日の本に はびこるものが 認知症
予防はおろか 治療もしない By kinukototadao
&1「意識的な世界」における「脳の働き方」のメカニズム
私たちの頭のてっぺんの所には、身体を動かす指令を出す「運動の脳」があります。脳卒中で、半身麻痺になる人がいます。運動の脳の左の部分が壊れると、右半身麻痺が起きます。右の部分が壊れると、左半身麻痺が起きます。運動の脳の左の部分が右半身を動かしていて、右の部分が左半身を動かしているのです。
脳の後ろの左側部分には、勉強や仕事などをする為の「左脳」があります。左脳は、言葉や計算や論理や場合分けによるシミュレーションなど「デジタルな情報」を処理しているのです。
脳の後ろの右側部分には、趣味や遊びや人付きあいなどを楽しむ為の「右脳」があります。右脳は、色や形や空間の認知や感情の処理など「アナログな情報」を処理しているのです。
額のところには、脳全体の司令塔の役割をつかさどる「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下、同じ)があります。私たちが意識的に何かのテーマを実行しようとするとき、どのような「テーマ」をどのように実行するか、「運動の脳」をどのような目的の為にどのように働かせるか」(身体を動かすテーマ)、「左脳」をどのような目的の為にどのように働かせるか」(言葉や計算や論理や場合分けなどのテーマ)、「右脳」をどのような目的の為にどのように働かせるか」(色や形や空間認識や感情の処理などのテーマ)、全ては司令塔の「前頭葉」が周りの状況を判断して決定し、指令を出しているのです。
その「前頭葉」には、発想したり、計画したり、工夫したり、推理やら洞察をしたり、或いは機転を利かせたりするなどの様々な働きが詰まっています。更には、自分の置かれている状況を判断し、種々ケースワークした上で、実行テーマの内容や実行の仕方を選択して、最終的に決定するために必要な「評価の物差し」という大事な働きがあります。この状況の判断に伴うテーマや実行内容、或いは実行の仕方やその程度及び態様を選択する機能こそ、私たち人間に特有の機能でもあるのです。
これが、「意識的な世界」における私達人間だけが獲得した脳の働き方のメカニズムなのです。言い換えれば、運動の脳、左脳、右脳という「三頭立ての馬車」をあやつる御者の役割をしているのが、「前頭葉」なのです。三頭の馬を十分に働かせられるのも、不十分にしか働かせられないのも、「前頭葉」の働き次第ということなのです。使われる機会が極端に少ないことに起因して発生する廃用性の加速度的な機能低下を直接の原因として、司令塔の「前頭葉」の働きを含む脳の働きが異常なレベルに衰えてきて、そのために社会生活や家庭生活やセルフ・ケアなどに支障が起きてくるのが、「アルツハイマー型認知症」という病気なのです。すなわち、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であると言うのが私たちの主張なのです。
脳の司令塔の「前頭葉」がちゃんと働かなくなった時点で、ほんの少し前に食事をしたばかりなのに、そのことさえ思い出せないような「重度の記憶障害」が出てくるようになるはるか前の段階で、「アルツハイマー型認知症」はもう始まっている、そのことに認知症の専門家とされる人達が未だに気づいていないのです。
&2「前頭葉」の三本柱に潜む加齢とともに機能が低下する性質
皆さんは、「物忘れ」と言う言葉をご存知でしょう。30歳代の後半になるとこの物忘れの症状が出てくるようになり、加齢とともにその頻度が増えていき、その程度や態様も重くなっていきます。昔から言い古されている諺に、「物忘れは、ボケの始まり」と言うのがありますが、これは間違いです。「前頭葉」の働きが詳しく知られていなかった時代の産物、症状だけから組み立てられた諺に過ぎないので、ご安心を(ここを「クリック」してください)。
ところで、その「前頭葉」には、もっと詳しく言うと「前頭葉」の三本柱の機能には、30歳代以降、加齢とともにその働き具合が衰えていくという性質(私たちの命名である、「正常老化の性質」)が潜んでいるのです。60歳を超える年齢の「高齢者」の脳に潜む正常老化の性質と生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標もない、「ナイナイ尽くしの単調な生活」(私たち独自の命名です)が継続されている生活習慣(脳の使い方と言う視点)の下で、両者の相乗効果により、「前頭葉」を含む脳の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことになるのです。その行きつく先に、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているのです(ここを「クリック」してください)。その最初の段階を、私たちは「軽度認知症」(小ボケ)と名付けているのです。
