日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

おだいこくさま

2017-09-30 21:55:14 | 仕事内容について
こんばんは。
朝から爽やかな一日でした。
日中は暑いくらいでしたよ。
そんな日の朝は、此方。
空気が随分と乾燥して来ているのもあるのでしょうね、日の輝き方もどことなく違う感じがします。



                                 




                                  



明日はある若い方のお宅へ神棚を祀らせて頂くのに、そのお供え物等を買い出しに行って参りました。
最初のお祭ですので、やはり何がしかの野菜とお頭付きの魚がある方がよいと思います。
お供え物は大概は祀る側のお宅にて揃えて頂くのですけれど、今回若い方とあってよく分からないとおっしゃいますので、此方でご用意して
持って参る事に致しました。
とはいえ、そんな大層なものではなくごく普通の野菜、ただしねぎ、にら、にんにく等の臭いのきついものはいけないとされておりますので
それらを除いて季節のものをお供え致します。
では何故、このような臭いのあるものはいけないのかということですけれど、これは一説にはこれらの野菜は既にお分かりかと思いますけれど
案外と精のつく食べ物でもあり、これらをお供えした後、神職等が食した際、神様にお仕え致すことが難しくなるからだとされておるようです。
美味しい食品ではありますけれど、やはり神様、或いは仏様などにお仕えされる方々には敬遠されるもののようですね。
とは言え、自分も特に大きなお祭等がない時には普通に食しておりますよ。
ま、自分など下っ端の者ですので;おそらく位の上の方々はそのようなことはなさらないかと存じます。

ともあれ、あれこれとお供え物にする野菜や果物、また榊を買い求めて参りました。
お供えにする魚、これは普通鯛をご用意致すのですけれど、今回は秋刀魚にしました。
これも最近は魚を捌ける若い方が少なくなっておられることもあり、お供え物にする魚自体をまるのまま、つまりは内臓を出さぬままお供えする
ように致しますので、この時期ならば秋刀魚がよかろうと思い、そのように致した次第です。
尚、季節によれば鮎などもお供えすることもありますし、特にこの魚でないといけないというものではないようです。
お祭は明日ですので、先方へ参る前に今一度そのスーパーによりお店で新鮮なものを求めて参ろうと思います。
うちで今日のうちに買っておいてもあまり変わらないだろうとは思ったのですけれどね、気は心です;。
スーパーの大きな冷蔵庫で冷やして貰えているのをお持ちしようと思います。



                                



この若い方のお宅、実は信者さんのお嬢さんが今春ご結婚された所でして、それで一度は新居の清祓い(きよはらい)に伺っております。
その後、このお嬢さんのご実家にある物が出雲大社よりお越しになられ、それがきっかけで今一度正式に神様をお祀り致すようになられたの
でした。

このある物、それをご説明申し上げます。
毎年、出雲大社では福神際というお祭を旧暦の元旦の子の刻(午前一時)より執り行います。
出雲大社教の主斎神であり親神様ともされている大国主大神様は、また『だいこくさま』とも申し上げ福の神、縁結びの神として篤い信仰を
お受けになっております。(大黒様というのは俗にいわれる言葉であり、元々は大国様のことを指します。これにつきましては、またご説明
申し上げます)
その大国主大神様をお祀りし福神祭というお祭にて招福開運の御祈念をし、皆様に福と徳を授けるというお取次ぎを致しております。
このため前日の旧大晦日から出雲大社神楽殿の大広間に〝年迎え・年越しのおこもり〟をされる方々がお参りをされます。
この方々が次々に〝おかぐら・ごきねん〟を納められ、午前二時からは「福徳御像(金・銀・銅・木で謹刻)が抽籤によって授与されます。
また全国の信者さん方には、これも事前に各地の分祠・教会・講社等で福徳会としての名簿に住所・前を書いて頂きまして、それらの名簿をこの
福神祭の折に御神殿に奉納され新しい年の「しあわせ」のお取次ぎと共に、日々朝夕のおまつりにも御祈念が奉仕されております。
こちらも同様に抽籤が行われ、全国の信徒さんの元にも、この御像がお越しになるというわけです。

