蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

マニア気質

2015-09-21 | 音楽
ドナルド・キーンさんがテレビで小澤征爾と音楽談義をやっていた(20日夜、BS-TBS)。

この人、名うてのオペラ好きである。司会の檀ふみが水を向けた途端、「16歳でメトロポリタン歌劇場の会員になりました」「フラグスタートも聴きました」「キブニスも聴きました」と、顔を真っ赤にして大興奮。少々滑舌の落ちた舌ももどかしげに早口でしゃべりまくる。

わっかるなあ。マニアとは、そういうもんだよ。好きな音楽、好きな歌手のことになると我を忘れる。体の中から突き上げてくる衝動にコントロールが聴かなくなる。90過ぎて、その熱さがまぶしい。

しかし、あんまり早口で、スタッフはよく聞き取れなかったらしい。『ファルスタッフ』『ワルキューレ』などと、トンチンカンなタイトルをテロップに出していた。

無理もないよ。いまテレビ局の現場にいるスタッフは20代からせいぜい40代。キルステン・フラグスタートとかアレクサンダー・キプニスとか、彼らが生まれる前に死んだ名歌手の名前を知らなくて当然だ。知らない名前なら聞き取れないのもやむを得ないだろう。オレが聞き取れたのは、知っていたからだ。

マリア・カラスも、いずれはそんな存在になっていくのかな。いまのところはリマスタ盤全集が出たりして、まだ社会的知名度を保っているみたいだが。

カラスといえば、最近ちょっとラッキーなことがありました。

ステレオ再録音の『トスカ』イギリス盤が、わずか3.99ドルでeBayに出ていたのね。ボックス・デザインは明らかに1965年の初版もの。このレコード、70年代に出たリカッティング盤は持ってるんだけど、LPはやはり初版に限る。

とはいえ、あんまり好きな作品じゃないし、カラスもこれを録音したころは衰えが目立っていい出来じゃないし、廉く落札できればめっけもの、ぐらいのつもりで入札しておいた。まったくアテにしていなかった。カラスのレコードは、入札締め切り間際に価格がロケット式に跳ね上がるのが常だから。

ところがなぜか、競争者が一人も現れなかったんだよね。スタート値段の3.99ドルで落札できてしまった。

それでも商品紹介に "vinyl NM, box EX"とあったので、まだ期待は持てなかった。EXてのは excellent の略だが、eBay用語では「すばらしい」ではなく「NM(新品同様)では全然ない」という意味である。

つまり、どれだけ埃まみれ、キズだらけ、汚れ放題でも新品同様じゃないんだから文句言っちゃいけないよ、という意味。

本当にビックリしたのは現物が手元に届いてからだ。EXのはずのボックスが、ちっとも汚れていないではないか。背文字がわずかにくすんでいる程度。中身のレコードは無論、2枚ともピッカピカ。再生しても、ほとんどノイズが出ない。

こんな幸運も、まれにあるんだね。当たるも八卦、当たらぬも八卦。オークションの醍醐味を再認識した次第です。

「このレコードは、ステレオ対応のカートリッジを使えばモノラル再生装置でも使用できます」云々の注意書き(英文)が、ボックスの内側に貼ってあるのもいかにも昭和、じゃなかった、60年代の香りでうれしい。
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iPhono

2015-07-23 | 音楽
をキーワードにアマゾンで検索すると、「もしかしてiPhone」と訊かれる。違うんだよねえ。スマホではなく、イギリス渡来のフォノイコライザー(って何だ? グーグル検索してください)。


この製品、並の価格なのに珍しくもイコライザー・カーブを変更できる。無論、EMTの目の玉が飛び出るプロ用プリアンプみたいに種々のレコードに合わせてピンポイントの調整ができるわけじゃないが、3種のカーブが選べるだけでもLPを聴く上で大きな福音だ。

LPは普通、高音と低音の補正にRIAAカーブなるものを適用する(この辺りも分かりにくかったらグーグルとウィキペディアで調べてね)。補正値がメーカーごとにバラバラだとユーザーが迷惑するから、1950年代半ばに米レコード協会が定めた規格だ。以後、オーディオメーカーはアンプのイコライザーをRIAAで一本化するようになった。

ところが、肝心のレコードをRIAAでイコライジングしていたのはアメリカと日本ぐらいで、ヨーロッパでは1980年まで、高音の補正量がRIAAより少ないDeccaカーブが主流だったらしい。てことは、1948年に始まり80年代半ばにCDにバトンタッチしたLPの歴史のほとんどじゃん。

