( これは、お盆前、梅田の街中で遭遇した事です )
その男性は、それなりの努力をしていたが、それは明らかに間違いだった。
大阪のビジネス街・梅田の交差点での出来事でした。
交差点の向こうには車が連なっていたのに、信号の変わり目に交差点に車で進入して来た彼。
信号が赤に変わってからも、少しでも前の車両に近づこうと、彼は少しずつ前進させたが、止まった所は横断歩道のド真ん中。
彼の車(国産の新車)は、最後の努力によって、完全に横断歩道を塞いでしまった。
そして、横断歩道の信号が変わり、歩行者が渡り始め、その歩行者の中に僕が居たのです。
【 彼は、若いサラリーマン(風) 】
夕方前の帰社の途中だろうか 。
歳の頃は、20代後半。 服装からして、サラリーマン。
髪型も整っていて、髭も綺麗に剃っていて、性格は温厚(風))か?
「 コン コン 」、歩道の真ん中を歩いてきた僕は、彼の運転席側の窓をノックした。
すると、車内で彼の右手がとっさに前に伸び、窓を下げる! と思った ・ ・ ・が、ドアをロックした。
仕方なく、僕は言う。
「 こんな所に止めたら迷惑だ! 」と、車内に届く様に大きめの声で。
すると、頭は進行方向を向いたまま動かさず、右手を耳の横に広げて寄せて、
「 え? 何でしょうか、 よく聞こえませんけど ・・ 」というポーズを返してきた。
単に道路交通法を破っている現行犯である以外に、歩行者にとっては迷惑な行為をしていながら、その行為と迷惑に対して真摯に向い合おうとしない人の態度です。
僕自身は、同様なケースに遭遇した場合、その行為の迷惑度や運転者の態度、そしてリスクを同時に判断しつつ、出来る限り 注意する様にしています。 が 、今回の様な例は初めてでした。
「 最近は、こうした若者が増えているのか! 」と、その瞬間には少し暗い気持ちに陥ってしまいましたが、時間が経ち思い返して、決してそうではない事に気付いたのです。
【 人との関わりを避ける人たち 】
他の人の迷惑を掛けても、「 ごめんなさい 」の一言も言わない人は多くいるのです。
明らかに、相手の人に迷惑を掛けた場面でも、相手の人を一切見ようとしないで立ち去ろうとする人達は少なくありません。
それも、決して平成生まれだけに限った話ではありません。年輩の昭和生まれであっても、自身が迷惑を掛けた事に対しても、一切関わろうとしない人は少なくないのです。
横断歩道を塞ぎ、ドアロックしたまま “聴くフリ”をした彼・特有の現象ではないのです。
ただ、人との関わり方の対処の仕方が変化してきているだけなのでしょう。
以前でしたら、特に男性に対してですが、他の人に注意する行為自体は、時には喧嘩沙汰にまで発展する事を覚悟しておくのが当たり前でした、
しかし、概ね30歳未満の男性の場合には、“ 無視する ”か“ 逃げる ”が増えてきている事を実際に体験しています。
注意しようとすると、「 変な人~~! 」等と大声を出しながら、梅田の地下街を走って逃げる 背広姿のサラリーマンに出会ったのも1度だけではありません。
逆に、60歳以上の男性の場合には、注意されると“逆切れ”して、大声で怒鳴る場面にも多く出会ってきました。
どちらにしても、他の人に迷惑を掛けて、それに対して詫びもせず、注意に対して素直に詫びの言葉も出せない人々によって育てられてきた世代ですから、自身が迷惑を掛けた相手に対して行なうべき行為が分からず、無視したり逃げても不思議ではありません。
【 僕は幸せです 】
周りを見回しても、他の人に席を譲る人は居ても、他の人の迷惑行為に対して注意を行なっている人は殆ど見かけません。
相手に感謝される行為は行なえても、相手から嫌われる行為は避けたいのが人情なのでしょう。
その為、目の前で“いじめ”があっても注意が出来ず、見て見ぬフリをする人達が育ち、自然と日常の中での面倒事からは目を逸らして生きるのが当たり前の様になっている人達が増えているのでしょう。
けれども、日常の中で、迷惑な事に対して注意をし続ける自分自身は幸せだと感じています。
というのも、毎日が練習であり未来への備えだからです。
人は誰でもが、目の前で起きた事に対して、とっさに適切な言動が取れる訳ではありません。大切な場面で、適切なタイミングで、より効果的な言葉や行動が行なわる訳ではないのです。
そして、その行為の有無が自身の未来に影響する事であれば、その場で適切な対応が行なえる事は大切な事です。
それを克服するには、日頃から身の廻りで発生している“迷惑な事”に対して、適切な対応を行なう“練習”が欠かせないのです。
いくら、見て見ぬフリをして避けて、その“うっぷん”をブログ(日記)などで晴らしても無駄な事です。
しかも、人は誰でもが歳をとるものです。
現状を改善する努力を行なわず、現状と向き合う能力を鍛えず、現状から予測される未来にさえ危惧を抱かず、歳をとって体力・気力が弱ってきてから、「 今の若い者は ・・ 」とか 「 今の時代は ・・・ 」と嘆くのは、間違っている以上に嘆かわしい行為にさえ感じられるのです。
自身の能力を鍛え、未来への対処を行なう行為が、他の人から奇異に映ろうとも、「背中から刺されるよ」と言われようと、日一日を生きている実感に包まれています。
勿論、嫌な想い出は沢山ありますが 、そういう道を歩むからこそ、素敵な人々(男女を問わず)と出会える機会があるのだと信じています。