つまりは先に書きました「ある物」と申しますのは、他ならぬこれらの御像のこととなります。
今回、明日参らせて頂きます方のお宅のご実家には、この御像のうち二等に該当致します「福神銅御像」が当籤されております。
このお嬢さんのご実家の方が元々の信者さんとは最初に申しておりますけれど、このご実家の方へはこれも何年か前に一等の「福神純銀御像」
というお大国様の御像が当籤されておりました。
それ以前にも、このお宅は毎年のように何がしかの御像がご家族のどなたかに当籤するという、本当に稀有なご一家でして。
これら御像というものを全体で見ますと、この福徳会の名簿全体の数は全国で七万名を対象にしております。
この中で特等とされております「福徳純金御像」はそのうちの七体となっております。
次いで一等の純銀の御像は二十一体。
二等の銅の御像は四十九体。
三等の福神大御木像は四百二十体。
最後の福神小御像は三千三百六十体。
このようになっており、この「純銀」並びに「銅」の御像の当たる確率というのがかなり少数というのがお分かり頂けるかと思います。
また銀や銅の御像の以前にも先に申した如く、三等、四等の御像が毎年必ず四人家族のどなたかに当たっておったというわけです。
大したことなんてないじゃないか、といわれそうですけれど、毎年この福徳会の名簿のお世話をさせて頂きながらも、同じ家族にこのように
立て続けに当たるということ自体、まず到底あり得ない話です。
毎年、この福徳会の御守りをお買い求めになられながらも、一度も当たったことのないご家族、信者さんの方が当然圧倒的に多いのです。
にもかかわらず、このように毎年同じご家族に当たり続けるというのは、本当にどういうことなんだろうか、と頭を捻る不思議さを感じております。
そしてこの今回の銅の御像、実はこのお嬢さんのお母さんに当籤されたのですけれど、これも申しましたように既に銀の御像が当たっておられます
故、今回はご結婚なさいましたお嬢さんの元へお越し頂こう、という運びになったというわけです。
此処までの説明が随分長ったらしかったですけれど、お分かり頂けましたでしょうか;。
もう少し頭の良い説明を申し上げられればよいのですけれど、本当にすみません。


そんな経緯のありました今回の御像をお持ちさせて頂きまして、改めて神棚をお祀り致す「出雲屋敷勧請御祭(いずもやしきかんじょうのみまつり)
を執り行なさせて頂いて参ります。



                               



今日は自分の仕事につきまして書かせて頂きました。
また詳しく述べさせて頂ければと考えております。

本日もこのブログへのお付き合い、誠に有難うございました。
感謝申し上げます。
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空との対話

2017-09-29 21:26:49 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
朝晩、随分と気温が下がるようになってきましたね。
九月の終わりではありますが、こんなに急激に涼しくなっていたかなぁとつい考えてしまいます。
昨日も書きましたけれど、空気自体が既に秋ですね。
そのうちに本格的に秋の気配が漂って来るのでしょうか。
今朝は曇っていた分、そこまでは冷え込んだようではありませんでした。


                                



昨日、また今日としばらくしていなかった散歩をしてきました。
して来たというほどのものでもありませんけれど、夏は午後六時半頃にようやく涼しい風が吹くようでしたけれど、最近は五時前にはこの辺りは
山が近いこともあり、日が陰ります。
そのようなこともあり、歩きに出るのも自然と時間が早まって来ます。
風も涼しいというよりも、これくらいの時間帯になって来るとむしろひんやりと感じるようになります。
秋分の日を過ぎたわけですので、そのようになって来たとしてもおかしくないのかもしれません。
道を歩きながら、ふと甘い香りが漂ってきたりします。
あ、これは、と思うと近くに金木犀が咲いていたります。
今の時期ならではの香りですね。
以前住んでいた家にもこの金木犀が植わっており、季節になると周辺にあの何ともいえぬ甘い香りを庭先一杯に香らせていたように思います。
懐かしい香りと言えるのかもしれません。



                                
                               

                                

                               


