蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

『シャンソン拾遺集』

2019-11-21 | 音楽

中村とうよう氏亡きあとワールド・ミュージック界を牽引するエル・スール店主、原田尊志氏に、シャンソンのコンピレーションを作ってみないかとのお話をいただいたのが、この1月。いまさらシャンソンかよ、といささか気後れ気味だったのだが、エル・スール常連の "校長先生" ことA氏の、オマエの選曲でディープなシャンソンを聴かせろ、との一言にドンと背中を押されてボチボチ選曲を始め、このたび掲載のアルバムに結実しました。

原田さんに提示された条件はただ一つ、「ありきたりの曲は入れるなよ」。

なので、埋もれた名歌、知られざる名人を発掘すべく手持ちのレコードを片っ端から聴きまくったら、いや自分でも驚いてしまった。シャンソンて、音楽的には貧弱な曲ばかりかと思ったら、けっこうチャーミングなメロディがあるんだよね。

で、選曲した25曲中、9曲までは日本初紹介。残りの16曲も、かつてレコードが発売されたことはあったけれどもほとんど話題にならなかった曲ばかり、という編成になった。有名曲、有名歌手を意識的に避けたからでもあるが、どちらかというと、メロディのいい曲を選んでいったら結果的にこうなった、という方が正しい。

成り行き任せみたいな書き方をしているが、実のところ、現世の置き土産もしくは冥土の手土産のつもりで選曲にはかなり入れ込みました。

ちなみに、フランス人が選曲したら、こんな結果には絶対にならない。彼らが選曲の基準にするのはまず歌詞で、音楽は二の次だからだ。なので、こんなシャンソンのコンピレは今まで1枚もありません。

このアルバムは、音楽を愛し、音楽の喜びをよく知っている人たちにこそ聴いていただきたいと思う。シャンソンなんて辛気くさいばっかりで、音楽にはあんまり明るくない人が文化的アクセサリーとしてたまに聴くアイテムだろ、とか考えてないですか? きっと認識を改めてもらえると思いますよ。

特筆大書しておきたいのは、森田潤氏によるマスタリングの目が覚めるような音。まるで生身のグレコやブラッサンスが目の前に立ち現れて歌っているような、彼らの吐息や体温まで錯覚するほど生々しい音質にオレは言葉を失ってしまった。CDでこんなに温かく豊かな声の響きは、滅多に聴いた記憶がない。

12月8日発売予定だが、その前に発売記念パーティが渋谷Li-Poで開かれます。12月1日午後6時オープン。エル・スール主催のパーティは常に立錐の余地もない満員になるので、予約しといた方がいいと思いますよ。

   『シャンソン拾遺集』Chansons de la France profonde
   01 パナム/ジュリエット・グレコ
   02 哀れなリュトブフ/ジェルメーヌ・モンテロ
   03 サン・ジャック街/ジェルメーヌ・モンテロ
   04 お前は誰にも似ていない/フランシス・ルマルク
   05 ママン・パパ/パタシュー&ジョルジュ・ブラッサンス
   06 踊り場タンポレル/パタシュー
   07 ぐれた男/ジョルジュ・ブラッサンス
   08 赤いポスター/モニック・モレリ
   09 人生は過ぎ行く/ピア・コロンボ
   10 広場で/バルバラ
   11 チュイルリー/コレット・マニー
   12 マリア/ジャン・フェラ
   13 ムッシュー・ウィリアム/カトリーヌ・ソヴァージュ
   14 オルガ/ジュリエット・グレコ
   15 死刑囚/エレーヌ・マルタン
   16 君がいなければ/ジャン・フェラ
   17 ゾン・ゾン・ゾン/ミシェール・アルノー
   18 針仕事に精をお出し/リーヌ・ルノー
   19 誇り高き人々/リュシエンヌ・ドリール
   20 悲しい別れ/マルジャンヌ
   21 君を待つ/シャルル・アズナヴール
   22 秋の歌/ジャクリーヌ・フランソワ
   23 ブルーゼット/ジャクリーヌ・フランソワ
   24 詩人の家/ギレーヌ・ギー
   25 浜辺のピアノ/シャルル・トレネ
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『アーリー・コンゴ・ミュージック1946-1962』

2019-07-15 | 音楽

バブル景気が頂点に達した1980年代末、日本を席巻した音楽はワールド・ミュージックだった。そのワールド・ミュージックの中心を担ったのが、セネガルのンバラやアルジェリアのライ、スペイン/フランスのルンバ・フラメンカなどとと並んで、コンゴのリンガラ・ミュージック、ルンバ・コンゴレーズだった。シンセをマリンバ風に鳴らす軽快で愛くるしいサウンドが、いまも耳に残っている。

『アーリー・コンゴ・ミュージック1946-1962』は、ルンバ・コンゴレーズ(だけじゃないけど)の成立過程を当時のオリジナル音源でたどった超貴重なアルバムだ。一昨年、同じEl Surレーベルから発売された奇蹟の2枚組『パームワイン・ミュージック・オヴ・ガーナ』と同じく、この分野の碩学、深沢美樹氏の労作である。