ヨーロッパは日本と違って、アメリカの決めたことにすぐには従わない。

どうりで、50年代にプレスされたマリア・カラスの英コロンビア盤がしばしばキーキー甲高く聞こえてたわけだよ。RIAA一本槍のアンプだと、再生音が高音過剰になってしまうから。

で、Deccaカーブを使ってカラスを聴いてみる。なるほど、声が大分落ち着いて陰影が濃くなった。

iPhonoはさらに、カートリッジの負荷抵抗値も変更できる。これは他のアンプでもできるが、100Ωと47kΩだけとか大雑把な上に、100Ω以下はノイズが多くて使い物にならなかった。iPhonoはマイクロスイッチの組み合わせで8種類の設定ができて、SN比もいい。

カートリッジは負荷抵抗値が大きいほど高音が強くなり、少ないほど低音が豊かになる。したがって、レコードを制作者の意図どおりの高低バランスで再生しようと思えば、負荷抵抗も各カートリッジの適正値に合わせる必要があるわけです。アナログって、メンドくさいね。

オレの使ってるオルトフォンの推奨値は10Ωだが、さすがにそんな低い設定は無理なのでiPhonoで可能な最低値の22Ωにしてみる。すると、おおーっ! カラスの声からあの険しいカドが消えて、温かな潤いに富んだシルキー・ヴォイスに一変したではないか。硬いこわばりが取れたので、彼女が歌に載せた表情がよりよく聴き取れる。そうか、カラスがナマで聞かせていたのは、こういう歌だったのか。

CDのカラスはぜーんぶ本物ではないが、負荷抵抗の不適切なカートリッジで再生されたLPのカラスも本物ではない。負荷抵抗値の調整機能は、イコライザー・カーブのそれ以上に御利益大だった。

iPhonoなるちっぽけな機器、代理店の態度が悪いので(問い合わせを送ってもナシのつぶて)あまり持ち上げたくないのだが、使いでは結構ある。

しかし英国って、病的な老害国のイメージが強かったが、最近はなんか往年の日本のお株を奪ったみたいに元気だね。独創的なデザインと機能のダイソンとか。
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ハイレゾ・カラス

2014-10-27 | 音楽
e-Onkyoを覗いてみたら、カラス主演のオペラが何種類かアップされていた。残念ながらDSDではなく、24bit/96KHzのPCM。でもCDよりはマシでしょう。

取りあえず『トロヴァトーレ』全曲をダウンロード。Macだと一括DLができなくて、50何回もクリックしなきゃなんなかった。同じファイルを2度クリックしたり、必要なファイルをスキップしてしまったり。なんとかしてくれよ。

ともあれ、USB-DACで再生してみる。うっわあ、いい音。歪みほとんどなし。ノイズ勿論なし。弦はのびのび、カラスの声も円やかに艶やかにスルスル。いままでeBayその他で、ない袖振って初期プレスLPを競り落としていた苦労は、なんだったのだ。

ひとしきり狂喜乱舞、かつ地団駄。そして我に返った。待てよ。これって、キレイすぎない? カラスの声、こんなにクセがなかった?

むくむく頭をもたげる疑念のままにLPを取り出し、聴き比べる。やっぱり違う。LPのカラスには体温がある。体臭がある。ツバが飛んでくる。ツメで引っ掻かれそうだ。

それに対してハイレゾ音源のカラスは、なんか洗濯されてしまったみたいなんだよね。ツルツルしている。一点の曇りもないガラスの向こうで行儀よく歌っている。キレイで安全で、手が届かない。

これ、ノイズ削減のせいじゃないかな。レコード会社は50~60年代の古い音源をCDにトランスファーするとき、必ずノイズ・フィルターを通してアナログ録音の宿命だったヒスノイズをカットする。これが曲者で、ノイズと一緒に音楽の微妙なニュアンスを削り落としてしまうのだ。

いまのノイズ・フィルターは性能が飛躍的に向上したから音楽信号を損なうことはほとんどない、と下記Completeの付属ブックレットに書いてあるが、ダメージはゼロじゃない。そのほんのわずかなダメージを、人間の耳はとらえてしまう。

ふと思いついて、Completeから同じ全曲盤のCDをリッピングしてハイレゾ版と聴き比べてみた。条件を揃えるため、24bit/96KHzにアップコンバートして再生。