そんな花を香ったり姿を眺めたりしながら、空を見上げると、これは自分に自分で言い聞かせている言葉なのかもしれませんけれど、頭に聞こえる
声があります。

       『 暗いところばかりを好んでみているから、そのように暗いものしか見えてこないのだ
         あれがどうだ、これがどうだとどうしてそこばかりを覗き込んでしまうのか
         そこばかりを敢えて見ようとしてばかりいるから、それしか見えて来ないのだ
         光を求めれば、必ずそこには光が現れる
         求めていさえすれば、自ずと光は射してくる
         よしんば、暗いほうへばかり見ていたとしても究極にはそこを突き抜け、終いには光が誕生するのだ
         宇宙の大きなブラックホールですら、あの闇の中から光が、星が誕生しているではないか
         恐れず、光ある方へ進むのだ
         我が方へ参れ  』
    


          
                                
      

そんな感じの言葉が頭に浮かんできたように思います。
またもや自分の頭の中での妄想にしか過ぎないのだと、これもまたいつもの如く感じておるのですけれど。
それでも、自分で考えたものなのかどうかはわかりませんが、そのような言葉に自分で自分に励まされる気がします。
光はどこにでもある、必ずある。
求めること、それさえあれば必ずあるんだということ。
これは何よりの希望のように感じます。 

たまたま時間があるのをよい事に、ついネットで色んな物を検索しては余計にそのようなもの(良からぬ)ばかりを続けざまに見ていたからかも
しれません;。
ある事ない事なのかどうか、根も葉もない事に惑わされず、より高い地点で、高い視点で物事を見よということなのかもしれません。
そんな風に考えていますと、西の空に綺麗な彩雲が見えたりしておりました。
あながち自分の頭の中の事だけではなく、上の方からの言葉を頂いたのかもしれません、穿った見方かもしれませんけれど。


                               


雲なのに、なんだか太陽の表面のプロミネンスのようにも見えたりしておりました。


                               




                               
                               


                               




                               


上からの言葉、存在といえば自分にとっては(?)やはり龍となります。
そんなことを感じさせてくれるような雲も幾つかありました。
ただ、やはり写真に撮るとどうしてもぼやけて写るようですけれど;。



                               




                               



今日は自分自身が空と対話?しながら見上げたその空を撮ってみました。
まるっきり他愛もない日常を綴ったものでしかありません。
そんな、これまたいつものオバサンブログとなりましたけれど;。

お付き合い頂きました皆様、いつも本当に有難うございます。
感謝申し上げます。
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整体行きました

2017-09-28 21:49:27 | ケアの方法
こんばんは。
昨日は殆ど一日雨でしたけれど、今朝はまさに洗ったような青空に雲のある光景でした。
さすがにこれまでの疲れが出たのか、枕元で鳴るアラームが全くもって夢の中で聞こえておりまして;起きると七時を回っておりました。
まぁ、それほどいつもと変わらない感じではありますが最近は五時頃に目が覚めたりして、やはり歳なんだろうねぇと自分でも感じておりました
ので、どっちがいいんだろうなという気がしないでもないところです。
そんな朝は此方。
空の青さが違うようです。



                                  



午前中かなりの風が吹いておりまして、外に立て掛けていた物が飛ばされたりするほどでした。
洗濯物も風があり過ぎて、物干し竿の片隅に偏ってしまうくらいの強さでした。
そんな風はしかし、季節を夏から秋へと移行させるために吹いていたように感じます。
暑さ、湿気を含んだものではなく爽やかな空気に入れ替えるようにして吹き渡っていたようです。
風神、だったのでしょうか。
上空の雲もそんな速い風に乗り、千切れるような様相を見せながら次々に流れて行くようでした。



                                 


全体が写せなかったのですけれど、こんな感じの長く伸びた雲も出ておりました。
これからの季節、またそんな様々な雲の織り成す風景が見られる頃となりそうです。



         
                                 




