妖怪大魔王・コバ法王日記

オートバイを分解して磨き、正確に組み立て独自理論でラインを探り、ストップウォッチと頭脳で感性を磨き、日々の想い語ります

「AI エラー」と「ヒューマンエラー」

2022-06-08 00:00:17 | 人として生きたい

   
自動運転による事故は、恐らく皆無にはならないでしょう。しかし、社会的に導入される際には、人間運転による事故率よりも自動運転による事故率の方が低くなる事を正義として、立法を含めて正式に導入が決まるでしょう。 そうなった時、抱く心配は、自動運転と従来からの“人間運転” との混合になった場合、事故率が高まる恐れがある事です。
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人間運転の場合、周囲の人の運転操作を通じて、運転者の性格や嗜好、感情を推測して、次に起きるかも知れない危険な状況を未然に回避する運転をしているものです。
しかし、自動運転の場合は、周囲の状況はしっかりと把握して穏やかな運転操作を行ないますが、時として、そんな普段の運転状態からは想像し難い行動を起こす事で事故を誘発している様に想われます。そして、自動運転と人間運転が混合になった場合、自動運転が人間運転している人の予測には無い行動を起こす可能性があり、それによって増加する事故率も加味しなくてはならないでしょう。




それ以上に、もっと恐れるべき事は、「自動運転車との事故に遭遇した際、自動運転の判断は正当であり、相手側の人間運転側に大きな責任がある」という判決が出る事です。 
    
自動運転は次世代の主要産業の柱の一つですから、世界のデファクトスタンダードを握る為に、国から経済から法律までの支援を受けた大企業による国家プロジェクトですから、自動運転が人間運転との事故に遭遇すれば、非を一切認めず、自らの正当性を強く主張する事は容易に想像できます。周辺の交通状況のデータを仔細漏らさず正確に保存していて、保険会社もそれを司法の場に提出するでしょうから、ドライブレコーダーの映像と運転者の証言だけの人間運転では、従来通りの判決は期待できなくなります。
  
車の世界に限らず、「AI エラー」は滅多に起きるものではなく、「ヒューマンエラー」は起きる可能性は低くないと認識されています。今後2~3年以内に、日常生活の隅々までAIによる支援を受けて生活するスタイルが一般的になれば、「ヒューマンエラー」は AI の導入によって防ぐべきモノであり、人間にとって害でしかないという意識が一般的になるでしょう。
そんな時代になれば、人間の特徴であり人間らしさの根源とも言える、「ヒューマンエラー」は排除できない者は社会に適合できない弱者とされるでしょう。
 
そんな事を考えると、僕は、AI 信奉へと傾倒する社会に息苦しさと生き難さを感じてしまいます。

 
出典  :  自動運転 LAB. 「 自動運転車の事故(2022年最新版) 」
https://jidounten-lab.com/y_1615




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コロッセオの観客のように

2022-05-20 01:04:01 | 人として生きたい

    
古代のローマ帝政期、剣闘士たちを戦わせる様子を市民達に見せる場として作られた円形の闘技場がコロッセオ(イタリア語)。庶民に娯楽を与えて安定した治政を行なう為、有名なローマ市内のコロッセオ以外に、支配していた地中海地方を始めとする各地に建設させた事が知られている。

 


時が過ぎ、インターネットや情報端末の発達と普及によって、現代は世界中の多くの人々が一つのコロッセオに集っている様に感じる。 ライブ配信で、世界各地の何億もの人々が闘技場で繰り広げられる様子に一喜一憂していると言えるだろう。2020年のパンデミック宣言以降の混乱しかり、2022年のロシア軍のウクライナ侵攻でも、世界中の人々が右往左往しつつ固唾を飲んで見守っている。そして、各国政府も、ローマ帝と同様に、コロッセオで繰り広げられている様子や情報を、国民の意識と行動を導く為に利用していると言える。

 


ここで、今、観客が行なうべき事を考えてみた。
日常生活からかけ離れた状況で人の生命に大きく関わる事が起きている限り、眼を背ける事は人として難しい。更に、闘技場に降りていくのはもっと難しいのは確かだ。が、同時に、闘技場に立つ人々からは観客席の人々がどう見えているかという視点が足りないのも確かだろう。

少なくとも僕個人は、闘技場の結果がどうなっても、明日からの生活が大きく変わらないと言えるし、健康や命の危険性が増す事もない。闘技場を出て、外の居酒屋で談笑しながらビールを飲む事も出来るし、二度と闘技場へ入らない様にする事も不可能ではないだろう。