「アルツハイマー型認知症」の最初の段階であり、私達の区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階は、左脳と右脳と運動の脳は未だ正常なレベルにあるのですが、脳全体の司令塔である「前頭葉」の働きだけが異常なレベルに衰えてきているのです。そのため、「前頭葉」の機能のうち最も重要な「三本柱」の機能である「意欲」、「注意集中力」及び「注意分配力」が的確に発揮されなくなります。
この「三本柱」の機能の衰え具合の相乗効果としての働き具合いが、いろいろな認知機能の対象となる情報や思考の処理に関わる「認知度」及び「発揮度」を左右しているのです。その結果、「小ボケ」の段階では、この「三本柱」の機能が異常なレベルに衰えてきていることの機能障害を反映した「前頭葉」の機能障害を示す症状が「小ボケの症状」として特徴的に現れてくるということなのです。
「三本柱」の機能が異常なレベルに衰えたその反映が、状況の判断や、発想や企画や計画や洞察や機転や感動や決定や抑制といった「前頭葉」の各種機能の「認知度」及び「発揮度」に直接影響してくるために、対象となる情報や思考の認知及び記銘やその保持や想起並びに処理の面でも、機能の発揮が不的確で不十分なものとなるのです(「二重構造」の反映)。その結果、的確な状況の判断、発想、計画、創意、工夫、機転といった機能、或いは的確な見通しや意思決定などが要求される、「社会生活」の面で、程度や態様を含む種々の支障が出てくるようになります。「社会生活」面での種々のトラブルが生じてくるようになるのです。これは単なる「老化現象」ではなくて、廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因した「前頭葉」の機能障害による病気、すなわち、「認知症の症状」なのです。
上述したナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されている下で、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことにより、「小ボケ」の段階では未だ正常なレベルにあった「左脳」及び「右脳」までもが異常なレベルに機能低下してくるので、「家庭生活」に支障が出てくるようになる「中等度認知症」(中ボケ)の段階に入っていき、最後には、末期の段階でありセルフケアにも支障が出てくる「重度認知症」(大ボケ)の段階へと症状が進行していくことになるのです。認知症の専門家とされる人達は、「前頭葉」の機能レベルという視点を持たないか、或いはそれを精緻に計測し判定することが出来る「二段階方式」のような手技を持たないので、「症状」という外観だけからしか判定しようとしないのです。
医療の現場を眺めると、高額の費用が掛かるCTやMRIなどの画像診断機器を活用している医師達が相当数居る訳ですが、そうした機器の活用では「脳の形」を判定することは出来ても「脳の働き具合」を判定することは出来ないことを知るべきなのです。たとえf-MRIを活用しようとも、「前頭葉」の機能レベルを処理テーマに沿って精緻に判定することは出来ないのです。その結果として、外観から分かり易い「記憶の障害」に関わる症状で且つ程度が重い症状ばかりに目が行くことになるのです。「記憶の障害」に関わる認知症レベルの症状は、私たちの区分で言う「中等度認知症」(中ボケ)の段階にまで「前頭葉」を含む脳全体の機能が衰えてきて初めて発現してくることになることを注意喚起しておきたいのです。
&3「老化現象」と「認知症の症状」とを鑑別する為の必須条件
ここで皆さんに更に注意を喚起しておきたいのは、私たちの区分で言う「小ボケ」の段階に特有なこうした症状は(&4に詳細な症状を列記)、単なる「老化現象」ではないということなのです。老化現象なのであれば、その人の「前頭葉」の機能は正常なレベルにないといけないからです。医師や研究者を含め認知症の専門家とされる人達は、私達人間だけに備わる特有な機能である「前頭葉」の働き方のメカニズムに精通していないか、又は関心がないか、或いは「前頭葉」の機能レベルを精緻に計測し判定する手技を持たないので、症状を外観のみから判断する結果、「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてきたことに起因して発現している症状(「アルツハイマー型認知症」の症状)を「前頭葉」の機能が未だ正常なレベルにあって(単に、機能低下の状態に過ぎない段階で)発現してくるのが特徴である「老化現象」と誤解しているだけなのです。
&4「記憶障害」は、アルツハイマー型認知症の必須の症状なの?