最初に書きましたけれど、朝なかなか起きられなかったのにはもう一つ理由があるかもしれません。
申すようにこのところの疲れが溜まって来ており、どこかでメンテナンスしとかないとね、と思いつつもなかなか出来ていないのが実状でした。
昨日はさすがに最近にしては遠出をしたこともあり、ちょっとどこかで身体をほぐしてもらおうかと思い、しばらくご無沙汰していた整体の先生に
行って参りました。
その整体でほぐれたのもあってか、余計起きにくかったのかもしれません。
整体は緑井にある「けんこう整体院 ふじさわ」というところです。(体の字が違うのですけれど出てきません、骨に豊かと書くようです、申し訳ございません)
以前、やはり随分疲れていた時にあるフリーペーパーを見ておりますと何軒かのそんな身体を整えてくれそうな整体等の特集をしておりました。
これはいいなと思いながらも、一体どの先生が自分に合うかわかりませんし、ここは一つ片っ端から電話を掛けてどんなものか聞いてみよう、そう
思い、まずはこの先生から電話をしてみたのでした。
電話で話す語り口はソフトで、どのような整体をされるのですかと伺うと、
「どのような人でも身体はある程度歪んでいるのが普通です。
 その歪みを矯正して一時的に取ったとしても時間が経てば、また元の姿勢に戻ります。
 ですけれど、その姿勢というのはその人に取り長年慣れ親しんだ形であり、それでこれまでバランスを取ってきたのなら敢えて正しいという姿勢に
 矯正するのではなく、その人のバランスに基づいた格好にしてあげるのが一番だと思いますよ。」
と概ねそのような説明をなされたかと記憶しております(多分;)。
そういった主旨の話をうかがい、この先生なら信頼出来るなと感じ、まずは行かせてもらおうと通い出したのがそもそもの始まりでした。

先日、さとう式リンパケアに参りまして、佐藤先生自身に直に
「揉まない、叩かない、ストレッチしない、要するに自分の身体に体罰(前述の三つのことですよ)を与えないんですよ」
とは言われたのですけれど、今回、もうそれじゃ身体がもたんもんね;、と感じておりまして今回、このように整体に参ったものです。
セルフケアではなく、たまにはひと様に身体ほぐして貰いたいんよね、という自分の素直な?欲求に従ったのでした;。



                                   


しばらくぶりで訪れたその先生でしたけれど、全くお変わりなくいつもの感じで身体を触っていって頂きました。
年齢的には自分と数歳違い位であったと思います。
東京の整体を教える学校でご自身が講師をされてきた長年の実績と経験があり、これまでに千人くらいの人数は診たんじゃないかなと以前話され
ておりました。
その時に、いくら身体を正しい位置に戻しても結局はその人自身の癖のある体型の方が馴染んでおり、全く矯正しないわけではないけれども、ある
程度はその人の身体と相談するような感じでほぐして行く方が、結果的にはその人自身が楽なようだと、その時に感じられたのだそうです。
後はやはり、人の身体を触って治していくというのは向き不向きがあるようで、いくらしたいとか、好きだからといって始めたとしてもセンスが
無ければ続かないとも話しておられました。
この部分は、どんなことにも当てはまると思います。
ましてや、今申したように人の身体を直に触るというのは、お互いにエネルギーの交換をするようなものですので、誰にでも出来るというものでは
ないのではとも感じます。
そう話すと、およそどんな仕事、職業でもそうなのかもしれませんけれどね。
その話はまたの機会に譲るとして、昨日の自分のことに戻りますね。

疲れて、もうどうにでもしてくれ状態で行っておりますので話しをするのもしんどいなぁと感じておったのですけれど、この先生、相当に話が
お好きな方でして、手を動かしながらも口も同時に動かされます;。
ほぐしてもらっている此方からすると、うーん;とかうぅ;とかいう、もう言葉にならない感じの痛みがあり、とても話しなんか出来んわ;な
状態なのですが、そんなことには全くお構いなくあれこれを話を振って来られます。
まぁ、いつものことですので;そんな話を聞きながら身体を触ってもらう感じです。
そうしながらも、自分の身体の硬い部分に手を触れると、これはどこそこがどうなってますねとか、この骨折したという部分が痛いのは気づかな
いうちに自分自身がそこの部分を庇ってしまったが故にしばらく動かさなかった筋肉が縮んでいるからで、痛くても動かしてほぐしてやらないと
余計に痛みが増しますよ、などなどアドバイスをして下さいます。
今回、そのように骨折部分についての話が聞けたのは一つの大きな収穫でした。
これもまた先日話しましたように、あの佐藤先生にもして頂いたわけですけれど、どこをどうされたのかさっぱりわかりませんでしたので、今回
使わない筋肉がどうなっているのかという事を聞けたのは良かったと思っております。