オレは彼と違ってこの方面にはまるで不案内だが、学術的・資料的関心を除外しても演奏自体にエンタメとしての力があるので、2枚2時間半のリスニングに退屈はしなかった。中にはアフリカン・マンボと呼びたいスタイルの演奏や「オブラディ・オブラダ」の母型じゃないかと思いたくなる曲もあって、なかなか楽しい。『パームワイン』同様、古い録音にもかかわらず歪みもノイズも極少のマスタリングに驚嘆する。

懇切丁寧な解説も相変わらず。いろいろと教えられるところが大きい。もっともCDジャケット・サイズのブックレットに6ポ大の活字でビッシリてのは、オレみたいなトシ寄りには拷問だけどね(笑)。

ワールド・ミュージックが下火になって、はや四半世紀。思えばあれは、平和を象徴する音楽だったよな。冷戦構造の崩壊とともに興隆し、湾岸戦争の勃発をきっかけに衰退が始まった。1991年から数年間、横浜で開かれたウォーマッドは、文字どおり平和のフェスティバルだった。本質的に異民族間のせめぎ合いであるオリンピックと対照的に、異文化が歩み寄り、調和を図るイベントだった。

トランプが世界中で分断と対立をあおってる現状では、ワールド・ミュージックの再興も夢だろうなあ。
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マスター焼失

2019-06-15 | 音楽
ロスのユニバーサル・スタジオの火事で約50万曲のマスター・テープが焼失し、保管責任を果たしてなかったというので該当ミュージシャンがユニバーサルを告訴する騒ぎになっている。50万曲とは、確かに驚くべき数だ。貴重な文化遺産が失われた点で、バーミヤンの磨崖仏破壊に匹敵する悲劇だ……と言いたいところだが、ちょっと待てよ。

デジタル化してあるから問題ない、とのユニバーサルの言い分を一方的に支持するワケじゃないが、本当に50万曲のすべてが火事で焼失したのだろうか。こんなに膨大な数のテープが、一度の火事で焼けてしまうかね。

デジタル録音が開発される以前、主に1/4インチ幅の磁気テープを録音メディアに使っていたレコード会社は、マスター・テープの保管場所に頭を痛めていた。LP1枚分だけでも直径25cm、リール込みで厚み1cmほどのテープが2巻。それが毎月毎月、何十巻も溜まり続ける。

場所塞ぎだからと社外で保管すれば、莫大な倉庫代が掛かる上に海賊盤を作られる怖れがある。かといって、会社の経営を回すためには毎月新譜を出さざるを得ない。

そこへ70年代後半、音源をデータ化して小さなテープやハードディスクに保管できるデジタル録音が実用化され、レコード各社は救いの神と飛びついた。磁気テープ上の音楽信号が次々デジタル・メディアにトランスファーされ、オリジナル・テープは破棄された。70年代に一世を風靡したピンク・レディーでさえ、現在アナログ・マスターは1巻も残っていないそうだ。

もっとも、これには場所代の節約だけではなく、さらなる音質劣化防止の意味もある。アナログ・テープは酸化鉄の磁性という不安定の代名詞みたいな代物で信号を記録しているから、構造的に経時劣化を避けられない。テープ・マスターは録音した瞬間から音質劣化が始まり、適切な防止措置を講じないと数十年後には超高音やホールトーンなどの微小信号が失われ、ノイズばかりが増えて使い物にならなくなる。

デジタルだと、録音直後のアナログには劣るが、信号がすべて数値化されるので劣化の進行が止められる。

ユニバーサルの「焼失した」50万曲も、多くは火事の前に既にアナログ・テープは失われていたのではなかろうか。アーティストの許諾を取らずにデジタル・メディアにトランスファーし、オリジナルを破棄していたなら問題ではあるが、会社側の処置としては無理からぬ面もあるように思える。

このニュースで最もショッキングだったのは、ビリー・ホリデイのほぼ全録音が焼失したと報じられたことだ。だが考えてみると、ホリデイやルイ・アームストロングの録音はほとんどがワックスに音を記録する78回転だ。焼失したテープも、多くはメタル原盤やSPレコードからダビングで作成されたものだったんじゃないかね。

ギリシャのレンベーティカなどと違って、アメリカの古い録音はオリジナルのSPが現在も結構残っているようだし、火災に遭ったからと言って、そう悲観したものでもあるまいと考えては呑気すぎる?
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『ラ・ジョコンダ』

2017-11-12 | 音楽

イタリア・オペラの大衆性を象徴するような1編である。実験精神は皆無だが、サービス精神は満点。ダイナミックなアンサンブルにメロディアスなアリアにドラマティックなフィナーレに華麗なバレー・ナンバーに、オペラのありとあらゆる魅力をこれでもかとブチ込んである。