なんや、大して変わらんやんけ。

いや、よく聴けばCDの方が声の響きが尖ってるし、弦のピアニッシモとかホールエコーとかの微細信号が少ないことが分かる。でも、目くじら立てるほどの差ではない。

ハイレゾとCDの距離は、LPとハイレゾの距離よりずっと近い。ま、ハイレゾもこれはこれで悪い音じゃないから、DLして後悔はないけどね。

で、さっきからcomplete, completeといってるのは、海外のワーナーから先月発売された "Callas Remasterd: Complete Studio Recordings" のことです。旧EMIの時代にも似たような全集セットが出ていたが、今度はオリジナル・テープからマスタリングをやり直したんだと。

なるほど、CD同士の比較では大半が過去に出たどの盤よりも素直な音で聴きやすい。まだ半分も聴いてないけどね。

ただし、『メデーア』は別。この全曲盤は普通の1/4インチ磁気テープではなく35ミリ磁気フィルムを使って録音され、おかげで1957年の時点では驚異的なハイファイ録音だった。そのオリジナル・マスターがどうしても見つからず、仕方なく「第1世代のコピー・テープから1990年に作成されたデジタル・リマスター」を音源に使ったんだと。

てことは、16bit/44.1KHzのCD制作用データもしくはCDそのものを音源にしたってことでしょ。ゆえにSACDの発売もハイレゾ音源の配信もなし。せめて「第1世代のコピー・テープ」を音源にすりゃいいのに、それも行方不明なのかね。

元ネタの90年版CDと聴き比べてみたら、旧EMIの悪い癖だった高音強調を改め、より落ち着いた音質に改善してある。同じスタジオで同じスタッフがやってるんだけど、マスタリング技術が向上したのか、俗受け狙いの音作りを反省したのか。しかし、低ビットレート、低サンプリングの根本的な欠陥はそのままだから、やっぱりLPと比べたら……あ、もうやめます。
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コレクター

2014-04-09 | 音楽
やったあ! 幻のレコードを手に入れたぞ~。カラスの『カルメン』全曲。

もちろん、録音自体は珍しいものではない。CDで容易に聴けるし(ひどい音だが)、mp3版もダウンロードできる。だが、今度手に入れたのは、1964年の録音直後にイギリスで発売された特別仕様のLPなんだよね。

クッション入りのレザー張りボックスに金箔で "The Callas Carmen" の文字。中には渋い配色のブックレット3冊。音楽もレコードも今よりずっと貴重品扱いされていた時代のオーラを発散しまくっている。

この録音、実はLP時代に3回買った。最初に買ったアメリカ盤は品質粗悪で論外。次に買った日本盤は、品質はまともだったが(といっても、ヴォーカル帯域に強調感のある硬い音)デザインがひどい。黒のボックスにカラスの冴えないモノクロ写真をベッタリ貼りつけてある。なんとも武骨な、風采の上がらないデザインである。『カルメン』というオペラの華やかな祝祭気分がまるで伝わってこない。持っていて全然うれしくない。

3度目に買ったイギリス盤は飛び抜けて音がよかったが、そのときすでにデラックス仕様の初期プレスは廃盤で、平凡な紙箱入りに替わっていた。表紙にでかでかカラスの似顔絵を描いてあり、それがなんとも下手クソな絵で見るたびにゲッソリした。

そんならなんで、ハナから初期プレスのイギリス盤を買わなかったのかって? 1964年といや、日本がまだ貧しかった時代だよ。普通の日本人がイギリス製LPを輸入するなんて不可能だった。

信じられる? 60年代末まで、渡航するにも日本円のドル交換には限度があったんだよ。だから闇ドルなんて言葉があった。バカンスで海外旅行など、誰もしなかった。できなかった。

レコードの輸入が自由化され、イギリス盤が日本で手に入るようになったのは60年代もぎりぎり終わりに近づいてからで、64年当時のコレクターは日本プレスかアメリカ・プレスで我慢するしかなかったのだ。イギリス盤は入ってこないのに、どういうわけかアメリカからの輸入盤はレコード店に置いてあった。今も昔も日本はアメリカの圧力に弱いんだね。

それにしても日本製LPって、なんでああジャケットに魅力がないのかね。日本には、奈良平安の昔から絵画や建築、工芸の繊細で洗練された伝統がある。だのにLPもCDも、レコードの美的価値はさっぱりだ。