実はこの先生、一番最初に掛かった折に何十年前の古傷、左足首の捻挫を指摘されまして、そのことが凄いと感じ、またその折にもう一つ、首の
不調をほぼ一発で見抜いて下さったのが此方へ通わせて頂き出した大きな理由でもあります。
足首の捻挫というのは、小学四年生であったかその当時同級生らとスケートをしに行き、その時にどうやら足を挫いたようで、その日は特に何も
せずいましたところ、次の日になり酷く腫れ上がり、学校から帰るのも難儀したことを思い出しました。
ただ、その当時どのように治療したかは殆ど覚えておらず、整体して頂きながら、捻挫した覚えはありますかと聞かれ、そう言えばと思い出した
ようなものでした。
何せ何十年前のことですし、まさかそんな古い怪我の事を指摘されるなどとは思いもしませんでした。
首については長年自分自身がいつも違和感を感じており、写真を撮るとまるで首を不自然に前に出したような、いわば打ち首にでもなったような
姿勢で写っており、そのせいもあり酷い猫背でもあります。
そんな風な不自然な首の事は見た途端に分かっておられたようで、タオルを首元に置いて
「はい、力抜いてくださいねぇ。ちょっと動かしますよぉ。」
と言われてガクンッと衝撃を受けた拍子に、それまであった首の違和感、これももう何十年とあったものがその一瞬で消滅したのでした。
これまで色んな鍼灸の先生や整体、手技も受けさせて頂きましたけれど、此処まで如実に明らかな変化があったのは始めてでした。
流石にこの首は、その後も幾度かそのようにして治して頂きましたけれど、最初の程には衝撃はもちろん来ませんでした。
先生曰く、首にロックが掛かった状態だったと説明されましたけれど、それがどういった事であったのか今思い出せません;。
ですけれど、長年首を前に突き出したようなおかしげな格好からは、その時やっと開放されたのでした。
実はこのような首になっていたのは一つ理由がありまして、自分の尾てい骨が身体の内側へ九十度近く折れ曲がっておるのが原因でもあります。
背骨自体が横から見るときれいなs字を描いていないのが大きな要因です。
それらも含めて、首もまたその尾てい骨のことも見抜いておられたようでした。
こういった施術を始める前に、まず最初は一時間近くを割いて事細かにその人の身体の状況についてあれこれと面談をしてから取り掛かります。
今ではお互い見知った仲で、先に書きましたように患者?の此方の都合などお構いなしに一人で勝手に喋りながら施術して下さいますけれど、よく
観察しておられることは間違いありません。
ハーレー(ダビッドソン)をこよなく愛する、面白い先生です。



                                 


そんな施術の翌日、今度は揉み起こしというのでしょうか、ちょっと身体が硬くなっているようですけれど、それにはさとう式リンパケアにて
セルフケアしつつ、ほぐして行きたいと思います。
あ~、でもやっぱり一度、次回は鍼へ行ってグデングデンにしてきたいなぁ、とも考えております;。
どこまで行っても優柔不断、これはどうやら治りそうにありません;。



こんな感じの今日のブログにお付き合い頂きました皆様、どうも有難うございました。
感謝申し上げます。
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日々、是れ学び哉

2017-09-27 21:24:28 | ものの見方 考え方
こんばんは。
今日は朝からどんよりとしたお天気で、じきに雨が落ち出しました。
夕方近くになり、これで上がるかなと考えておりましたけれど、また降ってきております。
今夜も引き続き降るのでしょうか。
秋の長雨と申しますけれど、やはり降る時期には降らないといけないのでしょうけれど、青空が見たいものだとつい感じてしまいますね。
そんな日はこんな感じの空でした。



                                 


