蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

『パームワイン・ミュージック・オヴ・ガーナ』

2017-08-27 | 音楽

不案内な音楽について書くのは、ほめるにせよケナすにせよ無責任な放言になりやすいので控えているのだが、このアルバムだけは、採り上げないと重大な過失になるような気がするから採り上げます。

パッケージの作り、デザイン、解説の内容、いずれをとっても気合の入り方が半端じゃない。異様な、といってもいいほど凄いオーラを放っている。こんなアルバム、ここ10何年か出会った記憶がない。

どこが凄いって、解説によると全50曲のうちこれまでにCD化されたのはたった1曲だけ。その1曲も含めて、全トラックがオリジナルの78回転ないしLPからの復刻だというんだから。

しかも全部、深沢美樹氏の個人コレクションだというんだから。

オレなんか、50~60年代の洋楽LPという比較的に入手しやすいアイテムをeBayで漁るだけののらくらコレクターにすぎないが、それでも本当に欲しいレコードを手に入れるには、相当しんどい思いをする。

第2次大戦前のアフリカ・プレスの78回転盤なんて、世界中にいくらも残ってるわけないレコードを集めようとしたら、どれほどしんどいことか。

その超レアなレコードをこれだけ大量に入手するために費やされた労力と時間とカネと根気は、想像するだけで気が遠くなる。伊達や酔狂では、こんなこと出来ない。超人的情熱と愛情がなければ無理。

ここに収録された音源の背後には、何十倍もの捨て石があったはずだ。レコードでも本でも、捨て石を掴むことを厭っていたら本物の宝石は掴めない。

あ、やたら数だけ買い込んで、持ってる持ってると自慢したがるバカも世の中にはいるけどね、数をこなせばいいってもんでもない。確かな鑑識眼がないと、50もの宝石を揃えることは出来ません。

いずも一時代を画した名演らしいが、オレはどちらかといえばファンク感覚の入ってくる以前、特に第2次大戦前の伸びやかで奔放な演奏に惹かれた。門外漢の感想だけど。

その戦前の古い78回転盤の音がビロードのように暖かくなめらかなので、またビックリする。大手レーベルの復刻盤のような、ギスギス尖った感じが全然しない。おそらく復刻の作業にも想像を超える細かな配慮と労力が払われたのだろう。

ともあれ、丁寧な解説からも美しい装丁からも精妙な音質からも、制作側の意欲がビンビン伝わってきます。その辺のCDとは根本的にレベルが異なり、一品限りの工芸品に近い。

ところで、東京五輪音頭2020版が海外で好評で、動画の再生回数が100万を超したんだってね。結構なことだ。

しかし、半世紀前のテーマソングを使い回すとは、あんまり芸がないのと違うかねえ。

大体あれは、戦後ダメになった古賀政男がどれぐらいダメになったかを立証するような曲で、半世紀前のヒットは故・三波春夫の鍛え抜いた喉と圧倒的な歌唱力がなければありえなかった。ダメな曲も上手い人が歌うといい曲に聞こえる典型例だ。

石川さゆりや加山雄三が歌った新版をユーチューブで再生すると、自動的に三波春夫の旧版が関連曲として出てくるから容易に比較できてしまう。新版の歌唱の貧しさが気の毒なぐらいバレている。歌い手の力量による質的補充がないから曲の貧しさもボロ見え。

この際、テーマソングも新鮮な感覚の若手に書かせるべきだったんじゃないかね。どうせ五輪じゃ、さんざん税金の無駄遣いやってるんだから。
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またもやアマリア・ロドリゲス

2017-06-14 | 音楽
"Fado and Flamenco" Columbia 33CS14
10年あまり前に故・中村とうよう氏のお宅に伺ったら、この10インチLPを大事そうに、かつ少々自慢そうに見せてくれた。それも道理、アマリアのファースト・アルバムである。

といっても、シングルや78回転盤用の録音を英コロンビアが寄せ集めてアルバムに仕立てただけだが、彼女の初LPであることには間違いない。コレクターのマスト・アイテムなワケです。

でもそう言っちゃナンだが、とうようさんが持っておられたのは地色が赤の米Angel盤。オレが手に入れたのは英コロンビア盤。ジャケットも違えば音質も違う。

とうようさんが音出ししてくれたとき、オレは思わず、あれっ、ピッチ高くないですか、と言ってしまった。米盤はそのくらいハイ上がりのキンキン耳障りな音質だった。

米盤LP、特にエンジェル盤は1970年代にはリバーブを乱用して、味の素をむやみにブチ込む新米主婦の料理みたいな甘ったるい音質になるが、ロック全盛の50~60年代には高音のキツい尖った音質がトレンドだったらしい。下記のKAPP盤も同様の音質だ。英盤は高低のバランスが取れてるし、細かい響きがはるかに多い。

