2年前だったと思いますが、叔父から届いた年賀状に、「終活のため、来年からは賀状を書かない」という旨の手書き文字が書かれていました。今年届いた賀状の中には、「来年から書きません」と記されていたものが2通。1通は私の母から、もう1通は私の弟からでした。
暮れの忙しいときに、「本年もどうぞよろしく」なんて年賀状を書くのは誰でも辛いことではあります。年賀状を書くのをやめる方法にはふたつあって、ひとつは上のように次回からは書かないと予告する方法、もうひとつは誰から何百枚年賀状が届こうが、一切無視を決め込むという方法が考えられます。予告をするということは、ある意味優しい人なのかもしれません。
しかし、年賀状を書くという作業が手間もお金もかかる、面倒くさい作業であるのは今も昔も同じはず。今になって「書かない予告をする人が出できたのは何故なんでしょうね。
この国の人たちの寿命が延びたこともありましょう。年賀状をわざわざ書かなくてもメールだのSNSだので、年中人々がつながっている世の中になったということもありましょう。しかし、一番の理由と私が思うのは、PCとプリンタと年賀状ソフトのおかげで、年賀状を書いて出すという一連の作業に本人の心が経由していないことが、年賀状不要論につながっていないかということです。
届いた年賀状の宛名面を眺める。プリンタ出力の文字の多いこと。手書きの方が少ないです。確かに、PC+プリンタ+年賀状ソフトは、年賀状作成の手間と時間を大幅に縮小してくれました。年賀状をくれたその人に年賀状を出したかどうかをソフトで確認しなければわからない、心が参加していない状況。これを何年か続ければ、年賀状はもういいやと考えるようになっても不思議ではありません。
自分の家族を振り返ってみると、私の子供たちはもう年賀状を書きません。小中学生のころはわずかでも書いていましたが、成人した今は書いていないようです。もうそういう時代なのかもしれません。高齢者は終活のため年賀状を書くのをやめ、若い者は年賀状を書くという習慣がないまま大人になり…そのうち、「昔は、正月に年賀状というものがあったのさ。年末に何十枚もハガキを書いてね。えっ?手書きかって?当然だよ。プリンタなんてない時代だもの。宛名も文面も手書き。一言ずつコメントを書いたものさ。」というような話をする時代が来るのでしょう。年賀はがきが売れなくなると郵便局も大変です。
かくいう私も、この正月は両面ともプリンタ出力、手書きのコメントは一切書かず。
仕事上のかかわりから、接遇マナー講座などを担当しているコンサルタントから年賀状をいただきました。なるほど、偉いもんです。宛名面は手書き、通信面にも一言コメントが添えられていました。
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