
これが冷たいかどうか、評価の分かれそうな微妙な温度ですね。
陽射しがあまり無いので、余計冷たさを感じそうです。
とはいえ北の方へお住まいの方にしてると、そんなんあったかいに決まってるよと憤慨されそうです;。
そんな日の朝は、このようにどんよりとしておりました。



                                




                                



昨日一日車を借りて所用を足しに行っておりまして、最後は当然ガソリン満タンにして戻すのは当たり前です。
いつもはセルフスタンドで少しでも安くと考え、多少無理してでもうちに割りと近いところまで戻って注ぐようにしておりますが、昨夕は遅かった
のもあり、車屋さんに近いあたりで注いで戻しました。
そこはセルフではなくフルサービス、しかもガソリンそのものがずいぶんとお高めではありますが、あのF1でもお馴染み(ご存じの方ならわかるかと;)のものでした。
これ奢るって、どうよ;?と思いましたけれど、走ってくれたご褒美と考えると車に有難うの気持ちも込められて良かったかなと思った次第。
といってもとても「奢ったぜ」といえるほどの量ではまるでなく、スズメの涙ほどの給油でしたのでかえって笑われる程度のことでした;。
その戻ってきたレシート見て、おお!と思ったのはこれまた自分だけですけれど;。



  
                                



数字は444。
これってエンジェルナンバーが、といわれるゾロ目ですね。
自分自身、44という数字は普段から、結構良く目にしております。
今回、この444はなかなか見かけることはなく、余計すごいわ、と感じたのでした。
ちなみに4という数字、これは天使を表すとされているようですね。
ですので44も444も大勢の天使が自分の周りで見守り、導き、愛されているということのようです。
素直に素敵と感じます。
けれど天使という存在をどうも自分が感じ取りにくいのか;、そうなのかと思いつつも理解出来ていない部分もあるようでして;。
また44は人によると、この合計した数字が8になることから龍を表すという方もおられます。
これですと、なるほどそうなのかと感じる非常にあまのじゃくな自分ではあります;。
いずれにしましても素晴らしい数字ということですね。
この44に限らず、最近はふとしたことで88とかの数字を見かけることもよくありますし、他の数字のゾロ目も然りです。
気にしなければどうってことのない数字ですけれど、気に留めてみると案外面白いものだな、と感じますね。
ところでこうして書いていて思い出したことがありました。
44という数字、このゾロ目をやたらと良く見るなぁと感ていた頃から、気づくといつのまにか龍を感じることも多くなっていたように思います。
その頃は特に龍がどうのとも、それこそ全く思いもしていなかったんですよ。
けれどふとこのパソコンの隅の時計に目をやると44分だったり、通り過ぎる車のナンバーに44が書かれていたりと頻繁に目にするようになって
来ておりました。
その後位から、いつの間にか龍を感じ、意識するようになっていたのでは、と今にして思います。




                                 




そんな龍ですけれど、今朝の祝詞奏上の際にもしっかりとその存在を感じました。
また先だって窓の外から覗き込むようにして大きな顔の金龍が来ていたと話しましたが、あの金龍さん、やはりTomokatsuさんのお宅の金龍、
アーロンとのことでした。
どうやら此方が気になって度々覗きに来ているのだとか;。
知らない部分ではありますけれど、上の方では互いに繋がりがあるようです。
未熟な自分やうちの?龍達の指導もして下さっておるのやもしれません。

さて今日の祝詞後のそんな龍の存在、どのようであったか、書かせて頂きますね。



 
 祝詞奏上の折、ふと気づくと背後に白龍と青龍 黒龍も?  一頭は頭上 頭上は白龍? 
 青龍と黒龍 絡まるように グルングルンしている感じ
 もっと上 家の上  より大きな輪を作るが如く 舞うように(多くの龍が)飛んでいる

  
   〝  (我が身に)落とし込め    〟


 頭頂 ミカエル(天使)の光 より強力に ずしっと ホワホワが強調 目と閉じた途端 Tomokatsuさんの
 驚き ギューッと締め付けられるような強い感じを受ける




                                 
  