ところで、50年代末になると10インチLPが不人気になり、英コロンビアはこのアルバムに4曲追加して12インチ盤で出し直す。オレはそっちの方を前から持っていて、だから10インチ盤の方はいいかなとか思っていた。

それが最近、たったの99ペンス(≒140円)でeBayに出たので、ダメもとで入札しておいたら競争者が現れず、元値で落札できてしまった。コレクターとしては、やっぱりオリジナルを持っていたいワケです。

届いた現物は文字どおりのNMでレコードはツヤツヤ、ジャケットはピカピカ。なんか、出品者に申し訳ないみたいな。

こういう幸運があるので、オークションはやめられない。

"Self Title" Ducretet Thomson DLD45028

アマリアがデュクレテ・トムソンで録音した3枚目で最後のアルバム。回想録の巻末ディスコグラフィにAlvorada盤と誤記されているレコードである。

デュクレテはアマリアのLPに統一ジャケットを使っていたようで、先にご紹介した第1弾(日本ディスク盤)と地色違いで同じ写真、同じデザインを使っている。

ポルトガル・プレスだが、マスターは多分フランス・カッティング。第1弾の日本盤より音にしっかりした芯があり、低音がぐんと安定している。それと、CD未復刻の曲が3枚の中で一番多い。

"Self Title" KAPP KL-1096
2枚目のデュクレテ・アルバムに4曲追加して12インチ盤に仕立てたアメリカ盤。シャルル・アズナヴールがアマリアのために書いた "Aïe mourir pour toi" や "Paris s'éveille la nuit" など、フランス語の歌を何曲か歌っている。

手に入れるならフランス盤か、せめてポルトガル盤を、と思っていたのだが、いつまで待ってもeBayに出る気配がない。しびれを切らしてアメリカ盤を買ってしまった。

未開封未通針の触れ込みに惹かれたのもあるが、やっぱアメリカ盤はあきません。細かなチリプツ・ノイズこそないが、時折ガチンプツンと大音響の突発的ノイズが出る。盤の素材に不純物が混じっているか、プレスの際の剥離剤が凝固したのだろう。こういうノイズはホコリが原因じゃないから、クリーニングしても消えない。

ジャケットのポートレートは昔『ブスト』の日本盤LPに使われたものと同じ。発色と質感は断然こっちの方がいい。アメリカ盤て、レコード本体は手抜きだが、ジャケットにはふんだんにカネ掛けてたんだよな。中身より外見で商売していたことが見え見えだね。

ともあれ、これでなんとかアマリアのデュクレテ録音がすべて揃いました。一安心。

"Amália canta Portugal III" Columbia 062 40255

このあいだ発売されたライス盤の3枚組CDが、聴いてるのが苦痛なほどの犯罪的極悪音質だったので、eBayを引っかき回して手に入れたレコード。

12インチで各面15分前後の長さだから収録に余裕があり、凄いハイレベルでカッティングされている。言うまでもないが、CDとは次元の異なる生々しい歌だ。アマリアの声は充分カン高いのだが、それが迫力にはなっても喧しさにはつながらない。

アナログ録音の復刻CDでも、音より音楽を大切にした例がないわけじゃないが、大体が音楽殺しのノイズ潰しに血道を上げている。だからレコード集めはやめられない。
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LPで聴くノローニャ

2017-05-22 | 音楽

知らなかったなあ、アメリカでノローニャのレコードが出ていたとは。こんな地味な、エレガントな歌手が。エルヴィス・プレスリーのアメリカで。50年代にアマリア・ロドリゲスが世界的な人気を博していたから、そのおこぼれで出たんだろうか。

カッティングとプレスは英Deccaだから、イギリスで出したついでにアメリカでも売り出したのかも知れない。いずれにせよ発売部数は極少だったろうから、それがeBayに出るなんて奇蹟だ。

マリアテレーザ・デ・ノローニャは、故・中村とうようさんに教えてもらった中で最高に魅せられた歌手だ。だが、教えられたときにはすでにLP時代はとっくに終わっていたから、オレはCD(と、音の貧弱な4曲入りEP)でしか聴いたことがなかった。あのギスギス音の険しいポルトガル製CDです。

その彼女の歌がLPのウォーム・トーンで聴ける。これを落札しないでどうする。

トラックリストは、ほとんどが1960年前後に録音された曲だ。かつてポルトガルで出たCDボックスセットの2枚目の前半部分に当たる。屈指の名演「ファド・アナディア」が収録されているのがうれしい。この曲、ノローニャの歌もさることなから、ギタルラのラウール・ネリーがスイングして遊んじゃってるのが楽しいんだよね。

