
大阪の国立文楽劇場へ誘ってもらえる機会があったので、こんなきっかけでもない限り、自分で行くことはないだろうと考え、連れて行ってもらいました。操り人形なんて、徳島の阿波十郎兵衛屋敷で見た「傾城阿波の鳴門」か、ずっと遠い記憶を遡って、NHKの「新八犬伝」をテレビで見たくらいしかないのですから(九ちゃんの語り。懐かしいなぁ)。
演目は、団子売/ひらかな盛衰記/本朝廿四孝。残念ながらストーリーをコメントできるほど予習もできていませんでした。
ロビーには繭玉。客席では、新春公演ゆえか和装の女性も何人もいます。優雅ですね。舞台上部の壁には、でっかい鯛が2尾。間に大きな巳が書かれています。大阪という都会に文楽という文化がしっかり定着しているように見受けられます。そして自分は場違いだなぁという気後れ。
客席はフラットであり、後席が高くなるという構造になっていません。文楽が人形芝居である以上、上から覗き込むように見られるのも具合悪いでしょうからね。近くに座っていた女性二人組も、「後ろの客席が上がってないね」って話していました。彼女たちも私と同様に、文楽劇場は初めてなんでしょう。舞台上部には、上演に邪魔にならないような高さで大夫の台詞が映し出されます。もっとも台詞が文字化されたところで、歴史的仮名遣いであるし、漢字の読み方も特殊ですから、それでお話が理解できるというほど易しくありません。私の座席は後ろから2列目でしたから、舞台から遠い分だけ、舞台の人形と文字が近いですが、舞台に近い席ほど、人形と文字の角度が広がって、顔を上下するのに疲れる勘定になります。文字を見なきゃならないような初心者は、後席を選ぶべきでしょうね。
一体の人形を何人で操作するか。3人だろうと思っていましたが、役の軽重によって、一人で一体を担当するということもあるのだと、恥ずかしながら知ったような次第です。そして、人形遣いのメインの人(主遣い=おもづかい というらしい)は黒衣(くろご)ではなく、顔を出しているのだというようなことも知りませんでした(恥ずかし!)。太夫や三味線にもスタイルがいろいろとあるらしいということも。歌舞伎のように掛け声がかかるのも聞きました。太夫が紹介された時だったように記憶します。掛け声は後席からで、歌舞伎の大向こうみたいなものですね。
上演中の客席の暗さとあのテンポ。私はといえば、壊れたシャッターを開けようとするように瞼を開くのに相当の努力を要し、それでもところどころ記憶が途切れて、鑑賞にはほど遠い有様。ふと気づいて目を開けても字幕の台詞がまだ変わっていないことに驚いたり。まぁ、文化というものにほど遠い自分を感じて、情けない気持ちです。
私が座ったB席は2300円。映画の料金プラスアルファで、こういう都会の文化に触れることができるわけですね。知りませんでした。こういう高尚な芸術は私のような懐具合の者には無縁だと思い込んでいました。
なんであれ、文楽劇場に行ったぞという満足感で劇場を出て、ケータイの電源を入れたら沖縄の友人からメール。来月、仕事で文楽劇場へ行くという内容。「その文楽劇場から今出てきたばっかり」と返信したのでした。
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