だが、僕は闘技場の様子は正確に把握しておきたい。単に、傷付き命を落とす人々の事だけでなく、それを見ている観客達の振舞いや、世界の権力者達がコロッセオをどう利用しているかを正確に把握しておきたいからだ。
それが、コロッセオが人々に与える一番大きな “教訓” になると信じているからだ。



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真の難民・人命支援を求めます

2022-04-01 15:06:01 | 人として生きたい

  
2022年 2月24日、ウクライナへのロシア軍の侵攻によって、民間の多くの方々の地域が攻撃を受け、住居が破壊されて命の危機に見舞われました。
その様子は、一部の情報統制が厳しい国々を除いて、全世界の人々がほぼ同時に目の当たりしたでしょう。そして、10年前、アラブ系の人々が住むシリアの国民に対するロシア軍の無差別攻撃とは異なり、西欧諸国と米国、そして同盟の国々は一斉に制裁決議とウクライナ軍への支援を決定しました。
 
ただ、3月末時点で、ウクライナ国内で住居を追われた人々が 1,000万人を超え、国外へ脱出した人々が 400万人を超えており、難民となった方々の健康や生活への支援が急務となっています。そして、10年以上続いたシリアからの 660万人と言われる難民の方々の時とは異なり、西欧やEU圏内の東欧諸国は直ぐに難民受け入れを表明し、それに呼応するかの様に、日本政府も “難民受け入れ” 姿勢を表明しました。
しかし、「暴挙による人道上の危機」と言い、各国と同調して速やかに表明したまでは良いのですが、国レベルで対応せず、4月1日、民間の公益財団法人への委託を公表するのに一か月以上も要しました。
   
今回、この重い責任を受ける事になった「公益財団法人」とは、私が主宰する「NPO法人」と同様に政府・行政から金銭等の支援を受ける事は無い民間の団体です。ただ、公益性の高い事業を行なう意志のある人が、その事業を円滑に進めていくにあたり、行政が定めた一定の認定資格を経て使用する事が認められた「法人名称」に過ぎません。 つまり、政府が正面から “難民” の方々への支援を行なう訳ではなく、国家公務員が対応しない “丸投げ” という形です。
   
2020年1月、WHOによるパンデミック宣言後、3月になってようやく厳しい入国制限などの対処を発表した時よりは早く、批判逃れは上手になったと言えますが、人命の危機への対応の遅さに変わりはないようです。
日本人では初めて、UNHCR・国連難民弁務官 として活躍された 緒方貞子 さんを 輩出した国として、今回の様な対処は決して誇らしく感じられるものではありません。 

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ウクライナ への ロシア軍の侵攻以来

2022-03-21 23:19:43 | 人として生きたい

  
2月24日、米国が昨年末から可能性を指摘し続けてきた、ロシア軍がウクライナへ侵攻を始めてから、報道を観る度に胸が痛くなり、仕事に手が付き難くなっている。
1991年、現大統領自身が偉大だと考えていたソビエト連邦が崩壊して、直後に大統領に就任して以来、過去の栄光を取り戻す好機だと捉えているのだろう。

日本に居て確認出来る報道の多くはウクライナが被害者で、ロシアが加害者的な捉え方や制裁行動が溢れている。それは誤った捉え方ではないだろう。どんな狙いや大願があるにしても、他国へ軍事侵攻する事はするべきではなく、まして一般の民間人の命は奪う様な無差別攻撃は決して許される事ではない。だから、ロシアは直ちに軍を撤収して、攻撃によって亡くなった一般国民への謝罪を行ない、民間施設に及ぼした被害の弁償を行なうべきだと考えている。

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ただ、こんな時に限ってメディアの表舞台に現れる “専門家” の見解には納得できない場合もある。ウクライナ大統領が元コメディアンだったという経歴からか、「彼の政策の失敗で起きた侵攻だ!」として指導者の力量に疑問を投げかけた者も一人や二人ではなかった。仮にも、一国の国民が選挙で選んだ人を、実際に直接会談して意見交換を行なわず、安易に高額の “出演料” を得ているだけの者にしか見えない。
    
僕は、ウクライナ・ゼレンスキー大統領の事はロシア軍侵攻後に知ったに過ぎないが、居住場所や通信環境が徐々に制限を受けながらも、様々なメディアを通じて、精力的に国民や他国の指導者達に直接話しかける姿を見る限り、他国と較べられない程に立派に指導者としての責任をこなしている事は充分に理解できる。
   