日本盤にも、たとえばキングが60年代初めに発売したショルティ指揮『ニーベルングの指輪』全曲のような豪華盤があるにはあったが、概してデザインが貧弱、色が汚い。物理的品質がいくらよくても(日本盤ぐらいノイズの少ないLPは、ほかにフランス盤ぐらいしかない)オークションで人気がないのは、デザイン・センスがあまりにお粗末だからではなかろうか。日本製スマホは、デザイン力でアップル、サムスンに勝てないからシェアが低いんだそうだけどね。

美術工芸は「美」そのものが生命だ。だがレコードは音楽がキモだ。工業製品は性能がキモだ。デザインにカネを掛けるのはムダだゼイタクだ、って考え方かね。これって合理的というより、日本が貧しかったころのケチ根性の名残と違うか。ケチと倹約は違う。

あ、脱線しました。

『カルメン』に話を戻すと、これは別にカラスの最高の名演でも『カルメン』の最高の名盤でもない。録音当時、カラスはすでにかなり喉の衰えを来していて、それをゴマかすためか、むやみに大げさな表情で歌っている。プレートルの指揮も、ハッタリ臭が強い。先頃亡くなったアッバードが70年代に録音した全曲盤に比べると、随分とセンスの古くさい演奏である。

そんなものを三つも四つも買い込んで、どうすんの。バカか――と、普通は思うでしょうね。ごもっとも。でもね、ある意味バカじゃないとコレクターはやってられないんだよ。
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アッバード没

2014-01-21 | 音楽
クラウディオ・アッバードというと、1981年にスカラ座のカンパニーを引き連れて来日した折りの名演が忘れられない。イタリア・オペラはそれまでにもNHKが何度か上演を主催していて、レナータ・テバルディ、マリオ・デル・モナコといった大物歌手の来日もあったのだが、オーケストラ、コーラスともども名門歌劇場がそっくりやってくる引っ越し公演は、あのときが初めてだった。

アッバードの指揮で『シモン・ボッカネグラ』『セビーリャの理髪師』、カルロス・クライバーの指揮で『オテッロ』『ラ・ボエーム』の4作が上演された(ほかにヴェルディの『レクイエム』も)。プラーシド・ドミンゴ、ミレッラ・フレーニ、ピエーロ・カップッチッリら当時最高ランクの名歌手が参加していた。日本がバブルに向かって急成長を続けていた時代の、いまは夢の贅沢。

世評がいちばん高かったのはクライバーの『オテッロ』だったが、手許に残った録音テープを聴くと、アッバードの『理髪師』が歌手の顔ぶれに凹んだところがなく、オーケストラ、コーラスとも生気にみちあふれ、一分の隙もない超名演だったことが分かる。

リズムは常に前ノリで生き生きと弾み、すべての音が朝日を受けた海の波のようにキラキラ光っている。早世した名メッゾ・ソプラノ、ルチーア・ヴァレンティーニ=テッラーニが藍色のビロードのような声でE難度の技巧的装飾楽句を軽やかに歌ってのける。

この演奏を聴いた後は、もはやどんな『理髪師』の録音も死んだような演奏に聞こえてしまう。マリア・カラス主演の全曲盤は無論、アッバード自身のスタジオ録音も例外ではない。アッバードはライヴ演奏ではすばらしいノリを示すが、スタジオに入ると途端にカミシモ着けたような演奏をする人だったのだ。ていねいで羽目を外さない。『理髪師』だけではなく、『シモン』も『アイーダ』もそう。

ともあれ、ベッリーニやヴェルディ初期のカンティレーナの美しさをあれだけ理解し、あれだけ洗練された形で呈示できた指揮者はそれまでいなかった。今後も出てこないんじゃないかな。晩年はムソルグスキーとかベルクとか、つまんないオペラばかり取り上げていたが。

なお、アバドという呼び方は日本独特で、こんな発音をしても外国人には通じない。多分、アッバード本人にも通じなかっただろう。ゲーテのひそみに倣えば、アバドとは俺のことかとアッバード言い、だ。

日本の音楽界は、映画界でも同じだが、外国人名をだれかが最初に適当に、いい加減に読んで表記すると、レコード会社、プロモーター、評論家から雑誌、新聞、ネットまで、あらゆるメディアがその適当な読み方に追随してしまう。朝日、NHKなどのマスコミが率先してこれをやる。世間で通用している読み方だから、ではなく、真剣勝負でアーティストを評価する気構えを欠いているからだ。

こうした怠慢、思考停止型大勢順応に敢然と抵抗したのが、故・中村とうよう氏だった。
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