これまでのような長い言葉等は最近は少ないようですけれど、その分映像のような形で頭の中へ入ってくるように思います。
人に寄れば音楽として感じたり映像であったり、あるいは香りで感じる方もおられるようで、感じ取り方というのはこれも毎回申すように
人それぞれ、千差万別かと思います。
自分の場合は頭の中へこのように映像、または言葉として入ってくることが多いように思えます。
またその映像自体も、かなりリアルに感じられる方とか、逆にアニメチックな感じであったりとか、本当にそこは個性であり、このようにして
受け取れなければ違う、というものでは全く無いと思います。
それこそ料理の得意な方であれば、ピンと閃くものはやはり料理のレシピでしょうし、本当にバラバラだと思っております。
そのような中で、自分はこの方に共感出来ると、というのが出てくるのではと感じております。
ま、そんなことは言わずもがな、ですけれどね;。

今日は背後に青龍と黒龍と思しき二頭の龍が、互いに絡まるようにしてグルグルと回っているように感じられました。
輪というのか、そのような感じでしょうか。
上手く説明出来ないので申し訳ないのですけれど;。
そんな龍のかなり上の辺りに、これはいつもの白龍がそれらの龍を眺め下ろしているようでした。
更には家の外、というのか家のかなり上の方、よく最近はドローンで上空から眺めるような構図がありますが、あのような感じで上空にかなりの
数の色も様々な龍達が、下の二頭の龍以上に相当に大きな輪を作るようにして飛び交っておりました。
これが果たして何を意味しておるのか、さっぱりわからないところですけれど;。
とそのようなことを考えていると頭の中に「我が身に落とし込め」という言葉が響いてきました。
落とし込めと言っても、何を?な感じですけども。
今のところ、これらの龍が何を意味するのか、この響いてきた言葉と共に全くわかりません;。
いずれはわかる時が来るのでしょうか。

先ほど、天使はわからないと書いておりましたけれど、そのくせ天使のミカエルという言葉が出てきております。
これは今日の『虹色の空に金色の風』のブログを書いておられるTomokatsuさんがいつも最後にセットされておられます色んな存在の、その日の
エネルギーのことです。
今日は大天使ミカエルの気づきの光をセットしておられるとかで、この事を意識しながら目を閉じた途端、ご本人が言っておられます「第7チャク
ラと第6チャクラの間に光を感じるイメージ、もしくはその部分が光るイメージを持ってみましょう」の言葉通り、自分の頭頂がいつも以上に
モワモワを強く感じたのでした。
申すようにいつも多くの存在のそのような光をセットされておられますが、今日は特にそれを強く感じられました。
今日は、というのかいつ頃からかと思うと先日の冬至の日のエネルギーワーク以降、より感じ取りやすくなっているようです。
あれから一週間、何かこのような刺激を受けるとそれまで以上に受け取る側が受容しやすくなるようですね。
天使そのものを自分の場合は映像化して受け取るのではなく、このように光として感じ取っているのかもしれません。

また、少し話が逸れますけれど先日、先にも書いた44という数字、ある人は龍といい、ある方は天使という、どう違うのかと思っていた時、これ
は同じ物事の側面を別の角度で見ているだけ、という考えが頭に浮かびました。
これもまたよく言われるホログラムのようなもので、少し角度を変えると同じ絵でも別の色になったり見えるものが違ったりすることと同じような
事なのではと感じたのでした。
龍はそのように感じたい人にはそのように感じられ、天使と思いたい方にはそのように受け止められる、元々は同じものの見方が違うだけ、見て
いる側面が違うだけ、そういうことなのでは、と思ったわけです。
なんだ、今更わかったの?と呆れられそうですけれど、自分にしてみれば結構大きな気づきのように感じられた事でした。
これもまた先ほど述べたように、見えるものがリアルであったりアニメチックであったりすることと、さほど大差は無いのではと思えたのでした。
とはいえ、あくまで自分でそう感じただけですので、本当にそうであるかどうかは全くわかりませんよ;。




                                     



今日も夕方歩いてくると、いつもの池の辺りにカワセミが姿を見せておりました。
近くまで来てくれないので、あの特徴的な青い背の可愛い姿を写せません;。
よしんば撮ったとしてもスマホでは何が何やら、さっぱりわからぬほど小さくしか撮れません;。
こういう時、一眼の良いカメラとかあるといいんでしょうけれどねぇ。



                                     



やれやれ息子が戻る前になんとか書き上げることが出来ました、良かったです(笑)
帰るよ、といったきりなしのつぶて、ま、そんなもんだと思っております。

今夜も冷え込みそうです、どなた様も温かくしてお休み下さいね。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
 