□ 発想が乏しくなり、画一的な行動が目立つようになってきた
□ 何事をするにも億劫で、何かをやろうという意欲が見られない
□ 同じ食材を買ってくることが多く、献立の単調さが目立つ
□ 一日や一週間の計画が立てられず、テーマを自分で思いつかない
□ 朝は遅くまで起きてこないのに、気がつくと昼間に居眠りしている
□ これまでなら感動していたことにも感動しなくなった
□ 問いかけに対する反応が遅く、生き生きした笑顔が見られない
□ 根気が続かず、中途半端な繰り返しや、やりかけの家事が目立つ
□ ぼんやりしていることが多く、何もしないが指示されるとできる
□ お化粧や髪の手入れや服装など、おしゃれに無関心になってくる
□ 自分に自信がなくて、何かにつけ人を頼ろうとするようになった
□ 歩くとき前屈みの姿勢になり、小股でトボトボと歩く
□ 目の光がどんよりしていて、顔つきが無表情になった
□ 思い込みや思い違いが多く、指摘しても訂正や変更ができない
□ 同じ内容を繰り返して話し、そのことに本人が気づかないでいる
上に列記してある症状は全て、私たちの区分で言うところの「軽度認知症」(小ボケ)の段階で発現する「アルツハイマー型認知症」の症状の特徴です。この「小ボケ」の段階では未だ、「左脳も右脳も運動の脳」も全て正常な機能レベルにあることに注意が必要です。
「前頭葉」を含む脳の働きが異常なレベルに衰えてきて、そのことが直接の原因となって、最初の段階では「社会生活」に支障が出てくるようになり(小ボケ)、次いで「家庭生活」に支障が出てくるようになって(中ボケ)、最後には、「セルフケア」にも支障が起きてくるようになる(大ボケ)のが、「アルツハイマー型認知症」という病気の進行の特徴なのです(ここを「クリック」してください)。認知症の専門家とされる人達は、「前頭葉」を含む脳の機能レベルに見合った「段階的な症状」が発現してくるのが「アルツハイマー型認知症」の特徴であるにも拘わらず、そのことについて全く気づかないでいて、重度の記憶障害の症状を中心とした色々なレベルの症状をアトランダムに並べ立てているだけなのです。
「アルツハイマー型認知症」としての「認知症の症状」が現れてくる最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階で認められるそれらの症状は、世界で最高の権威とされる米国精神医学会が定める「アルツハイマー型認知症」の診断規定である「DSM-4」が言うようなレベルの「記憶障害」の症状とは全く関係が無いのです。「前頭葉」の機能の根幹(基礎)をなしていて、「前頭葉」の各種の高度な機能の「認知度及び発揮度」を左右している「意欲、注意の集中力及び注意の分配力」という「三本柱の機能」が異常なレベルに衰えていることの直接の反映が、認知症の症状として現れてくるだけなのです。つまり、「小ボケ」の段階では、「三本柱」の機能障害に起因する「前頭葉」の機能障害を反映した症状が「認知症の症状」として現れてくるだけなのです。
勿論この段階では、上述の類型化した症状に見る通り、「DSM-4」で第二の要件として規定されている「失語や失行や失認」などの重い症状は、そのカケラさえも認められないということに注意が必要なのです。上述した人間の脳のメカニズム、特に、司令塔の役割を担う「前頭葉」の働きからしても、そもそも「前頭葉」と言う機能を持たない「ラット」の行動、特に、迷路をどう通って行って餌にありつくのか等のレベルの行動をどんなに詳しく観察してみたところで、私たちが問題提起している本当の意味での早期の段階、中でも最初の「軽度認知症」(小ボケ)の段階の症状が発現してくるメカニズムを解明することは到底できない相談だということをここで強調しておきたいのです。
(コーヒー・ブレイク)
「前頭葉」を含む脳の機能レベルとそれにリンクした症状との関係を精緻にとらえる私たちの「二段階方式」の手技を活用した何万例にも上る多数の「脳機能データ」が示しているのは、「アルツハイマー型認知症」の第一の要件は、「DSM-4」が第一の要件として掲げている「記憶の障害」ではなくて、「前頭葉」の異常な機能低下だということを、「アルツハイマー型認知症」の研究者や医師や学者達に問題提起し、ここにそのことを明確に指摘しておきたいのです(ここを「クリック」してください)。
「DSMー4」を含むこれまでの学説は、「記憶の障害」を第一の要件と誤解しているがために、発病の直接の原因ではなくて、発病し重度の段階(私たちの区分で言う「大ボケ」の段階)にまで症状が進行した結果としての副産物に過ぎない、アミロイドベータの蓄積による老人斑の発現(「アミロイドベータ」の蓄積が発病の原因であると主張する仮説)やらタウ蛋白の蓄積による神経原線維変化の発現(「タウ蛋白」の蓄積が発病の原因であると主張する仮説)、或いは脳の萎縮(脳の萎縮が発病の原因であると主張する仮説)が発病の原因だなどと誤った主張を繰り返すことになってしまっているのです(ここを「クリック」してください)。
回復させることが困難な「末期の段階」、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階の人達の死後の脳の解剖結果に着目するのではなくて、私たちがやってきたように、生きている人間の、「前頭葉」を含む脳の機能レベルの変化とそれにリンクした症状の変化に目を向けてほしいと願うのです。「記憶の障害」が第一の要件だと誤解したままで、更には、脳の機能として「前頭葉」と言う機能自体を持たないラットの迷路で餌を見つけようとするだけの行動をどんなに子細に観察してみたところで、時間と費用と人材の無駄遣いにしか終わらないことに誰かが早く気付くべきなのです。ラットが迷路の中を餌にたどり着くまでの過程でのその記憶、或いはシミュレーションは、特定の方向とその距離だけに特化して活性化する特定のニューロンの働きの合成の結果として探索されるだけの行程のそれにすぎず、右脳や左脳や運動の脳や評価の物差し或いは記憶の倉庫等を駆使して、司令塔の「前頭葉」が三本柱の働きの助けを受けてシミュレーションし、記銘した様々な情報の記憶は、ラットのそれとは脳の構造及びその働きと言う視点から見て異次元の物であり、比較に値しないし、両者のそうした相違を無視し、或いはそれを同一視して比較する考え方そのものが発想力に乏しく原始的に過ぎるのではと思うのです。
注)本著作物(このブログB-20に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。
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脳機能からみた認知症(IEでないとうまく表示されません
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