ソーダにアイスを浮かべて生クリームを掛け、フルーツとチョコレートをビッシリ詰め込んだサンデーみたい。

何度も聴くと胃がもたれるが、ぼんやり聞き流している分には悪くない。

写真は、録音直後の1966年にキングが英デッカ・カッティングの輸入メタル原盤でプレスしたレコード。したがって、音の良さは折り紙付きであります。ヤフオクで1000円にも満たない値段で売っていた。

実は昔、イギリス・プレスの初期盤で持っていたレコードでもある。随分前に売り払ってしまったが、久しぶりに聴いてみて、なつかし〜〜〜い.......ことはなくて、なんでロクに聴かずに売り払ったか、ワケを思い出しましたよ。ぜーんぜん面白くない。

これ、60年代初めにスランプに陥ったテバルディが数年間休養し、ヴォイス・トレーニングをやり直して復帰してから初めて録音した全曲盤だった(その前にリサイタル盤を録音している)。

往年の声を取り戻したディーヴァが、初めて果敢な声の芝居をしたということでも話題になった。このソプラノはカラスと対照的に、もっぱら声の美しさで勝負して演技はしないことで有名な歌手だった。

しかし、芝居をすることと、その芝居がうまいか否かは、いうまでもないが別問題である。確かにテバルディは懸命に演技してるが、その表情がなんとも大まかで粗っぽくて、田舎芝居というしかない。

第2幕フィナーレでヒロインは恋敵を窮地に陥れるが、彼女の取り出したロザリオを見て、恋敵が実は母親の命の恩人だったことを知る。その時のフレーズ "Che! Quel rosario!" をテバルディは「ケーッ! クエル・ロザーリオ」と絶叫する。いくらなんでも大げさだ。

この人はまた、五線の下の低音を出すと中音以上の「天使の声」と打って変わって、男みたいに野太い無表情な響きになる。共演のメゾ、マリリン・ホーンがまた輪を掛けて野卑な低音を出す歌手なので、二人の重唱はあたかも男性的女性もしくは女性的男性がいがみ合ってるがごときだ。

そんなレコードを、なんでワザワザ採り上げるんだ? なんでだろうね。

ただまあ、人気アリア「空と海」をベルゴンツィが他のどんなテノールよりも見事に歌ってるというメリットはある。

それと、60年代の日本製LPの、まあ贅沢なこと。ボックスにもブックレットにも、海外盤や70年代以降のレコードではありえないほどカネを掛けている。当時の物価水準では、相当に高価な商品ではあったんだろうけど。
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電蓄の音

2017-10-10 | 音楽

恒例のフェアで、思いっきりとんがった面白いスピーカーを見かけた。横幅が2メートルもあろうかという巨大なホーン・スピーカー。ドライバーを1個、使用しているだけでツイーターもなく、現在主流のワイドレンジ・スピーカーとは真逆を行く設計だ。

で、出てくる音は当然、ナロー・レンジ。すっきり伸びきって遙かな天上に吸い込まれていくような弦の高音などは聴きたくても聴けない。

ところがその狭いレンジで再生されるヴォーカルが、なんとも温かくて密度が濃くて輪郭が明快で、もうふるいつきたくなるぐらい魅力的なんだよね。

デモの再生音源にはオレの大嫌いなCDを使用していたが、CDのあのギスギス険しい響きが和らいで、ナット・キング・コールなんか文字どおりのベルベット・ヴォイスだった。

体験に基づいて言うと、ワイド・レンジのスピーカーは概して中音域の響きが薄い。だからオーケストラの再生にはいいが、ヴォーカルはどことなく存在感が希薄になる。それと正反対の音色のスピーカーだ。

いわば50年代の電蓄の音、復活。ハイスペックの最新型スピーカーでカラスやエディット・ピアフを聴いても録音の不備ばかり目立ってしまうが、こういうスピーカーだと古い録音が生き生きよみがえる。歌に血が通う。

しかし、スペックからも音質からもコストからも(ホーンとドライバーで計300万近いとか)巨大なサイズからも、こんなスピーカーの商品化はありえないだろな。出展者のオッサン、商売しに来たんじゃない、自慢しに来たんだとうそぶいていたそうな。

オーディオは、こうじゃないとね。オーディオの良し悪しは結局、個人的主観なんだから。

真空管オーディオ・フェアは、都心のイベントホールで開催される大規模なフェアと違って、愛好家の個人的趣味が色濃く反映されるイベントである。そこに独自の魅力があるのだが、この特異なスピーカーのおかげで今年は特に楽しませてもらいました。

話変わって、猿之助がセリに衣装を取られて骨折。当人は元気そうで何よりだが、半世紀以上の昔に宝塚で起きた惨劇を思い出す。

なんという名前だったか、娘役の女優がステージにせり上がる途中か降りる途中、大きく開いた落下傘型のスカートのワイヤが機械に引っ掛かり、徐々に彼女の胴体を締め上げ、ついには上下真っ二つに切断した。無論、彼女は死亡した。

あんな事故があったのだから安全対策は強化されているはずだが、それでもまだ個人の用心に委ねられている部分が結構あるんだね。もっとも、演劇界ではあれが唯一の死亡事故だそうだが。
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