ノローニャのコンピレーションに必ず入っている「捨てられたバラ」が、ここにも入っている。代表的なヒットなんだろうな。しかし彼女の録音、ノローニャの最高の名演でもなければ、この曲の最高の表現でもないと思うんだよね。この曲はやっぱり、初演者エルミニア・シルヴァのものだ。ノローニャの歌は強弱のメリハリが行き過ぎていて、歌に自然な流れがない。

このLP、eBayの商品説明ではVGグレードで、しかもメチャ安の値付けだった。なので、どうせ悲惨な状態だろうと覚悟の上で落札したのだが、実物を見ると意外にもキズなし汚れなし。ノイズもごく少ない。どうなっているのだ。

ただし、音質は期待外れ。中高音域に強調感があり、Sの子音がシュルシュル耳につく。ノローニャの声が甲高くなりすぎる。クラシック・レコードでは音質の良さで有名なデッカだが、自社録音じゃないので限界があったのか。
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ポリドールのブラッサンス

2017-05-17 | 音楽

ブラッサンスのレコードがデビューから数年のあいだポリドール・レーベルで発売されていたことは、記録として知ってはいたが、現物を見るのは初めてだ。これまで手に入ったのは、フィリップス盤だけだった。

といっても、ブラッサンスがレーベル移籍したわけじゃないよ。

フランスのフィリップス・レコードはオランダ・フィリップスとドイツ・ジーメンスの合弁会社だったから、50年代半ばまではPhilipsとPolydorの両レーベルを発売していた。ジャクリーヌ・フランソワなんかも代表曲の「マドモワゼル・ド・パリ」はじめ、初期の録音はポリドール・レーベルだったはずだ。

二つの親会社はやがて提携を解消し、ジーメンスは社名にポリドールを冠した別会社を設立。フィリップスはポリドール・レーベルを使えなくなった。ブラッサンスの初期3アルバムはいったん廃盤になり、フィリップス・レーベルで再発売された。

つまりポリドール・レーベルのブラッサンスは、初回発売盤であることの証しなのだ。

ところがこのポリドール盤、発売部数が少なかったのか、これまで見かけたことがない。以前、フランスで中古レコード店巡りをしていたころにも見なかったし、eBayを漁るようになってからも見たことがなかった。

それがつい最近、なぜかアメリカからeBayに出品されたんですよね。しかも、万単位の値がつけられてもおかしくないのに(日本プレスの10インチに800ドルというアホな値段がついてる)20ドルで即決。迷わず落札した。出品者はミネアポリスの雑貨屋の小母さんだが、価値を知らなかったんじゃないかなあ。

ともあれ、届いたレコードを掛けてみると、しっかり芯があって輪郭が明快なのに少しもやかましくならず、目の前で歌っているように生々しいヴォーカル、ずっしり安定感のあるベース、スッと空気を突き抜けるような澄んだギター。初期プレスでしか聴けない採れたての音である。うっとり。

それにしても、レコードのレーベルって奇々怪々だね。iPhoneがサムスンのブランドになりGalaxyがアップルのブランドになるような、ほかじゃありえないことがワリと普通に起きる。フランスColumbiaはLP時代、EMIのレーベルだったが、90年代にはソニーのレーベルになっていた。いまは、どこが使ってるんだか。
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『エネミー・オブ・アメリカ』

2017-05-05 | 音楽
という映画をNHK-BSでやっていたから、観た。いつもの大味なハリウッド・アクションかと思ったら、なかなか示唆的で面白い。

何が面白いって、NSA(アメリカ国家安全保障局)という実在の情報機関を、あたかも悪の巣窟のように描いている。盗聴器やら望遠カメラやらGPSやらを駆使して一般市民の電話も会話も盗聴し、あらゆる行動を密かに監視していることを暴き立てる。

で当然、こりゃエドワード・スノーデンの告発に触発された映画なんだろうなと思ったら、驚いたことに1998年の作品だった。告発の15年も前じゃん。

NSAの存在も活動も、その危険性も、一般にはまだそれほど認識されていなかった時代に、近づくとヤバそうなこの秘密組織の内幕を、商業映画がアクションのネタにしたことが面白い。NSAが悪事を働く理由が個人の自由を制限する法律を成立させるため、てことになってるのがまた面白い。

エンタメの体裁を採りながら、公権力の横暴を許したら市民の人権がどれだけ侵害されるかを、これでもかってぐらい克明に具体的に描き出す。

『エネミー〜』は別に正面切った権力批判映画なんかでは全然ないが、底流にはハリウッド・リベラルの気骨が見える。たとえて言うなら、安保法制や共謀罪に反対するメディアに官邸が密かに圧力を掛ける、なんて内容の映画を松竹か東宝が作ったようなものだ。ありえない。

この映画を憲法記念日の翌日、共謀罪の審議中にNHKが放送したのは、偶然? もし意図的だったなら、少しは見直すんだけど。
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