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街中の青空

2017-12-27 18:58:08 | 日記
こんばんは。
夜中にごうっというような音を立ててかなりの風が吹き、朝はどうなることかと思いましたけれど、懸念していた雪にはならなかったですね。
日中はこの辺りは日も照り、風は冷たくともそこまで冷え込むという感じはありませんでした。
夕方になり、日が沈むとまた冷え込んできたようです。
列島の中でも北の方、また北海道辺りは大変なことになっておりますけれど、これ以上の被害が出ないことを願うばかりです。
そんな朝は、このような感じでした。



                                




                                


昨日に引き続き、野暮用にて日中殆ど出かけておりましたので、瞑想も出来ておりません;。
一日バタバタとしておりました。
お正月の準備はどうした?といわれそうですけれど、これも昨今ほぼ神殿へのお参りが御座いませんので掃除をするくらい、後は信者さんのお宅に
新年のお祓いに参ります際の破魔矢等は既に準備は出来ておりますので、さほど致す事もありません。
これじゃいかん;なわけですけれどね;。
とはいえ大きな神社さんのように立派な構えがあるわけでもなく、自宅の一室が神殿ですので、それでもかまわないという方がお越しになられる
程度です。
ところで先日、加藤さんの講座でどうやら自分は大きなお金があるとスケールの大きな動かし方をする人、との定義がありました。
とはいえ、そのスケールの大きなお金自体がまず無い状況ですので;動かしようがないのですけれどね;。
しかしこのように言われて、確かにもしあるとするならば以前から考えていたのは、皆様にお越し頂けるような大きな神殿を建立したい、という
願望があります。
そのような神殿があれば、此処へお越しになる方々が今より格段に増えられて、且つその場所自体がほっと安らげるような処であればと思うの
ですよ。
前述の神殿も無いし、というのはもしあるならば、という願望にもなっているのかもしれません;。
まぁ、そうなるとかなりのスケールのお金となるでしょうけども。
頭の中には構想はあります、しっかりと。
後は肝心のお金そのもの、ですね。
因みに年末ジャンボは購入しておりません;(苦笑)



                                   




上の写真は、広島市内にある頼山陽館(らい さんようかん)というところの建物です。
街のど真ん中、この隣は旧日銀、旧日本銀行の建物がある場所です。
庵というのか、そのような以前の建物をおそらく模して作られたものと思われます。(原爆により焼失したと思います)
元々、それこそ江戸の頃には此の地にその頼家のお屋敷があったところだと伺っております。
今は周りを高いビルに囲まれておりますけれど、一歩こうして庭に足を踏み入れると途端に時代をタイムスリップしたような思いにとらわれます。
折りしもこの写真を撮った際にはどこからともなく一羽のヒヨが飛んできて、けたたましい鳴き声を上げておりました。
広島としては申すように都会の真ん中でもあり、少し不思議な思いが致す場所でもあります。
道路を挟んだところへ30分が100円という安価な駐車場があり、結構車の往来はあるのですけれど、此処の場所まで足を運ぶ方はそうおられ
ません。
言ってしまえば、のんびりとこの館に展示してある歴史的な書き物等を見学するほど皆さん暇ではないということですよね;。
オバサンな自分は時たま此の場所へ立ち寄っては都会の音がする中での切り取られたような自然を感じたりしております、ええ、変わり者なもので;。



                                   




                                   





                                    



明日明後日位が殆どの方が仕事納めとなられるのでしょうか。
とはいえ、まだまだ年末年始、全く変わりなくお仕事という方も結構いらっしゃるかとも思います。
どうぞ、どなた様におかれましても体調崩すことの無い様、くれぐれもご自愛下さいませ。


昨日今日と、ものすごくサボった感満載のブログです;。
明日以降、今度は息子が帰省しますので、より簡略なものとなりそうです。
もとより、それほど期待されてもおらない弊ブログですので良心の呵責を覚えるのは専ら自分自身だけかと考えておりますが;。

そんなブログへいつもお越し頂いております皆様、いつも本当に有難うございます。
オバサンの戯言を綴ったようなこのブログですけれど、こうしてお越し頂いております皆様方が励みとなっております。
今年最後ではありませんけれど、どうぞ年内ももうしばらく、宜しくお願い申し上げます。

本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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