昨日少し書かせて頂きましたが、息子が今の職に変わってからそれまでに勤めていた前の職場で言われて来ていた事への意識が変わって来たようです。
今の職は全くの営業で、日々様々な方とお会いさせて頂くようです。
その中で身だしなみの大切さは、これは前の職場でも結構言われていたことなのですけれど、仕事自体がお客さん相手であったとしても、自分達が
すること自体は結構力仕事であったり汚れ仕事であったりして、服装に気はつけていたとしても、汚れることは仕方ないじゃないか、という意識が
息子の中にはあったようです。
毎日洗濯して清潔なものを身に着けていたとしても、一日が終わるころには結構ドロドロになってしまうことも多く、そんな中でどうしてそこまで
自分達の服装まで気を配らなくてはいけないのか、そこの部分が理解出来ていなかったようでした。
親の自分としても、作業着に近い服装にはアイロンまでは掛けることはしておりませんでしたけれど、やはりお客さん相手ならば、見えない場所
で仕事をしていたとしても、常にその方達の目があることだから、そこは必要なんじゃない、とは言っていた気がするのですけれど。
それが今の職場では、人と接する仕事をする上ではやはり第一印象の見た目はどうしても大事であるということを教えて頂けたようです。
これはそれこそ、先に書いたように口酸っぱく教えて下さっていた前職の先輩の言葉と同じものなのですけれど、その頃の息子は、そういった事柄に
すら反発を覚えるようになっており、頭には入らなかったようでした。
今にして息子自身が、あの時の先輩のあの言葉はこういうことを言ってくれていたのか、そう素直に感じ取れるようになって来ているようでした。
服装も、また仕事に対するモチベーションも、人数の少ない職場でのコミュニケーションの大事さ、そういう諸々の事に対する心構えをその先輩と
しては、懇々と教えて下さっていたようなのですけれど、如何せん本人にしてみると、日々同じように怒られる(と感じていたのかも)こと自体が
苦痛になって来ておるようでした。
こんな時に男親がいればどのようにアドバイスをしてくれるのか、この時ばかりは母親の自分としても随分と悩み、親しい信者さんにそれとなく
話をしてみたり、色んな方に相談もしてみました。
そこまで親が口出ししなくとも、と言われそうですけれど、毎朝起きると
「ああ、また一日が始まるんか。仕事、行きとうないなぁ(行きたくない)。でも行かんと人がおらんし(いないし)どうにもならんし・・・。」
と、ひとしきりひとりごつようにしてつぶやき、暗い顔をして出掛けて行っておりました。
そんな様子を見ていると、どうにもいたたまれなくなり、どうにか出来ないものかと自分としても案じておりました。

結局は最後は、そこの社長さんにそれまでにも幾度か相談していたのですけれど、早めに次の人員を入れるというように話が決まり、息子は退職
させて頂くこととなりました。
その後に息子自身は今一度就職活動、就活をはじめ様々な経緯を経て第二新卒という形で、今の会社にご縁を頂き現在に至っております。
先に話した最初の職場の以前には、多くの学生さん方がそうであるように息子もまた数々のアルバイトを経験させて頂いておりました。
それぞれの職場で、これもまた今思えば貴重な体験、経験を積ませて頂いたものでもあり、当時は何かと文句ばかりが口をついて出ておりました
けれど、やはり今にして思えば多くの事柄をその場から学ばせて頂いておったのだと思います。

これもまた昨日申しましたように、親子二人してお茶しながら
「今この仕事しとっても、あの頃色々教えてもらっとった事が(教えてもらってたことが)結構役に立っとるよ。
 後輩の子らがキツイとかいうけど、自分はあの頃の事を考えると全然そうは思わんし、むしろ面白いし楽しいわ。
 服装が大事というのも、あの先輩が言って下さったのが今は正しいと思えるし、当たり前だと思うよ。
 今度お会いする機会があれば、ちゃんと有難うございました、と伝えたいよ。」
と晴れ晴れとした顔で話してくれました。
あの当時はあれほど思い悩み、一時は胃潰瘍かもしれない、と言って病院に通いながら仕事を続けておりましたけれど、この会社へ入ってからは
社員の皆さんとの年齢が近いのも手伝ってか、皆して頑張っていこうという雰囲気もあるようで少し前の本人と同じ人物とは思えないほど生き生き
として仕事をさせて頂いておるようです。

