ぶろぐのおけいこ

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2007-07-24 00:16:31 | ぶろぐのおけいこ
  他のブログとは少し傾向の違うyahoo!ブログを持っていて、ネット上のつきあいについて考えてきました。結局のところ、こういうブログでの付き合いをどう考えるのかということです。顔も知らない、名前も住所もわからないブログ友達と過ごす時間を、有意義と考えるのか、無駄な時間と考えるのか。
  ある友人は言います。「それは人付き合いではない。付き合いというのは自分の姿をさらけ出すものだ。匿名、自分の素性も明らかにしないのは人付き合いとは考えられない。」なるほど。
  作家の平野啓一郎氏は、ブログを持っている人の意識は5種類に分類できるといいます。
1 リアル社会とブログとに断絶のない場合。実名で書かれる。
2 リアル社会で発揮できない面を表現している場合。趣味の世界など。
3 自分の日記であり、他人が読むことがあまり意識されていない場合。
4 リアル社会で抑圧されているものをブログで吐露する場合。
5 妄想や空想のはけ口としてリアル社会とは別の人格を形成している場合。 (梅田望夫 平野啓一郎 『ウェブ人間論』新潮新書)
  どれくらいリアルな自分をブログに表現しているかで分けたものですね。彼は、ブログ上で上質なコミュニケーションが成立するためには実名が大切だと考えています(梅田氏は匿名であっても、ブログはその人のアイデンティティを遡れることを理由に、平野氏の実名が大切という論には賛成していない)。友人の発言をこの分類に当てはめると、実名で書かれるのは1の場合だけだろうから、1を除いては付き合いではないということになのます。しかし、3の場合はともかく、別の人格だろうが、匿名だろうが、付き合いは付き合いと考えるしかないように思えます。
  匿名ではあっても、その付き合いに支えられるという例はweb以前にもありました。ケータイより前、ポケベルを若い人たちがこぞって持っていた頃、ベル友なんていって、どこの誰だかもわからない相手に励まされるという話がありましたよね。
  もちろん、リアル社会での相手の姿が見えていれば、たとえ顔が分からなくても、会ったことがなくても、相手を知っているという気持ちにはなれます。しかし私は、今風の人付き合いとして、匿名のブログ友達も友達として認めていかなければならないような気がしています。
  少し古い本ですが、江下雅之氏は、『ネットワーク社会の深層構造』(中公新書)のなかで、「薄口の人間関係」という言葉を使ってこう述べています。 薄口とは、web上など従来になかった人間関係のことを指してます。
濃い・薄いの良し悪しは、局面で判断すべきことであって、どちらがより好ましいかは一概に論じられることではない。ネットワークで注目すべきことは、これが「薄口の人間関係」を開くのに効果的な手段であり、ネットワークが90年代という時代に受け入れられたからには、社会の側にもそうなる環境が存在したということだ。
 
  私たちは、本名も顔も知らない相手とコミュニケーションをとり、励まされたり助けられたり、時にはあきれたり、怒ったりしながら生きていくということでしょうか。

~おさらい~

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