地元の地方気象台がソメイヨシノの満開を発表した日のことです。平年より7日早く、昨年より11日早いとのこと。
その日、我が家では長男が一人暮らしを始めるために、家を出ました。私達両親は平日ゆえ共に仕事でしたから見送りはしていません。駅まで見送ったのは彼の祖母と弟。いつもの通学なら母親の車で駅まで送迎なのですが、そんなわけで長男の荷物を自転車の荷台に載せて三人でとぼとぼと桜の木の下を歩いていったらしい。私は仕事中に何度か、もう行っちゃったかなかなと思いましたが、どうすることもできません。今日、家に帰っても彼はいないのかと文字通り心にぽっかり穴の開いたような気分で、一日を過ごしました。早く出て行ってくれたほうが、カサが低くなっていいのにと思ってきましたが、あと二週間、あと一週間と近づくにつれ思い出すのは、自分が故郷を離れた30数年前のこと。
やはり、私の両親も仕事中でしたから送ってくれず(もっとも、送ってほしいとも思いませんでした)、私の祖父が駅まで、たいして重くもない私の鞄を自転車の荷台に載せて送ってくれました。ホームから手を降る祖父を、私は少し悲しく見ていたと思います。涙を流したかどうかは思い出せません。桜の開花には少し早かったような気もしますが、それも定かではありません。大学を卒業したら帰郷するつもりでしたが、結局帰らないまま30数年。
長男が出て行く日、私の出勤時には彼はまだ二段ベッドの上段で眠っていました。私はなけなしのヘソクリから僅かな金額を封筒に入れ、表に「しっかり頑張ってこい」と書いて、ベッドの彼に手渡しました。思い出すのは、「北の国から’87初恋」の泥のついた一万円冊のシーン。こちらに、動画があります。
寝ぼけ眼の長男は、「ありがとう、行ってきます」と言ってまた寝てしまいました。こういう別れって、子どもの側はあっさりしたものです、かつて私もそうだったように。自分が子どもを送り出すときになって初めて、きっと自分の両親もこんな気持ちだったんだろうかと気づきました。愚かなものです。それで、仕事を終えてクルマの中から、故郷の母に、「あいつは今日行ってしまったよ」と電話をしました。不覚にも電話中に二度、ハンカチを取り出すことになってしまいました。
翌朝になって気づいたこと。二段ベッドの上段はいつもと同じように、布団から飛び出したままになっていて、上段の住人がまだいるように見えたこと。最後の朝の布団くらいちゃんと整理しておけよな。それから、ブルーレイレコーダーのHDDが整理されていて、彼が録画したものが削除されていたこと。もうひとつ、彼の部屋のフォトフレームから、彼の仲間との集合写真がなくなっていて、彼が荷物の中に忍ばせて持っていったであろうこと。ひとつひとつの景色が寂しさを誘います。
子どもは成長してくれなきゃ困りますし、少しずつ親の手のから離れていくのも当然のことではありますが、父にとって少しセンチメンタルな桜のシーズンです。
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ツボさまもiniさまも、同じような年齢であるはず。どこの家庭も子供たちが出ていっちゃうわけですね。そのうち、私が一番後輩経験者になるわけです。男親ってもっとさっぱりしているものと思っていたんですがね。拍子抜けという言葉が、今の私にピッタリとはまります。
うちは来週次男が引っ越します。
そしたらとうとうかみさんと二人きりです。
なんか拍子抜けしそうです(^_^)a
関東平野に行ってしまいました。そのうち慣れるでしょうが、今はぽっかりです。
そちらはお二人ともですか。生活費だけでも大変だぁ。
うちは鳥取と浜松です、二人共出て行ったらさすがに寂しいもんですよ。