そんなことを感じながらも、以前の事が自分自身も一度に頭の中へ蘇ってくるようでもあり、思わず此方の方が感極まってしまったのかもしれません。
これもまた幾度も申すように親バカ大丸出し;な感じですけれど、周りの皆さんに支えられながら感謝の気持ちを持って仕事させて頂いております
事に、これもまた自分の方が有難い思いを抱いたのでした。
ただし、そのように本人が全てが全て感謝ばかりかというと決してそのようなことはなく、そこの部分はなんとかならんのかい;な所も往々にして
見受けられるのも事実です。
まだまだ若い未熟な部分も多くある息子ではありますけれど、親が思う以上に成長してくれているものだなぁ、と感じたのもまた一つの事実でも
あります。

かく言う親の自分の方が未だに出来損ないな部分を多くもっておる、これもまた否めない事実でして;結局は生きていく以上、日々成長なのかも
知れない、そう感じた今回の倉敷行きでした。



                                   


いつもとはちょっと違う(え、やっぱり変わらない;?)話を書かせて頂きました。
ごくごく普通の、どこにでもある親子の他愛ない話ではありますけれど、我が家にとっては一つステップを登れたのかもしれないね、そう思える
事柄でした。

そんな日常を綴りました今日のブログ、お付き合い頂きました皆様、有難うございます。
感謝申し上げます。
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倉敷、行ってきました

2017-09-26 22:11:37 | お出かけ
こんばんは。
朝目が覚めて外を見ると、とても美しい朝焼けが広がっておりました。
思わず、何枚も撮ってしまいました。
だいたい朝焼けになるとお天気は下り坂と申しますけれど、今日のうちはお天気はもったようですね。
赤く染まった雲が見え、やがてお日様も顔を覗かせておりました。


                            



                            



                            



                              



今日は、昨日申しておりましたように倉敷に赴任しております息子の所へ行って参りました。
まずはいつものように車を借りに行き、持って行ってやる荷物を積むため一度家へ戻り、改めて出発です。
広島インターを入ったのが九時十五分程前。
いつもならそれほど混んでいないのに広島東インターを過ぎてしばらくするとノロノロ運転となり、トンネルの中も渋滞しておりました。
今思えば、高速を走るのは信者さんのお宅へ参らせて頂くために向こうのご意向に沿うように曜日も決めます。
大概が土日などの週末であり、それほど混んでおることもまずありません。
今日はウィークディ、多くの方が志和や西条辺りまでは時間的にも仕事の関係で動かれる頃でしょうし、混んでいて当たり前だったのかもしれ
ませんね。
以前はそんなウィークディに福山へもお祓いに参らせて頂いておりましたけれど、これも一時間以上早い時間帯でしたし、込み合う時間が避けら
れていたのかもしれません。
最初はどこかで事故でもあったのかというくらい進まない感じでしたけれど、河内インターを過ぎる頃には随分と流れも良くなっていたようでした。
その前に、さすがに一度休憩しようと小谷のSAで停まりました。
此処もいつも混み合っているSAですね。
仕事の途中で一服する方、旅行の途中で寄られる団体さん、迷彩服に身を包んだ自衛官の方もおられました。
皆さん一様に車を下りるとちょっとホッとされたような顔をしておられます。
日常ではあるけれど、少しだけ非日常な場所、そんなところがあるのかもしれません。

ここで自分もトイレ休憩をして一路、倉敷へとまた走り出しました。


今日はそんな途中に全く写真を撮っておりませんでしたので、面白い景色のひとつも写せておりません。
早く着こう、そんな思いが先行してたのかもしれないです。
結局倉敷インターへは十一時少し前に着きました。