しかし、疑問に感じている点も少なくない。 それは、ロシアが行なった行為だから批難されてはいないか? シリアでアラブ系の人々が同様に虐殺されていた時は欧米メディアは今とは少し異なるスタンスではなかったか?  欧米など制裁を発動している諸国は、過去に於いて、他国へ軍事侵攻して領土を奪った過去は無かったか?  攻撃を受けたという「自作自演」の被害をでっち挙げて開戦へと踏み切った国は数多くあるのを忘れていないか?
こんな機会こそ、悲惨な紛争状態を制御する国際連合が機能しない様で価値があるのか? などだ。

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先にも書いた通り、現在の無差別で人々の命を奪い、多くの人々の生活や健康を奪い続けている軍事侵攻は直ぐに止めて、武器を放棄して自国へ撤収するべきだと思う。ただ、今回の侵攻がどういう形で収まるにせよ、人類が犯してきた数多くの武力侵攻や制裁などの経験の全てを反省して、同様の侵攻や虐殺の無い世界へと進む事を切に願う。



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ライダーの隣にある “冤罪” (えんざい)

2022-03-20 04:30:07 | 人として生きたい


今日、TVで、免田 栄 さんが巻き込まれた事件の報道を改めて観ました。

1948年に発生した殺人事件の犯人だとして警察に逮捕され、1審の時から アリバイが証明されていたにも関わらず、強引な取り調べによる自白書によって、死刑判決を受けた人が 免田 さんです。

ご自身も粘り強く裁判記録を書き写すなどを行ない、捜査や検察の矛盾点を一つひとつ挙げて、死刑確定になった後にも何度も再審請求を嵩ねて、1983年、当初からのアリバイの証明が認められて無罪判決を受けています。

無実の人を、誤った認識や偏見に基づいて罰する冤罪(えんざい)は、権力を与えられた公務員達が恣意的に権力を運用する態度を諦めるか、或いは、権力を付与された公務員と同等の権力を持つ組織が検証を行わない限り、冤罪の大小はあるにせよ、永遠に無くなる事のない社会の “暗部” であり “汚点” です。


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実は、ライダーの隣にも、そんな冤罪は待ち受けているのです。

特に一番危険な場面は、四輪車との交通事故にあります。一般道でも高速道路でも、四輪車と事故を起こせば、殆どの場合はオートバイ側に非がある様に扱われます。一般的な四輪車ドライバーであれば「オートバイが悪い」と言っても不思議ではないでしょうが、取り調べを行なう警察官もオートバイ側に過失があるという先入観を払拭できないものです。

これは、公道上で四輪車を起こせば多くの人が体験する事で、実際、僕自身も数度体験していますが、相手側のドライバーや検証にあたる警察官だけでなく、救急車で運ばれた先の医療従事者にも同様の偏見や思い込みはあります。 だから、意識不明の期間が長かったり、不幸にして亡くなったりすれば、例えオートバイ側に殆ど過失が無かったとしても、過失の殆どがオートバイ側にあるかの様に現場調書(公式文書)が作成されたり、四輪車は全く無関係な自損事故として調べが完了してしまうのです。

「そんな時の為に ドライブレコーダーだ!」と、多くのライダーが装着しているのもそんな社会の “暗部” を避ける為ですが、決して万全な策だとは言えないでしょう。知恵が効く四輪車ドライバーであれば、何らかの事故を起こしてしまった後は、わざとレコーダーのメモリーを消去しますし、重体になって搬送されて、現場に残された破損したオートバイもどんな扱いを受けるか誰も保証してくれないからです。
一番大切な事は、オートバイに乗る事によって様々な偏見が生まれない社会へと変えていく事です。その為に、他車と事故を起こさない事は当然として、四輪車を含めて社会全般に対してオートバイを迷惑な存在に貶めない事です。それには、ライダー一人ひとりの自覚や他者への愛が求められます。

2020年、免田さんは 95歳で亡くなりました。
無罪が確定するまでの 34年余り、冤罪によって刑に服したのですが、解放された後も街を歩けば指をさされ、批難の電話が絶えない日々が続いた事がご家族の口から語られています。 自白強要を行なって死刑求刑を行なったのは 警察や検察など公務員ですが。彼らの行動を支持して、無罪確定後にも批難を行なったのは 社会の “暗部” である私達一般市民です。
僕は、常に公務員の公僕としての自覚や知識欠損には疑問を持っていますが、それ以上に、そんな彼らを支持し続ける社会全般への働きかけが常に必要だと考えています。

いつまでも、楽しく、安全なオートバイライフを過ごす為に、社会環境への働きかけを一人でも多く行なうライダーが誕生する事を強く願っています。



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