ですけれど今日はそこからが大変でした;。
いつもならどこかへ出向く折には前日までにしつこいくらい地図を見て行き先までの道を確認して頭に叩き込むのですけれど、どうしてだか
今回は全くそのようなことをしておりませんでした。
ちょっと自分自身、ボケが入ったんでしょうかね;。
インターを下りてから、あ、そういえばどっちへ行くんだっけ?と大よその検討をつけながら道を走り、大きなスーパーの駐車場へ車を停めて
地図で見るのでははなく、スマホに息子のアパートの住所を入れて走ることにしました。
が、どうやら入れた肝心の住所が間違っていたらしく、何回走っても同じ狭い場所をグルグルと回るばかりで埒があきません;。
どうにもならないので、空き地へ車を停めておりますと、一台の車が近くへ停まりました。
電話をされていたその男性をひっ捕まえて;今一度正しい住所を入れた場所をスマホで確認していただくと、どうやら相当場所が違っていたよう
でして、結局はその方が車で先導して下さる格好で住所近くのコンビニまで行って下さいました。
これがかなり役に立ち、もしこの方がおられなかったら、もしかするといつまでも息子のところへは辿り着けていなかったかもしれません;。
その方曰く、息子の住む番地の近くに以前お住まいだったとかで、それでなおの事、場所がお分かりになられたようでした。
まさか道に迷ったところで偶然にもこのような形で助けて下さる方がいようとは、まさに天の助け、神様からの粋なお計らいだったのかも
しれません、有難い事でした。
インターを下りて順調に行っておれば、ものの二十分もかからぬほどの距離ですのに、結局はこの道に迷ったことで一時間半ほどを費やして
いたのでした;。
我ながらお恥ずかしい限りです。


とにもかくにもコンビニで待っておりますと息子が自転車で迎えに来てくれ、そこからはその自転車を折りたたんで(そう、折りたたみのやつ
でした)車に積み、息子の運転でアパートまで行きました。
話には聞いておりましたけれど、かなり狭い道を行くので結局はわからなかったかも知れません。
怪我の功名?、そう思おうと思います;。



                               



持っていった荷物を部屋に運び、二人で近く(でもありませんでしたけれど)のうどん屋さんでお昼にし、色々と話をしておりました。
部屋で何かご飯でも作っておいてやろうかと思いましたけれど、部屋自体が台所らしい設備もなく冷蔵庫はありますけれど、調理をするには
手狭過ぎてとても無理でした。
後は息子の運転する車でショッピングモールまで行き、買ったものと言えば家で待つネコのための餌くらい;。
広い店内を歩き回るとそれだけ疲れてしまい、お茶でもしようかと喫茶店に入り、本人の今の仕事の事とか以前の勤め先での経験を聞くともなく
聞いておりました。
その時には嫌だ嫌いだと感じていた先輩の言葉がいちいちに今にしてみて有難く、身にしみる思いがすると語っておりました。
あれほど毛嫌いしていたのに今は感謝していると話す息子の言葉を聞いて、なんとも言えず自分の方が込み上げてくるものがあり、このように感じ
させて頂けるほどにならせてもらえていることに、自分の方が感謝する思いでした。
人間、どのような経験も決して無駄にはならないということを息子自身が身を持って感じ取れていることこそが有難いと思えた時間でした。



                               



申すように家ではネコが待っておりますし、五時前にはアパートを出て今一度スマホにインターまでの道案内を頼みましたが、如何せん思うような
道を走ってくれません。
こりゃ駄目だと諦め、スマホは無視して標識を頼りに道を走ると倉敷インターではなく一つ手前の玉島インターから乗れるように二号線バイパスに
入ったようで結果的にはかなり早く高速へ乗ることが出来ました。
帰りは西日をもろに見ながら西に向かって走ります。
トラックもこれまた多く、かなり混んだ道を広島まで戻りましたけれど、思う以上に早くこちらへ戻ることが出来ました。
ええ、ええ、いつもの如くついまたアクセル踏んで飛ばしましたんで;。
これはもう身についた悲しい?性(さが)ですね;。
オバサンになっても直りそうにはありません。



そんな今日の倉敷までのちょっとしたドライブでした。
明日は少しのんびりしようかと思います。

表題の倉敷、普通ですと美観地区や美術館などの観光名所が出てきて当然ですけれど、全く関係ない、ごくごく普通の話に終始致しました。
期待して覗かれた皆様には申しわけありません。
それでもこのブログへのお付き合い、いつも本当に有難うございます。
感謝申し上げます。

コメント
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